スタニスワフ・レム『高い城・文学エッセイ』(国書刊行会)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/40fb70f01c6740102924?aid=p-inaba3302385&bibid=02506218&volno=0000
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 すげーよ。「SFの構造分析」「メタファンタジア」「ウェルズ『宇宙戦争』論」「ストルガツキー『ストーカー』論」を読むと、レムがSFに求めていたものがなんだったのか、何ゆえの『虚数』『完全な真空』だったのか、またなぜ小説が書けなくなったのか、がわかる。(少なくとも初期の小松左京の問題意識もこれに似ていた。)以前翻訳されてた「メタファンタジア」を呼んでなかったのはかえすがえすも不覚。架空の歴史書の書評『挑発』がはやく読みたい。
 書き手であると同時に仮借なき批評家であり、己に課する基準があまりに高すぎた、といえばいえるけど、普通の意味での「眼高手低」じゃない。だってレムに匹敵する技量の書き手ってSFにはほとんどいないし、主流文学にもそうはいないもの。レムが目指す高みというのは、まさに常人には、ひょっとしたら個人には及び得ないようなレベルなんだもの。
 しかしレムの理想のSFって、あまりにも読者を選ぶんだよな。ステープルドンの年代記みたいに、普通の意味での小説、はっきりいうと「物語」の体裁をとることが難しいもの。「物語」の体裁をとってないと普通の読者には読みにくいもの。「いや最近は世界観そのものを楽しむ「データベース型消費」がある」というけど、レムの求めるSFでは、架空世界が単なるおとぎの国にとどまることがゆるされないもの。
 あと『宇宙戦争』論と『ストーカー』論は内在批評というか「正しい謎本」にとっての模範だ。完璧だよ。
 文学を楽しむ素養に欠けているせいで、なんとなくレムは敬遠していたんだけど、理論家としての顔はこっちにはかえって親しみやすい。

 なおトドロフ幻想文学論を罵倒しているのを見ると、「レムはSFに本気だったんだなあ」と思う。気持ちは分かるが、SF・ファンタジー評論は罵倒以前のレベルのものが圧倒的多数だからなあ。

 あとサバルタンに関連して。
「われわれが経験した戦争は、なによりも現実的だった。戦争は山ほど資料を残したが、私はしばしば、次世代の人々がこの時代に捧げた本を、怒りに満ちた抵抗感や、ここに書いてあることはウソっぱちだという抑えがたい感情なくしては読むことができない。そんな時には、時代の崩壊や倒壊を目のあたりにした経験にはどんな想像力も敵わないから、写実的に執筆するしかないという気になるが、まさにウェルズの小説は、そのような推測を否定する。彼にできた以上は、達成不可能なものでは絶対にないはずだ。」297頁