稲葉振一郎『理論社会学入門講義(仮)』6月刊行を目指して作業中につき

 さわりを公開します。




 前回、19世紀末から20世紀初頭において成熟した「社会学」という学問は、一言でいえば「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」である、とまとめました。こういう発想による理論社会学のプロジェクトの頂点が、20世紀中葉のアメリカ合衆国社会学者、タルコット・パーソンズです。社会を一定の価値観、規範を共有し、それを内面化した人々の集まりとして、そうした人々の行為のネットワーク――システムとして捉え、更にその変動メカニズムまでをモデル化した理論を作ろう――パーソンズはそのように考えて、壮大な理論モデルを試行錯誤して作り上げていきます。今日でもぼくたちはしばしば「社会システム」という言葉づかいに出会いますが、それはパーソンズによって広まったものである、と考えても構いません。
 成熟期のパーソンズの理論は「構造機能主義」と形容されます。「機能主義」という言葉は今日でも他の分野で、少しばかり違った意味で用いられることもあるので注意していただきたいのですが、ここでいう意味での「機能主義」とは、20世紀前半の人類学・社会学において出現してきた方法論です。「機能function」とはおおざっぱに「意味のあるはたらき」とでも理解していただければよいのでしょう。たとえば人類学者はいわゆる「未開社会」の宗教やとりわけ迷信など、合理的な根拠のない思い込み・慣習などがなぜ存在しているのか、について考えたわけです。そうした非合理的な迷信は、いわば「間違った(偽の)知識」であるわけで、役に立たないどころか有害でさえあるように思われます。
 ではなぜそのような迷信が存在するのか? ここで人類学者たちは、「なぜそのような迷信ができたのか?」についてではなく、「なぜそのような迷信が、事実に照らして誤りであるにもかかわらず、訂正されずに残っているのか?」について考えるのです。訂正されない理由としては、近代科学の発達以前の多くの社会における天地創造神話のように、そもそも社会が持っている技術の範囲内で事実を確かめる方法がない、というものが考えられます。しかもそういう天地創造――地球と宇宙の成り立ちについての正確な知識は、少なくともそれらについて知ることができない程度の技術水準の社会にとっては、なくても特に困ることはないでしょう。間違った知識でも、真偽を確かめる手段がなければ訂正できませんし、またそうした無知・誤解が得に有害というわけでなければ、訂正される必要もありません。
 更に別の例で言うと、日本の古い迷信のひとつ(いまのお若い皆さんはご存じでしょうか?)「夜、爪を切ると親の死に目に逢えない」について考えてみましょう。これは全く無根拠で誤った主張ですが、特に害があるとも思えません。それどころか、利益をもたらす可能性もあります。なぜか? 産業革命以前の、夜間の照明のことを考えてみてください。薄暗がりで爪を切ったらケガをしかねないでしょう? だとすればこの迷信に従うことは、結果としては有益でありうるわけです。
 機能主義的な解釈によれば、残存している迷信とは、知識としては間違っているが、その本来意図されたメッセージ内容とは別のところで、思わぬ副作用として利益をもたらしうる、そのような信念であるわけです。その上、上記の「爪切り」のような具体的な利益をもたらさない、無害無益の迷信でさえ、人類学者や社会学者によれば、利益をもたらす可能性があります。つまり、それが人々の間に共有された「常識」となっていることで、社会的な連帯感や共同性を高める、という可能性です。デュルケム的な発想ですね。つまり「宗教」とはそういうものだ、ということです。
 まあこういう発想は、社会秩序を意図的な構築物ではなく、「意図せざる結果」と解釈するわけですが、考えてみればスミスの「見えざる手」以来の近代社会科学の伝統芸で、根本的に新しいものではないですね。しかしこの発想でありとあらゆる社会現象を見ていくというスタンスが、人類学者から実証的な社会学者の間にあっという間に定着していったのが20世紀の中葉のことです。パーソンズはこの機能主義の発想を、より抽象的な社会システムの一般理論に組み込みました。
 非常に乱暴にいえば、ここでパーソンズは社会のアイデンティティを「構造」という言葉で表現し、その本体を主として、先に述べたように人々の間で共有される規範、価値観の体系と考えます。そうした価値観を共有した人々が共存し、分業のネットワークを形成してそれぞれいろいろな活動をしていきます。そうした社会の中の個別の活動が、全体としての社会、とりわけ「構造」に対して及ぼす効果を「機能」という言葉で捉まえよう、というわけです。社会の中の個別の活動、いわば「全体」に対する「部分」の活動が、「全体」の維持、存続に対してプラスの貢献をしていれば(つまり「機能」をはたしていれば)、その「部分」もまた存続するだろうが、その逆であれば(「逆機能」といいます)、その「部分」は縮小し、なくなったり、「機能的」になるよう変容するだろう、という推論がここではなされます。更にこうした「逆機能」があまりに大きければ、局所的な変動では済まず、ことによっては「全体」レベルでの社会変動、あるいは社会そのものの崩壊までもが起こるかもしれない――このような枠組みをパーソンズは考えていました。「構造機能主義」という名称の所以はおわかりですね。
 パーソンズ理論は一時期、アメリカを中心に一世を風靡し、パーソンズの理論枠組、パーソンズの言葉づかいをそのまま用いた理論研究、実証研究が、1970年代初頭くらいまではかなりたくさん出現したのですが、その後急速にしぼみます。(パーソンズ自身は1979年没。)そしてその後は、この講義の最初の方で説明したとおり、社会学理論の百花斉放――というより百鬼夜行状態が長らく続いています。では、パーソンズは乗り越えられたのか、といえば、おそらくそういうことではありません。パーソンズの出した「答え」は結局受け入れられなかった――パーソンズ理論それ自体の直接的な継承発展はほとんど行われず、結局パーソンズ理論も個人的な名人芸の域を出られなかった――けれども、パーソンズの立てた「問い」――「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての一般理論を作りたいのだが、どうすればよいのか」――の方はそのまま残り続けていて、様々な理論家たちがそれぞれの仕方で取り組んでいる、といったところでしょうか。

