立岩真也『私的所有論』の一解釈

 念のためにここから今少し敷衍しよう。まさに不動産からの「立ち退き」のケースについて考えてみる。再開発の波が押し寄せる小汚い下町で、猫の額ほどの土地の上にボロ家が建っている。しかしその土地はまさにその居住者のものだとしよう。あるいは借り物だとしても借地権があって家屋自体は居住者の所有だとしよう。
 さてここで当然話は、ありふれた地上げの話となる。再開発の波が訪れ、周囲の住民はどんどん立ち退いている。そのプロセス自体は実にスムーズで、誰も特段の文句は言わず、充分な代価を受け取ってよそに引っ越していくか、あるいは立て替えられる予定の新築ビルに新たな権利を確保している。そのような中で問題のボロ家の主だけは、頑としてそこに居座っている。ディベロッパーが何度足を運んで交渉しても、首を縦に振ろうとはしない。
 このようなケースで音を上げたディベロッパーが汚い手にでること、暴力や嫌がらせに訴えることは充分にありうるが、そのような行いが違法であり邪悪であることへの社会的な合意は容易に得られるであろう。であるからここではその話はしない。ディベロッパーがあくまで穏健かつ合法的に振る舞ったとしたらどうなるか? 
 話し合いが平行線に終わったら、結局のところ地上げする側に残っている手段といえば、金を積むことくらいしかない。もちろんここで想定しているのは、ボロ家の主があくまでその地に、その家に固執していて、そこにかけがえのない価値を求めていて、いくら金を積まれても絶対に納得しない、というケースである。しかしディベロッパーの側では主のそうした振る舞いを、「更なる条件のつり上げを求めている」と解釈するしかないのである。かくして申し出られる買値はどんどんせり上がる。どこまでせり上がるか? といえば、ディベロッパーの側で「これ以上高くなったら採算が取れない」と想定した限界までであろう。ただし耐久的な固定資産、とりわけここで想定している土地については、その「限界」の設定が難しい。なぜならその使用価値の時間地平は、ほぼ無限の未来にまで及ぶからだ。事前に明確に設定された損切りラインなしには、こうした交渉におけるバブルは際限なくふくらむ危険がある。
 そしてこうしたバブルは、そこだけの話では終わらない。主はただ頑固なだけで、何の底意も悪意もない。そうだとしても地上げする側は、「こいつゴネ得を狙ってやがるな」と思うだろう。しかしそれだけで済むならば、それだけの話、局所的な話だ。問題は、自由な市場社会では、それでは済まないということである。交渉の結果申し出られる買値がどんどんつり上がっていけば、それは周囲の耳にも入る。そうするとどうなるか。素直に地上げに応じた近隣の住人の気分を害さざるを得ないだろう。「気分」で終わればまだよいが、その中からは交渉の途中で尻馬に乗って、まさに「ゴネ得」目的で売値をつり上げる者も当然に出てくるだろう。そうやってバブルは、再開発地域全体に波及していく。もちろんそれは実体を欠いたバブルに他ならず、幸運――そのバブルで得た資金が実体的な投資に上首尾に転化される――なしにはいずれ弾けて、空無に帰すならまだしもマイナス、実体的な価値の毀損を帰結するおそれが高い。


 ここで立岩『私的所有論』のロジックを援用するとどうなるか? 
 ここでわれわれが立つべきは、言うまでもないことだが、ボロ家の主の立場ではない。ボロ家の主の立場に立ち、財産権(所有権であれ借地権であれ占有権であれ)を立てに権力(とりあえずここで想定しているのは民間ディベロッパーだが、公用収用をしにくる国家でも実はよい)に抵抗することの正しさを称揚してもむなしい。言うまでもなくそれはリバタリアンの立場である。もちろんそれは正しいのだが、あまり有益とは言えない。われわれはそこそこに正しくかつより有益な解を求めねばならない。
 われわれが立つべきは結局ディベロッパーの立場であり、そこからすればボロ家の主は「他者」である。出発点となるのはわれわれ自身の権利ではなく、他者の権利である。「いくら積んでも売らないぞ」という頑固な主の権利を尊重する、ということが問題なのだ。では具体的にはどうすればよいのか? 「信義に従い誠実に」交渉したあげく、どうしても相手が首を振らなければ、潔くあきらめるしかない。より実際的には、事前に明確な損切りラインを設定した上で、そこを超えそうなら機械的にすべてを停止する。それしかない。
 たいがいの相手は交渉すればほどほどのところで手を打ってくれる。意固地に理不尽な要求をふっかけてくる奴は例外的にしかいない。だから例外に振り回されるべきではない。だからといってそれは例外を無視するとか、あるいは特別扱い――暴力的に排除したり抹殺したり、あるいは逆に厚遇したり――してもよい、ということを意味しない。例外、逸脱例に対しても(対してこそ)原則に則って対応しなければならない。そうしなければ例外の方が残りの全体を引っ張り、相場を歪めてしまう――だいたいこのような指針が帰結するであろう。

私的所有論

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