「労使関係論」とは何だったのか(6)

 古い時代のマルクス経済学のフレームにのっとっていたから致し方のないところとは言え、独占段階照応説には技術決定論的な偏向があり、それがその歴史的射程を大きく制約し、早々に時代遅れにする原因の一つとなった。
 そこでは産業革命、それによる自由主義的産業資本主義の発展は、以下のように描かれる――生産力の発展に伴い、支配的資本の蓄積様式は、自ら生産技術を掌握せず、生産過程と生産技術そのものをではなく、主として流通と商業信用を支配することによって活動する商人資本から、生産設備を直接保有し、生産技術もある程度コントロールする産業資本に移行する、と。
 それに対して独占資本主義への移行の理解は以下のようなものだ――機械制大工業の発展につれて、産業の主軸は軽工業から重化学工業に移動する。そこにおいては、資本設備は巨大化し高価となり、自由主義段階におけるような、せいぜい土地信用を基盤とした程度のオーナー資本家によっては必要な設備をファイナンスできず、巨大銀行による資本信用や、公開株式市場を前提とした株式会社形態をとった巨大法人企業が支配的な資本蓄積様式となる。
 それではなぜこの独占資本主義段階においては、企業特殊的熟練が支配的となり、労働市場が企業内化されるというのか? そこで想定されていた、労働過程の歴史的変容についてのおおざっぱな図式を、自由主義段階以前にまでさかのぼって提示しよう。
 重商主義段階の商人資本が支配的な時代には、いわば「資本と労働の分離」は十分に進行しておらず、資本家的企業は、自ら生産設備を備え、生産技術をコントロールする職人や兼業農家を、主として商業的・金融的な経路からコントロールしようとした。つまりそこにおいては雇用関係よりも今日言うところの元請―下請関係、つまりは業務請負、あるいは製品・半製品の商品取引関係が支配的だったのである。
 それに対して産業革命以降は、資本家自らによる生産設備の所有、「資本と労働の分離」が進行するが、なお生産技術そのものの支配は進まず、現場の労働を支配する職人たちの万能型熟練は保存された。すなわちそこでは雇用関係が前面にせり出しつつあったが、そこでの雇用関係は請負関係としての側面も濃厚にもっていた。現場の生産管理・労務管理は言うに及ばず、雇用関係自体も資本家と現場労働者の間の直接的関係であるよりは、親方労働者を介した間接的関係であることが多かった。
 それに対して独占資本主義段階においては、設備の更なる巨大化に伴い、生産過程は複雑化する。工程や作業を理解しコントロールする知識は親方的熟練職人から、企業経営サイドの技術者に移動し、技術もまた「知的所有権」として資本設備の一部であることが明確になる。そのような生産技術を管理運用するためには、労働者に対する間接的管理ではもはや足らず、雇用も教育訓練も作業管理も、資本家的企業が直接行う必要が出てくる。
(こうした認識は60年代から70年代まで「東大学派」にかなり共有されていたと思われるが、はっきりと宇野派の枠組に準拠することを表明していた労働研究者は徳永重良である。)