 以下では、なぜそんな風になってしまったのか、パーソンズのテキストに内在するのではなく、後知恵になってしまってパーソンズパーソンズ主義者にはややアンフェアなのですが、今日における科学の達成を踏まえた上で、簡単に考えてみたいと思います。
 パーソンズが自分の作業をする時に念頭に置いていたのは、物理学、経済学、それからサイバネティクスです。「サイバネティクス」とは、今となってはほとんど死語となってしまいましたが、今日ではおおむねシステム制御工学やロボット工学に受け継がれている分野だと思ってください。複雑なシステムを作り制御することについての学問です。1940〜50年代に、理論経済学が数理科学として一応の体裁を整えます。物理学における「解析力学」、物理的なシステム――つまりは時間、空間の中での物質とエネルギー――の振る舞いを、連立微分方程式でもってモデル化するアプローチがこの時代に少し先だって完成するのですが、これをお手本にした市場経済のモデル、市場における人々の取引行動を連立方程式で表す理論が、この時代に完成します。パーソンズはこれらをお手本――具体的な模範というよりは、目指すべき理想として、システム理論としての理論社会学を構想しました。
 さてその顛末は? ここではあえてパーソンズ理論本体よりも、それが目標、理想としていた、ある程度完成していた工学的制御理論や経済学理論を念頭に置いたうえで、説明しましょう。同じような連立微分方程式モデル――「力学系Dynamical System」といいます――を用いていても、その使い方、問題意識は様々であり得ます。ここではおおざっぱに、「工学的アプローチ」と「科学的アプローチ」という二つのスタンスをとりあげましょう。
 前者は、対象をなんとか思い通りに動かして、ある目標を達成しようとするアプローチです。たとえばロケットを打ち上げて人工衛星を周回軌道に乗せるとか、あるいは月まで届けるとか。「ものを動かす」アプローチだと考えてください。後者は「ものの動きを理解する」アプローチです。ここで一口に「ものの動き」といっても、そこには一定のパターン、秩序が見出されるからこそ、理解が可能なのだ、ということを忘れないでください。経済学が対象とする、市場における取引のネットワークにせよ、あるいはまた自然界、生態系における多種多様な生き物たちの間の、競争と共存のバランスにせよ、多種多様なものたちが、誰にコントロールされることもなくめいめい勝手に動き回っていながら、全体としては一定の安定したパターンが崩れずに維持され続けている――このダイナミックな秩序を理解しシミュレートするために、力学系モデルが用いられます。だから正確にいえば「ものの動きの中の秩序を理解する」アプローチと言えましょう。
 後者、科学的アプローチにおいては、ものたちの動きの背後に安定したパターンが想定されるからこそ、その振る舞いが人間にとって理解可能となるわけですが、前者、工学的アプローチの場合はどうでしょうか? 科学的アプローチの場合には、とりあえずはまだ知られてはいないけれど、物事がでたらめで予測不能な混沌に陥っていないことから、そこに一定の秩序、法則性がちゃんと存在している、と予想されて、その未知なる法則性の理解が目標とされます。それに対して工学的アプローチの場合には、既に操るべき対象となるものの性質、運動法則は基本的に知られ、理解されていて、その知識に基づいて対象を操作する、という具合になっています。
 さて――経済学、社会学などの「社会科学」の場合は、どちらなのでしょうか? ホッブズ、ロック時代の社会契約論においては、国家、社会秩序自体が意図的な構築物として描かれている分「工学的」と言えそうですね。より正確に言えば、「工学的/科学的」というスタンスの違い自体が、まだほとんど意識されていない。これに対してモンテスキュー、ヒューム、スミスあたりからは、はっきりと「科学的」なスタンスに重心が移動します。「見えざる手」という発想をスミスから引き継ぐ今日の経済学にも、それは流れ込んでいます。そして社会学もまた、経済学以上に「価値自由」を標榜し、政策的実践からいったん距離を取ろうとする「科学」志向が強い、と言えます。
