「公共政策論」講義メモ

 あんまりぱっとしないな。
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 以上のごとく考えるならば、ハーバーマスが「公共性の構造転換」と呼んだものは、どのように理解されるべきか。


 非常におおざっぱに言えば、市民革命によって個人が解放され、19世紀は経済的にも政治的にも「自由な個人の時代」となったのに、20世紀は個人を圧殺する「組織の時代」となった――といった感じのストーリーがそこでは展開されているのだが、そこにはいくつかの難点がある。
 経済において個人企業やパートナーシップから、株式会社を典型とする法人企業にその主役が移った、という議論自体は妥当性が高いが、それとともに自由な市場経済が独占資本主義に移行し、市場の自己調整機能が低下した、というかつてのマルクス主義的な議論の方の根拠は薄弱である。
 また政治において政府の官僚制のみならず、政党組織それ自体の官僚制化が深化したことは確かであるが、それまでの議会政治において政党が存在しなかったわけではなく、有力者主導の派閥、徒党が存在したことは言うまでもない。また19世紀末葉まで、曲がりなりにも議会制が確立していた地域においても普通選挙制は未確立であったから、19世紀が「自由な個人が主役の政治の時代」であったはずはない。
 柴田三千雄は市民革命を経た19世紀西欧先進諸国の国家体制を「名望家国家」と呼び、曲がりなりにも普通選挙制が導入されていった19世紀末以降の「国民国家」体制と区別している。「名望家」とは言いえて妙であり、そこではいまだ万人が形式的にであれ対等な市民――国民とはなっておらず、社会的なリーダーシップは旧身分制の延長線上にその基盤を持つ貴族層や、有力な一部の市民によって握られていた。市民革命によって理念としての「個人」はクローズアップされたが、実際に「個人」として活躍していたのは社会の中のごく一部のエリート層であり、小農、零細自営業者、賃金労働者などの庶民、民衆はいまだ「個人」ではなかったのである。
 ちなみに雇用関係や地主―小作関係も、法的に対等な自由な契約関係となったのは19世紀末頃であると考えた方がよい。
 それゆえに単純に「自由な個人の時代から組織の時代へ」という図式を描くことは避けた方がよい。市民革命による「自由な個人の時代」の到来とは、実態よりも理念のレベルでの事件である。より実態に即してみるならば、「家的・身分的団体秩序から実定法的・公式組織的官僚制秩序への移行」の過渡期として「自由な個人の時代」を捉えた方が適切だろう。この「自由な個人の時代」が決してアナーキーではなく、中間団体や超国家団体を圧して国家が突出した時代でもあることは、樋口陽一らによってつとに指摘されている。
 そう考えると「公共性の構造転換」とは、社会の実態レベルというよりは社会意識、観念のレベルでの転換であり、「実在しなかった過去への郷愁」ともいうべきやや倒錯含みの現象である、とも言えそうだ。


 経済に即してみるならば、たしかに20世紀は社会主義計画経済体制の出現をみており、「後期資本主義」を古典的資本主義と社会主義計画経済との「混合体制」と捉えたのはマルクス主義者だけではない。20世紀中葉までは多くの人は計画経済を「それなりに合理的で持続可能な体制」とみていた。しかしながら半世紀ほどの実体験をもって、社会主義計画経済の非効率性、その副作用としての政治的抑圧の問題は明らかとなったし、「混合体制」においても政府による計画的な産業経営の非効率性は十分に目立っていた。それゆえに「新自由主義」が脚光を浴びたのであるが、それが単に「「市場の失敗」よりも「政府の失敗」の方が恐ろしい」というだけの「よりましな悪を選ぶ」だけの消極的な立場であったならば、これほどの力は持たない。
 新自由主義はかつての「独占資本主義が市場メカニズムを機能不全にした」というドグマを批判し、「20世紀においても市場均衡の力は失せていない」と主張したからこそ、時代の寵児たりえたのである。ただしそこで新自由主義者たちは、自らの主張を経済政策論を超えた政治イデオロギーに堕さしめてしまい、マルクス主義的な計画経済のみならず、ケインズ的なマクロ経済政策をも批判し、否定の対象とした。これは必ずしも適切な戦略ではなかった。ケインズ政策、のみならずかつては反ケインズ的立場とされたマネタリズムまで含めたマクロ経済政策は、計画経済や産業の公有化などとは厳密に区別されるべきものであり、市場への介入や統制というよりは、私有財産制度の維持などと比肩されるべき、市場制度そのものの下支えというべきものなのである。しかしながらくマクロ経済政策のこうした性格は十分に理解されず、ケインズ政策は「中途半端な社会主義計画経済」のような扱いを左右両翼から受けてきた。
 更に言えば、資本主義の下でも社会主義の下でも同様に進められてきたプロセスがある。すなわち、規格化である。社会主義福祉国家の下で、ある種の財やサービスについては必ずしも商品化が進まず、むしろ脱商品化がなされさえしただろうが、品質をそろえたり、互換性を高めたりといった規格化は、市場経済の下でも計画経済の下でも、民間セクターにおいても公的セクターにおいても、程度の差はあれ進行した。公式組織化と規格化はもちろん連続している。これは時に誤って「計画化」と同一視されてきたが、基本的には区別されるべき運動である。市場化と規格化、組織化とは矛盾しない。市場において商品化されたり、あるいは公的機関によって動員されたり統制されたりするその前提として、財やサービス、ものごとの規格化が進行していくというプロセスは、いわゆる「近代化」の中で滞りを見せることはあっても逆転を見ることはあまりなかったのではないか。


 非常に乱暴に言えば、陳腐だが「官僚制化」とでも言おうか、規格化の進行によって市場経済も官僚的統制もともにどちらかというと発展した。そこにおいて何か後退したものがあるとすれば、いったいなんだろうか? それこそ陳腐な言い方だが、古典的な意味での「政治」であろう。