 ――このように言葉にしてしまうと何となくすんなりと納得してしまいそうになるが、標準的な経済理論の目に照らすならば、立ち止まって再確認しておくべき問題が山積している。仮にここでマルクス経済学が重化学工業化の更なる先を見通すことができず、独占資本主義の次の段階を構想することができなかった、という致命的な問題を度外視したとしても、現時点から振り返るならばこの時すでにどうしようもない手詰まりへ布石は敷かれていた。
 生産技術の発展に伴い、必要な設備が巨大化するとは限らない――といういまとなっては当り前の知見をあえて度外視し、「技術進歩イコール資本設備の巨大化」と素朴に前提してかかったとしても、そこからただちに労働市場の内部化が帰結するわけではない。それどころか、独占的傾向それ自体さえも、ただちに導かれるとは限らない。
 そもそも、資本市場が十分に効率的であれば、いかに巨大な設備といえども、十分なヴィジョンと能力を持った経営者によって問題なくファイナンスすることができるはずである。ゆえに資本設備の巨大化と、企業組織の巨大化とを結び付けるためには、資本市場の不完全性や経営資源(経営者の能力や「のれん」「ブランド」等々)市場の不完全性という媒介項が必要である。
 更に言えば、労働市場経営資源市場、知識(技術・経営ノウハウ等)市場が十分に効率的であれば、資本設備の巨大化と複雑化自体が労働市場の内部化に直結することもない。どれだけ設備が巨大化・複雑化し、それを運営するために複雑な分業組織が必要となろうとも、必要な人材、必要な知識を外部から調達することができる。
 となれば、資本設備の巨大化それ自体ではなく、むしろ取引費用の存在、情報の非対称性、不確実性等、何らかの意味での市場の不完全性の存在の方が、資本や情報、人材等の取引の内部化を促すと考えるべきであろう。あるいは設備の巨大化がスケールメリットを意味するならば、それが自然独占を帰結し、類似の効果を発揮することも考えられるかもしれないが。
 そしてもう一つ確認すべきことは、資本設備の巨大化それ自体が、労働者の熟練、経営ノウハウ等の企業、より広くとればローカルな取引関係への固着、特殊化を促すというわけでもないだろう、ということだ。あるいはそもそもいわゆる「企業特殊的熟練・知識」とは何か、と考えてみれば、市場取引その他の経路で容易に外部化できないものである、とすることが自然である。となると、ベッカー、あるいは小池の言うような意味での「企業特殊的技能・知識」とは一体何なのか? そのような現象、本来的に特定の個人や特定の企業に固定して外部には容易に移転できないような技能・情報というものが仮にあるとしても、現実に我々が市場経済において観測する「企業特殊的技能・知識」らしきものの多くは、そのような真正のそれ以外に、単なる市場の不完全性に由来するものもまた含んでいるのではないか? そもそも両者を仮に理論的には区別することに意味があるとしても、現実の経済現象のレベルで具体的に「これはそうであり、これは違う」と区別することなど実際にはできないのではないか? 
 「企業特殊的技能・知識」の想定が「独占段階照応説」の支えであったとするならば、そこで想定されていた「独占」についてのイメージを今一度きちんと整理し直す必要がある。企業が購入する中間財であれ人材であれ知識であれ、あるいは企業が販売する製品であれ、それがその企業固有の、高度に差別化されたものであるならば、そこにおいて独占力がはたらくことはむしろ自然である。言い換えれば「独占」という契機は、ここでは独立変数ではなく、技術の様態に従属している。それは基本的には技術決定論である。まず技術のありようが先行し、それを効率的に運用するために企業組織や取引形態が決まってくる。あるいは、「土台−上部構造論」を援用するならば、政策、政体までも。しかしそうではなく、市場が、あるいは政策や政治の方が逆に技術の方を規定するのだとすれば? 
 小池和男は70年代には宇野段階論的な構図を用いず、代わってドリンジャー&ピオーリの内部労働市場論を参照して議論を展開することが多くなる。当のマイケル・ピオーリは80年代のチャールズ・セーベルとの共著『第二の産業分水嶺』で「柔軟な専門化」論を展開し、マルクス経済学的な「独占段階」に対応する「大量生産」の技術パラダイムと、「自由主義段階」に対応する「クラフト的生産」のそれとを対比する。ただし両者の関係は発展段階論的な一方向的・不可逆的なそれではない。時と場合に応じて支配的なパラダイムが交替する、というもっとルースな構図である。小池自身はピオーリのこちらの議論をあまり援用していない。
 ピオーリ&セーベルの議論は段階論よりは柔軟である。何より「独占資本主義段階」以後の資本主義の様態について、ポジティブに語るすべを持たなかったマルクス経済学とは違い、なんのてらいもなく「クラフト的生産が支配的パラダイムとなる時代が再び到来しつつある」と論じてしまえる。しかしこの枠組みもまた、マルクス経済学同様、やはりどちらかというと技術決定論の趣がある。


 しかし段階論の可能性は、既に述べたとおり技術決定論にとどまるわけではない。それは政策論的、知識社会学的解釈の可能性をも残していた。そして宇野派の流れにおいても、むしろこちらに近い一つの有力な理論潮流があったのである。それは加藤栄一の「労資同権化」論――後には「福祉国家化」論――であった。


内部労働市場とマンパワー分析

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第二の産業分水嶺

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福祉国家システム (MINERVA人文・社会科学叢書)

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