 しかし同時に、経済学も社会学も、反面ではやはりどうしても、社会問題の解決を目指す政策科学として、「工学的」なスタンスを捨てきれないところはあります。つまりは「虚心に目の前の現実を理解する」だけではなく、「世の中を良くする」、つまり「目の前の現実を変える」ことについても考えざるを得ないのです。
 更に社会学の厄介なところ――経済学よりも社会学の方が野心的であるがゆえに抱え込んでしまった難問は、社会学が「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」である――少なくとも、そうありたいと熱烈に願っている、ということから帰結します。経済学は先のディレンマ――「科学的」であることと「工学的」であることとの間に引き裂かれること――にどう折り合いをつけているのでしょうか? それは案外、普通の工学、自然科学の技術的応用の場合とあまり変わらないのです。
 ごく乱暴に、狭義の自然科学は未知の法則性について探求し、狭義の工学は既知の法則知識の応用を目指す、という分業が成り立っている、としましょう。(もちろん実際は、既に述べたように、こんな風にきれいには分けられなくて、その法則性の理解もなしに、経験に基づいて行われてきた工学技術に対して、科学的基礎付けが後からくる――なんてことは日常茶飯事ですが。)経済学もまた、そのような問題意識の切り分けをした上で、政策提言に乗り出すのです。つまり、市場経済の法則だとか、更にその背後にある経済主体の行動原理だとかについてはもうすでに分かっている、と割り切った上で、それと折り合いをつけながらどう世の中を変えていくのか、について考えるのです。
 ところが社会学の場合には、「このあたりまではもうわかっている」と割り切るべきポイントを見つけることが難しいのです。なぜなら社会学の目指すところは「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」なのであり、そこで「変容可能性」のもとにある「形式」の中には、道徳とか価値観とか世界観とか、人間のものの見方考え方・行動様式全般が入ってしまうからです。社会学の立場からすれば、経済学がとりあえず「まあ、こんなもんだろ」と想定する人間の行動原理もまた、歴史とともに、社会的文脈によって変容しうる相対的なものです。しかしながら逆説的にも、このような「社会の変化の可能性に対する敏感さ」ゆえに、社会学は政策的実践が、ひいては社会運動まで含めて「社会の変化に実践的にコミットしていくこと」が苦手になっていかざるを得ないのです。
 どういうことでしょうか? 政策介入とは「意図的に、意図したとおりの変化を社会に引き起こすこと」です。そのためには「こうすればこうなる」という、社会の変化についての一定の法則性が分かっていなければなりません。つまり、意図どおりの、つまり予測可能な変化を引き起こすためには、その変化を引き起こす一定の法則についての知識が必要です。政策介入とは「予測可能な社会変動を、予測通りに引き起こすこと」です。しかし「予測可能な社会変動」とは、一体何を意味するのでしょうか? ――その社会変動の予想を可能とした、つまりはその社会変動をも支配している法則自体は、その変化の前と後とでは変わらない、ということになります。つまり政策的実践(工学技術)は、ある一定の法則性の範囲内での、その法則が許す限りでの変化を引き起こすことに他ならず、問題の法則性自体は変わらないことを前提としているのです。
 先に「経済学は(そして自然科学を前提とした工学も)割り切っている」といったのはこういう意味です。経済学の場合なら、「とりあえず「合理的経済人」モデルで行けるところまで行こう」、というわけです。ところがウェーバー、デュルケムとともに、自立した分野として物心ついた社会学は、本質的にこの割り切りが苦手なのです。むしろこうした割り切りを避けて、未知の発見、出会いや予測不能な変化の可能性に心を開いておき、それを理解しようとつとめるところに、社会学は、経済学や政治学など他の社会科学から、己を際立たせるアイデンティティを見出してきたきらいがあります。しかしながらこのようなスタンス、「科学的」というよりも更に受け身で懐疑的な「哲学的」――というと語弊がありますから、あえて言うなら「メタ科学的」な姿勢は、社会学をして政策実践から距離をとらせるだけではありません。「予測不能な変化の可能性への感受性」というメリットは、「予測可能な変化についての予測能力」を犠牲にするというコストを払うことによってはじめて、社会学のものとなっているのではないか――ということです。
