衝動買い

経済原論―基礎と演習

経済原論―基礎と演習

 なぜ衝動買いしたかというと話は長くなるのであとで。

追記(12月3日)

 20年以上前のことでよく覚えていないところがあるのだが、西成田豊先生のお勧めもあって中西洋先生の本を読み、東大の経済に学士入学をしようと思って本郷の先生の研究室を訪れたのはたしか学部の3年生の頃だった。「学士入学ではなく直接院を受ければよい」と大学セミナーハウスでの見田宗介ゼミの合宿で、見田先生やゼミテンたち(あの時いたのは誰だったか……吉村均君はいたはずだ)にたきつけられて急遽過去問を集め勉強を始めたのは……3年から4年にかけての春休みか、それとも4年の夏休みだったか? とにかく短期間に宇野の薄い方の『原論』と『政策論』、更には中西先生に勧められた馬場宏二『現代資本主義の透視』を詰め込み、更にその年は1次に労働経済の問題が出ない巡り合わせなので、対策として何を勉強したんだっけか……実際の試験のときには国際経済を選択して、当時のドル高について、村上泰亮『新中間大衆の時代』に収録された吉冨勝との論争文などを念頭に置きつつ無理やり書いたはず。東大経済の院入試は1次が夏休み明け、無茶なスケジュールだったが第二外国語がないのでどうにかなった。そのあと無理やり論文をでっちあげて冬の2次試験に臨んだら、宇野原論グループの先生方のグループに審査され、馬場宏二先生を含むお歴々に容赦なく突っ込まれまくったが、臆せず食い下がったことが効いたのか、あとはおそらく中西先生が「引き受ける」と明言されたのが決定的だったのだろうが、奇跡的に2次も合格して、すでに受かっていた東北の経済を蹴って本郷に進学した。
 小幡先生の名前に触れたのは確か、院に入ってからではなく、そうした入試前のごたごたの日々、中西先生の研究室で、学部のゼミを聴講させていただいていた折だったと思う。中西先生は当時助手だった小幡氏のことをかなり高く評価されていた。先生に紹介された氏の論文(紀要『経済学論集』にのったおそらくは助手論文)は、しかし正直こちらの手には負えないというか、ちんぷんかんぷんだった。ただし『経済評論』にのった「土地所有の原理的把握」は、椎名重明先生らの農業史の成果なども意識したもので、妙に印象に残ったことを覚えている。それでもやはり全体としてはさっぱりわからなかったので、単著『価値論の展開』も敬遠していた。


 大学院に入った後は、もっぱら労働の先生方の演習に参加するほかは院生仲間の自主ゼミが中心で、たまにほかの分野の授業――安保哲夫先生のアメリカ経済論とか、森田桐郎先生の国際労働力移動論とか――を除く程度で、宇野原論系の授業には出たことがないし、原論系の院生ともそれほど深くは付き合わなかった。ただその中でも何とはなく、小幡先生の原論の院生の間での評価はそれほど高くないことはうかがわれた。当時の原論の院生の間で評価の高い原論研究者は、もちろん小幡先生も強く影響を受けていただろうが、山口重克先生であった。山口原論はたしかにシャープで、今にして思えば新制度派経済学にも通じる発想があったとは思うし、人気を集めるのは確かにうなずけたが、小幡先生の低評価はよく分からなかった。たしかに小幡先生の文章は晦渋で、理論的な難解さを抜いてもよくわからないことが多かったが、何か奇妙な、独自なことを、迷い道で野垂れ死ぬ危険を承知で考えている印象があった。
 そんな中で小幡先生は、宇野派の原理論研究者としては実に全く異例なことに、労働市場にかかわる論文を90年前後に少しばかりものした。(「労働市場の変成と労働力の価値」と「資本蓄積と労働力の価値」。しかし氏のサイトを見ても、どういうわけかこれらの論文は電子化されていない。)我々労働研究者にとって、すぐに役に立つとか直接参考になるとかいう代物ではなかった(原論はほとんど参考にならず、もっぱら段階論、そして「近経」を我々は参考にしていた)が、妙に面白かった。佐口和郎さんとも、「あれは面白いよね」と言い合ったことを記憶している。しかしこれらの論文も、原論の院生たちの間では別に相手にされていなかったようだ。
 その後小幡先生は労働過程などにかかわるいくつかの論文をものしていくが、あの二つの奇妙な労働市場論以上の刺激はこちらとしても覚えなかった。
 ただそれでもあの二つの論文ゆえに、先生の名前は妙に気になる名前として頭の隅に引っ掛かっていた。繰り返すが、いまの若手の間では少しばかり事情が変わっているらしいが、当時は原論研究者は、山口先生を追いかけてか、ひたすら宇野原論でいえば第三部の領域、商業資本だの金融資本だの競争機構だのに関心を集中させていた。そして労働過程や労働市場に興味を抱く者はほとんどいなかった。一方「近経」では、情報の経済学・ゲーム論とともに労働市場や労使関係が応用ミクロの草刈り場となっていったのに、である。当時の院生の一人は「なぜ労働の研究をしないんですか?」とのぼくの問いに、「現状分析としてはともかく、原論としては労働はやさしすぎるから」との答えを返してきた。そこで「でも近経では、労働は今草刈り場になってるんですよ?」と反問したが、それへの答えはなかった。「そんなだからあんたらはだめなんだよ」と危うく言いかけたがもちろん言わなかった。そのような状況の中で、繰り返すが、小幡先生のポジションは少々異様なものではあった。


 さてついに小幡先生がものしたこの「教科書」だが、そもそも宇野派の原理論の教科書なんて、いったい何年振りだろうか。今このような本が世に出ることに、いったいどんな意味があるのだろうか。
 よくわからないながらも、とにかく買ってしまったのである。

追記(12月7日)

 宇野原論の伝統の中では画期的なのかもしれないがそれでも「雇用」「労働力」といった概念の扱い方は雑駁に過ぎると思う。