佐々木輝雄祭り(承前)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

の第3編、死の直前の講義録「職業訓練の歴史と課題」だけを読んだ上で
佐々木輝雄職業教育論集 (第1巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第1巻)

に立ち返ってざっと読む。


 第1巻の題名『技術教育の成立』はミスリーディングを通り越して間違っているようにさえ見える。本書では普通の意味での「技術教育technical education」あるいは「職業教育occupational/ vocational education」についてなんか(著者の希望はどうあれ)書かれてはいない。そもそも「教育」について書かれているのかどうか自体、定かではない。教育に関心のある読者よりも、むしろ救貧法福祉国家に関心のある読者の方が、この本を楽しむことができるだろう。偏ってはいるが見通しは極めてよく、イングランド救貧法体制についての入門書としても使える。
 本書の実際の主題は、イングランドのワークハウスworkhouse制度、つまりは後期旧救貧法体制である。house of correction, poorhouse, working school等々様々な呼称で呼ばれたこの時代の貧民収容施設には、労働能力ある貧民や児童を強制的にはたらかせ、必要とあれば職業的技能や一般的教養を伝習する機能も含まれていた。
 おおむね内戦=市民革命期の混乱以降に発展したワークハウスに先立つ貧困児童の救済制度としては、親=家族がではなく、教区が親方に依頼して児童を徒弟修業させる教区徒弟制があったが、徒弟制全般の衰退の中機能不全となり、保護者のいない貧困児童の救済と授産の主体もワークハウスに移行した、というのが筋書きである。しかし産業革命期に児童労働への需要が増えてしまうと、ワークハウスの孤児のみならず両親とともにある子どもも含めての児童労働一般が社会問題となり、児童労働一般の規制(工場法)と、庶民の子ども一般に対する公教育が政策課題となったがゆえに、ワークハウスでの規律訓練は、一般児童の初等学校教育に吸収・解消されていく。


 よく知られているようにそもそもイングランドにおいては、今日的な普通の意味での「技術教育」「職業教育」、徒弟制の延長のlearning by doingではない、システマティックな職業的技能・知識の伝習は、せいぜいのところ19世紀末からのことである。だとすれば、本書の題名は羊頭狗肉で、著者がしばしば「技術教育」なる語を用いているのは不用意な過ちなのか? 
 必ずしもそうとばかりは言い切れない。もし仮に著者の「技術教育」「職業教育」研究がここで終わっていたとしたら、そう言ってしまっても構わなかったかもしれない。しかしながら旧労働省所轄の特殊法人雇用職業事業団が運営する職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)に職を得て、その後一貫して(学校での)職業教育と(公共施設・企業での)職業訓練の研究を続けた結果、おそらくはからずも著者は、ワークハウスにおける訓練――「授産」とでも呼ぶのがもっともふさわしい営みが、まさに現代の公的職業訓練の原点に当たるという結論にたどり着いてしまっているからだ。その結論にたどり着いた上でそれでも著者は絶望せず、最後の講義において凄愴な笑いとともに職業訓練を、自らの人生を肯定し、後進を鼓舞する。


 しかして公的職業訓練の現状は……?

追記

 難をいうと若いときは文章へたくそ。テニヲハからして変。