 ここからもう一歩踏み込みましょう。以上の議論が正しければ、なにも政策的な応用実践を目的とせず、ただ距離を置いた「科学的」理解に徹しようとも、「変化」を理解し説明するためには、とりわけ「変化」を予測するためには、その変化を根拠づける同一不変の法則性があることを前提とし、それを見つけなければならないのではないでしょうか? おそらくはマルクス主義の歴史理論、史的唯物論や、それに類似の様々な発展段階論もまたそのようなものでした。(史的唯物論の場合には、「革命」という社会変化をもたらす指針として、一種の超マクロ社会工学の基礎付けとみるべきかもしれません。)しかしながらウェーバー、デュルケム以降の社会学モダニズムの子である社会学がこだわった「変化」とは、どちらかというと予測不可能な変化だったはずです。
 なぜそう言えるのか? 社会学が受け継ぎ、乗り越えようとした最大の対象がマルクス主義であった、としましょう。マルクス主義には上記のとおり、史的唯物論という歴史理論があったわけですが、更にこれにイデオロギー論を付け加えてみましょう。マルクス主義によれば、人々の世界観、そして社会観は、その社会環境によって規定されていて、その限界を超えることができません。ということは、彼ら彼女らの世界観によっては、その世界観を生んだ社会環境それ自体の変化は、予測も理解もできない、ということになりそうです。しかしながらマルクス主義者は、そうした部分的に限界づけられた世界観を超えた、正しい歴史認識を持っている、というわけです。
 このマルクス主義の独善を撃ったとしてと、そのあとはどうなるでしょうか? マルクス主義の歴史理論に換えて、より優れた歴史理論を持ってきて、「こちらの方が歴史の動向を正しく予測できる」としてしまったのでは、マルクス主義の独善を繰り返すだけです。それをしたくないのであれば「過去の人々の世界観がそうであったように、我々の世界観、歴史観、社会認識もまた、限界づけられたものにすぎない。そしてそうである以上、その限界の向こう側は、少なくとも現在のわれわれには、正確に知ることはできない」と禁欲せざるを得ません。となるとその結果残される課題は「変化を予測すること」ではなく「予測不能な変化の可能性に備えること」にならざるを得ないでしょう。
 しかしながら「予測不能な変化に備えること」とは、具体的には何を意味するのでしょうか? それは学問というより、単なる心構え、人生訓ではないのでしょうか? そうではありません。
 現在、そして未来に対するこのスタンスを、過去に向けてみるとどうなるでしょうか? 既に確定された事実の集積である過去の歴史的な出来事も、それが起きたまさにその時点、その出来事にとっての「現在」においては、流動的で予測不能な「未来」に向けて開かれていたはずです。現時点から振り返れば必然に見える歴史的ななりゆきも、同時代的には、その時代を生きた当の人々にとっては、様々な可能性のうちのひとつでしかなかったはずです。そのような「忘れられた可能性」を掘り起こす作業であれば、単なる心構えにとどまらない、有意義な知的営みとなるでしょう。考えてみれば「機能主義」の方法論も、日常的な社会的事象の中に、普段人々が意識していない意義を見出すことを目指すわけですから、この「忘れられた可能性の発掘」と地続きであるはずです。このようなスタンスから歴史、ことに西洋近代の学問の歴史の読み直しをすすめて広く影響力を持ち、社会学者でもないのに、20世紀末以降の社会学に決定的な影響を与えたのが、既に名前を紹介したフランスの哲学者(?)ミシェル・フーコーです。フーコーがやろうとしたことは、個別の「忘れられた可能性」を掘り起こす、というものよりは、かつて意識されていたが現在では忘れられているその可能性を成り立たせていた地平そのもの、平たく言えば、現代人とは異なる仕方で、過去の人間が世界を体験し、認識していたその仕方そのものの復元です。

