広江礼威『Black Lagoon(9)』(小学館)

BLACK LAGOON 9 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 9 (サンデーGXコミックス)

 「ロベルタ逆襲編」、かなりの悪戦苦闘だったが、新章へと伏線を引きつつ、そこそこきれいに終わらせた。もうこれでこのマンガ最高の人気キャラを再登場させられなくなったわけだが、「折り返し点」としてはちょうどいいところだろう。
 以下に8巻が出たときの、いまはなき『Invitation』に寄稿したまんが評を再録する。

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 国際マフィアが割拠する現代の「リバタリア」(伝説の海賊自治国)たる架空都市ロアナプラを根城に、海賊まがいの運び屋の一員となった日本人元商社マンの主人公「ロック」の冒険を描いて、血と硝煙と美少女の好きなオタクの絶大な支持を得ている本作も、いよいよ佳境である。
 闇社会に自ら選んで身を投じながら、小市民的常識と正義感を捨てきれないロックは、これまでにも敵味方の悪党たちから「偽善者」との誹りを浴びてきた。そして実際彼の「偽善」は、これまで一度たりとも実を結んでいない。
 しかしロックの偽善を撃つ悪党たちは、敵も味方も奇妙にやさしい。彼らは権力者や革命家の偽善(で糊塗した巨悪)を軽蔑し、自らの悪を隠さぬ「誠実さ」をもって矜持となす「いい奴」ばかりで、忌むべき偽善者ロックを見捨てず、殺さず、忠告までしてくれる。
 しかし「偽善よりも誠実な悪を」という選択も実は陳腐だ。一皮むけば闇社会も、最後にはカネがものを言う世知辛さでは表と変わるものではない。悪党どもの誠実さも所詮は「商売は信用第一」とその本質において変わるところはないのだ。無法者も実は誇りある自由人などではない。日本企業社会を見限ったロックはそれに我慢がならず、「ロビンフッドがいないなら、ロビンフッドになればいい!」と啖呵を切る。
 そして4、5巻の「日本篇」でロックは、「誠実な悪」に抗して自らの偽善を押し通す、ひとつの方法論を手に入れた。それは自らの善意を「正義」にではなく個人的な「趣味」に基づけることだった。そして6巻以来進行中の「ロベルタ逆襲篇」でも、彼はあくまで「趣味」を貫こうとする。
 しかし弱肉強食の闇社会で自分の「趣味」を押し通すには、(むき出しの暴力のみならず、知略でもよいとはいえ)圧倒的な力を見せるしかない。力の裏付けなしには、弱き者を守るというロビンフッドの「趣味」は成り立たない。しかし仮に押し通せたとしても所詮「趣味」であるならば、それは「偽善」を超え「独善」という(国家や革命家たちと同様の)悪に転じてしまわないか? 
 こう読むとまさにロックは、豊かな先進国でメディアの向こう側の悲惨に「苦悩」する我々の、極めてよくできた鏡像である。

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 まあ見る人が見れば紙屋高雪の影響がまるわかりだろうが。


 ところで興味深いことに、故意か偶然かはわからないが、本巻にはまるっきりこの紙屋の評への応答としか思えないフレーズが登場する。紙屋は「この世界観は、ある種のピュアさの裏返しだ。」と正しく喝破しているが、本巻においてゲストキャラ、小さい方のメイドのファビオラは、レギュラーにしてヒロインの拳銃使いレヴィに対してこう叩きつける。
「世の中にお花畑があると思ってるのは私じゃない、本当は――あんたの方だろ?」(147頁)
 そして終幕、今回初めて実を結んだロックの「偽善」に対しても、ファビオラとその主「若様」は厳しい拒絶を突きつける。