14世紀ペストから
疎開(自己隔離)した人々が無聊を慰めるための語り、という形式
・80年代以降の
HIV文学もやや類似した展開を示す。
・
コレラやインフルエンザ(
スペイン風邪)の影が落ちた作品も多い。実は
近代文学総体に
感染症はメインテーマではなくとも挿話として相応の存在感を持っているとさえいえる。
・「極限状況」「不条理な運命」の体現としての
感染症
・特にブラム・ストーカー『ドラキュラ』以降のジャンルとして確立した吸血鬼もの、
ジョージ・ロメロの映画『ゾンビ』以降のゾンビものも実は広い意味での
感染症をテーマとしていることに注意。
・文明批評小説・SFにおける
感染症――「破滅テーマ」の一例
ジョージ・スチュワート『大地は永遠に』
――個人の運命より人類文明総体がテーマ
一部のマニア向けのSFではなく、より広範な大衆向けのエンターテインメントのテーマとしてカタストロフが定着するのが1970年代
メディアミックスの走り、小説は報告書の体裁をとっており、実験文学の系譜をひくと同時にビジネス書のテンプレートも踏まえている。
90年代以降、現実のエボラなどの展開をふまえて、新興(
エマージング)
感染症をテーマとした小説・映画も多数作られる。先駆けとしてのノンフィクション『ホット・ゾーン』(リチャード・プレストン)とそのドラマ化、また『
アウトブレイク』など。
「可能性としては人類の破滅につながりかねないが、それ自体はローカルな危機管理」の一例であり、すなわちパニックムービーの一ジャンルとして位置付けてよいだろう。
――かつての実存的?問いかけは後退する一方、リアリズム志向が強まり、現実の
感染症学や危機管理を踏まえた内容になっていく。
・再び文明論・実存の回帰?
パニックものの一ジャンルとしての
パンデミック・
アウトブレイクものが成熟すると、当然にかつてのSF的な文明論や、文学的想像力も回帰してくる。
これはまたウィリアム・マクニール『疫病と世界史』以降、「人類文明を左右する根本因子としての
感染症」という認識が定着したことの帰結でもある。
以下二例のみ挙げる――
朱戸アオ『リウーを待ちながら』――あからさまに
カミュ『ペスト』をオマージュしつつ現代的にバージョンアップしている。
小川一水『救世群』――21世紀初頭を舞台としたリアルな
パンデミックものであるが、実は大河
SF小説『天冥の標』の一挿話であり、この時地球を襲ったウィルスは実は宇宙文明が異文明を侵略するためのツールだったという荒唐無稽な展開への伏線となる。
ここでの宇宙ウィルスは侵略的な生態系が異なる生態系をハッキングして自己に取り込む機能を持つが、知的生物の意識にも作用することを通じて、ハッキング対象が技術文明にも広がることによって宇宙的に拡大する。「生命とは情報処理プロセスである」「生命もまた機械であり、機械は生命の産物である」という
ドーキンス以降の世界観の中で
感染症をとらえ直す試み?