 さて、非常におおざっぱにいって「変化」に対する二つのスタンス、二通りのアプローチを見てきました。過去を含めた自分たちの既知の状態を前提として、その延長線上に未来、あるいは別の社会のありようを「予測」しようとするアプローチと、その反対に現在から未来を流動的で不確実なものとみて、過去さえもそうした潜在的な「未知」の集積として「異化」しようとするアプローチ。これは過去の歴史についてのみならず、別の社会の異文化の理解(人類学の伝統的なテーマですね)にも関係してくる問題です。他者を「自分と同質なもの」と想定するのか、あるいは自分自身をも一種の他者として異化するのか、ということです。この両者は決して矛盾したり対立しあったりするものではなく、それどころか相互補完しあうものでさえあるのですが、一度に両方を同時に追究すべきものでもありませんね。では社会学はそのどちらなのでしょうか? ぼくの考えでは、既に述べたように、ことに既存の他の社会科学との差別化を図るのであればなおさら、社会学は後者の「異化」の道に重心を置かざるを得なくなります。そしておそらくそれは、パーソンズ理論のストレートな継承がなされなかった理由とも関係があります。
 パーソンズ理論に対してはしばしば、それが既に述べたように物理学・経済学、とりわけ後者の「均衡」理論を模範にしていただけに、「本質的に保守的・秩序志向的で、歴史・社会変動の解明に向かない」という批判がなされました。それに対してパーソンズ支持者からは、たとえば「パーソンズの構造機能分析においては、「システムの部分はその機能が果たせなければ変化せざるを得ない/それに失敗すれば今度はシステムそのものが変容・解体の危機に瀕する」という風に、社会変動を理解する枠組がきちんと備わっている」といった反論が提示されました。しかしながらこの応酬は、今となってはどちらもピント外れだったとしか言いようがありません。
まずは「パーソンズ理論は保守的だ」というたぐいの批判は「価値自由」の一言で切って捨てれば済みます。それは俗流マルクス主義による、正統派の経済学に対する「ブルジョワイデオロギーだ」という言いがかりの反復にすぎません。もちろんパーソンズ理論にもそれなりのイデオロギー的偏向がある。しかしそういう偏向から自由な理論はどだいありないのですから、これはパーソンズ理論特有の弱点などではありません。
パーソンズ理論の問題はむしろ、社会変動の扱いに集中している、と考えられます。しかし一部の批判者たちも言うように、パーソンズ支持者たち、そしてパーソンズ自身が、社会変動を軽視していた、というのではありません。むしろ反対に彼らもまた、構造機能主義の社会理論を、社会構造の変動を説明する理論として完成させようという野心を持っていたと思われます。しかしその変動理論が「将来の変化を予測できる理論」を意味していたのだとすれば、そのような理論は、それこそ物理学や経済学(あるいはマルクス主義)のように、その根底に「その変化については考えるわけにはいかない同一不変の構造・法則性」を置かないわけにはいかないのです。しかしながらパーソンズ主義者たちは、社会学者としてそのように割り切ることができなかったため(割り切ってしまえば、マルクス主義や経済学と同じ地平で喧嘩するはめになり、優位に立てなくなってしまいます)、彼らの理論的な目標はどっちつかずの宙ぶらりんとなってしまい、彼らの構想は魅力を失っていったのです。かといってこれはパーソンズ批判者の正しさを裏付けるわけでもありません。もしも批判者たちが、経済学もマルクス主義も超えた「理想の社会変動理論」を求めていたのだとしたら、それはないものねだりだからです。

