思いつき(続)

 有徳な人格の陶冶とはすなわち規律訓練である。フーコーの統治性論と徳倫理学とはある意味ですんなりつながる。
 政治的リベラリズムにおいて人格は超越論的対象であり、権力のターゲットは行為である。それに対して、古典的な意味での規律訓練権力はまさに人格そのものをターゲットとする。
 リベラルな統治性においては、やはりその直接のターゲットは行為であり、人格は操作不能な何かであるが、しかしそれはもはや超越論的ではなく、経験的な対象である。