「労使関係論」とは何だったか(4)

 文献全部日本においてきた状況で記憶だけを頼りに書くには無理があることなど百も承知。まあいい加減あきらめて大原社研雑誌のサーベイシリーズを読みますよ。

                  • -


 政策論的、あえて言えば政治学的かつ知識社会学的な段階論解釈に理があるとは言っても、あくまでも下部構造、生産力に焦点を当てて「段階論」を解釈していくアプローチの方が、もちろん「経済学」というディシプリン全体では主流であり、それは労働問題研究においても例外ではない。更に言えばそうした発想はマルクス経済学独自のものではなく、経営学、経営史学においても、たとえば「見える手」について論じたアルフレッド・チャンドラー流に、19世紀末から20世紀初頭にかけての、株式会社制度による巨大な資本集中と、官僚制組織による巨大な労働力集中を可能とした、近代的な会社組織成立という質的な転換を見出す立場が大きな影響力を持っている。
 問題は、何がそのような変化をもたらし、そうした変化がまた労働問題にどのような影響を及ぼすのか(について、労働問題研究者がどのように考えたのか)、である。
 60年代という時代的な制約(ゲイリー・ベッカーの「人的資本」についての有名な論文が1964年であり、新制度学派やゲーム理論によるミクロ経済学の再編は、まだはるか先のことである)からすれば、まったく仕方のないことであるとはいえ、「独占段階照応説」今から振り返ってみれば経済理論的に見てあまりに素朴に過ぎた。
 まずそこでは非常に単純な、一方向的な生産力発展論が前提されているきらいがある。すなわち、経済成長とともに技術は資本集約的・労働節約的となる、という想定がまずある。労働の質においてはそれほど定かではない。一方に職人的万能熟練の解体、ダイリューションがそこでは起きていると想定される一方で、技術の高度化に伴う新たな熟練、技術的知識への着目もある。その辺りでのある種の妥協点が「企業特殊的熟練」への着目ということになるのだろう。つまり「熟練の高度化かそれとも不熟練化か」という問題設定には確たる答えは出ず、合意は得られていないが、「普遍的技能から企業特殊的技能へ」という歴史観はかなりの程度共有されていたようである。しかしそれはいかにも(俗流マルクス主義的な技術決定論であった。
 古いマルクス経済学においては、最終審級は生産力、生産技術であり、市場経済の論理はそこに上乗せされるにすぎず、やがては生産力の発展と両立できなくなって破棄されるべきものである。独占段階論の含意としては、資本設備の高度化が企業の巨大化、独占化、市場競争の麻痺を引き起こし、景気を停滞させる一方で、巨大化した企業組織と競争の麻痺をフォローするための政府介入は、将来における社会主義計画経済の準備となる――というものであった。
 他方新古典派経済学の場合は、市場経済の論理の方が技術変化のそれを主導する。そこでは一方的に資本集約化と労働節約が進むとは考えず、その時その時において相対的に豊富な生産要素が集約的に使用され、稀少な要素が節約される、と考えられる。技術変化もまた、おおむねその方向で進行する、とそこでは予想される。こう見るとマルクス経済学は、ひたすら労働の稀少性のみが問題とされる特殊ケースを問題にしている狭隘な枠組みであると言える。逆に新古典派の場合は、一般的に過ぎて分析に方向性を与えることが困難である、とも言える。
 非常におおざっぱにいえば、古典的なマルクス経済学、そしてそれにおおむね乗っかっていた「東大学派」の労働問題研究の「独占段階照応説」においては、長期雇用・内部昇進・年功賃金等の、後の言葉による「労働市場の企業内化」を説明するロジックがおおむね技術決定論的なものであった。産業構造・製品市場における寡占化・独占化も、労働市場における内部化(それも寡占化・独占化の一種ととらえられたろう)も、ともに産業技術の発展がほぼ必然的にもたらしたものとしてとらえられた。小池和男が後に本格的に内部労働市場論へと進む際に、準拠理論を宇野段階論からアメリカ旧制度学派の流れをくむドリンジャー=ピオーリへと移した際にも、こうした技術を基底に置く発想自体は捨てられていない。
 言い換えるならばここには、意外なことに「市場の失敗」だの「不完全情報」だのといったコンセプトが登場してくる必要がない。産業技術が特定の個人や関係性に特殊的であるからこそ、それらをめぐる取引は市場に外部化されず、固定的な組織に内部化される。技術的知識、現場労働者の技能、はては「のれん」「ブランド」だの「経営資源」といったあいまいな言葉で語られるいわく言い難いものは固有であって外部市場での取引になじまない。
 しかし逆に考えてみればどうなのか? 産業技術をめぐる市場が不完全で、取引を組織的、準固定的なものにせざるを得ないからこそ、労働市場が「内部化」されるのだとしたら? 
 しかしながらこの段階での日本の労働問題研究者は、そもそもこうした問題の切り分けを行う手段を、未だ持ってはいなかったのである。