 ぼく自身の個人的な感想を言わせてもらえば、現在の社会学は、このパーソンズ的宙ぶらりんの状況にいまだにとどまっています。一方ではミシェル・フーコーの絶大な影響のもと、歴史学者と時に張り合い、時に協力し合いながら、「人々が同時代をどのように経験し、認識し、理解してきたのか」についての歴史研究(フーコーは「知の考古学」といった言葉を作りました)が発展し、またこうした「異化」のまなざしを現代の常識に向ける「社会的構築主義」――社会的に人々が共有している思い込み、「常識」を文字通り歴史的に「構築」されたものとして「異化」「相対化」するという方法論――に基づいた研究が隆盛しました。
この「社会的構築主義」の発想からすれば、いわゆる「社会問題」とは、ただ単にそこに実際に起きている出来事のことではありません。その出来事を目撃し、それが解決を必要とする「問題」であると考える人々がいて、なおかつ、そうした人々の意見が世論を強く動かして初めて、その出来事は「社会問題」となるのです。たとえば大衆の貧困にしても、近代に始まったことではなく、有史以来庶民の多くは、食うや食わずの貧困の中に暮らしていたと思われます。それが近代以降「社会問題」となったのは、貧困、富の不平等を、あたりまえのことではなく、道徳的な不正だとみなす新しい価値観が登場し、またそれは宿命ではなく、解決できるし、しなければならない問題だ、とする社会科学が出現してきたからです。現実の貧困自体は、近代化によってどちらかというと着実に解消されてきたはずですが、同時に、貧困を「社会問題」とみなす意識の方も発展してきたため、いつまでたっても「貧困問題」は消えることがないのです。(格差・不平等は貧困それ自体とはまた区別すべき問題です。社会の全員が絶対的には豊かになりつつ、その間の相対的な格差は広がっている、という状況は十分にあり得る――まさに今現在の世界がそうかもしれません。)
あるいはドメスティック・バイオレンス(直訳すると「家庭内暴力」ですが主として配偶者・恋人間暴力のことを指しますね)、児童虐待という「社会問題」について考えてみましょう。これが「夫婦喧嘩は犬も食わない」といったことわざに表されるような「私事(わたくしごと)」から、公的な介入・支援を必要とする「社会問題」とされるようになったのは、ごく最近のことです。しかしながら歴史的に見れば、夫による妻の虐待も、親による子供の虐待も、非常にありふれた出来事でした。数的にいえば、むしろ今の方が少ないかもしれません。(近年日本で起きていると思しき児童虐待の急激な増加は、専門家によれば、こうした長期的な傾向とはそれほど関係ありません。その原因は主として不況による生活苦、貧困にあり、景気が上向けば減少すると予想されています。)
この種の「異化」的な研究に意義がないとは言いません。その反対です。しかしながらそうした作業は、終わりない「異化」の繰り返しであって、決して「一般理論」には到達しません。してしまったらむしろ失敗ですし、またこうした作業はどうしても具体的な素材を解読することによって行うしかなく、抽象的な理論的思考だけでやろうとすると空転するか、もはや社会学とは言えない「哲学」になってしまいます。しかしそうなると本職の哲学者にはかないません。
 他方では、ことに政策志向の研究者たちの間では、むしろ経済学者のように割り切って、暫定的にでもあるポジティブな理論を前提とした上で、実証や予測を行っていこう、という動きもあります。しかしここでも困った問題が生じます。「割り切ってあえて単純なモデルでやってみる」という点では、経済学者たちに一日の長がある、ということです。更に困ったことには、20世紀末あたりから経済学者たちが、かつては社会学者たちの領分だったはずの、普通は「経済」とは見なされておらず、社会学者たちの狩場だったはずの社会現象――恋愛、結婚、出産、育児等の「家族」現象、あるいは学校教育や科学研究、更には選挙、議会制といった「政治」、そして自殺や犯罪――にまで、自分たちのシンプルな「合理的経済人」モデルを携えて大胆に切り込んでくるようになったのです。最初のうちはもっぱら純粋理論的な作業が目立っていたので、社会学者たちも「ふん、視野の狭い奴らめ、人間ってえのはもっと複雑でデリケートなんだよ」嗤っていられたのですが(それでも学校教育と労働市場との関係については、早いうちから実証研究が進みましたが)、そのうちに統計を駆使した実証分析が、社会学者、人類学者、心理学者などとの共同作業によって蓄積され始めると、そうもいかなくなりました。シンプルなモデルを大胆に使って現象に切り込み、もちろんその全部を説明しつくすことはできないけれど、気づかれていなかった意外な事実を発見する、そうした業績が、経済学者たちのリードによってどんどん蓄積されていきます。
 もちろん経済学者たちも、自分たちの「合理的経済人」モデルの単純さには気づいており、時にはそれを修正してもっとリアルにした方がよいことも理解してはいます。そしてそういう、よりリアルな人間モデルによる経済分析――「行動経済学」といった新しい分野も発展してきました。ただしここで気になるのは、行動経済学の興隆にあたって、もちろん社会学者たちの仕事も参照されてはいますが、多くの場合より参考にされているのは心理学、神経科学、コンピューター・サイエンスの業績だ、ということです。

参考文献

 タルコット・パーソンズの著作の多くは大部で難解です。その中で比較的新しく訳された小さな本(長めの論文の翻訳)が安価ですし、ここで提示したパーソンズ解釈――同じ価値観を共有した人々の集まりとしての社会システム――を裏づけてくれる感じですので、紹介しておきます。ただしやっぱり難解。

タルコット・パーソンズ『文化システム論』ミネルヴァ書房

文化システム論

文化システム論

タルコット・パーソンズ知識社会学と思想史』学文社
知識社会学と思想史

知識社会学と思想史

 最近ではパーソンズ研究書もたくさん出てきていますが、まずは先に挙げたような学説史のテキストで、勘所をつかんでおく方がよいでしょう。

 「機能主義」については、二つの古典を紹介しておきます。

ブロスニラフ・マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者たち』『世界の名著 マリノフスキー レヴィ=ストロース中央公論社、所収

バート・K・マートン『社会理論と社会構造』みすず書房
社会理論と社会構造

社会理論と社会構造

 後段の科学的スタンスと工学的スタンスの対比についての議論は、

N・グレゴリー・マンキュー「科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者」
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060622#p2

の他、筒井淳也『制度と再帰性社会学

制度と再帰性の社会学 (リベラ・シリーズ (8))

制度と再帰性の社会学 (リベラ・シリーズ (8))

を参考にしました。

 フーコーの仕事については、まずわかりやすいのは大部ですが

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』新潮社

監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰

でしょう。犯罪とか社会についての見方ががらりと変わります。あとはもう腐るほど文献がありますので、とりあえず

フーコー・ガイドブック』ちくま学芸文庫

ディディエ・エリボン『ミシェル・フーコー伝』新潮社
ミシェル・フーコー伝

ミシェル・フーコー伝

あたりを読んで見当をつけましょう。
 フーコーを紹介するだけの本ならたくさんありますが、それに比べると、フーコーを使いこなして自分なりの分析をしている本は日本ではまだ少ないのが現状です。その中でレベルの高いものとしては、すでに紹介した成沢著、佐藤著の他、

榎並重行・三橋俊明『細民窟と博覧会』JICC出版局

細民窟と博覧会 (近代性の系譜学)

細民窟と博覧会 (近代性の系譜学)

市野川容孝『社会』岩波書店
社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)

などがあります。

 社会的構築主義については、原点である

J・I・キツセ、ジョン・スペクター『社会問題の構築』マルジュ

社会問題の構築―ラベリング理論をこえて

社会問題の構築―ラベリング理論をこえて

の他、カウンセリング等の問題解決への実践的応用を射程に入れた

ケネス・J・ガーゲン『あなたへの社会構成主義』ナカニシヤ出版

あなたへの社会構成主義

あなたへの社会構成主義

があります。講義本論で「どちらかというと構築主義は政策実践・問題解決から一歩引こうという立場である」と論じてきたわけですが、実際にはそう単純ではないわけですね。
 日本における児童虐待構築主義的アプローチについては、

上野加代子・野村知二『〈児童虐待〉の構築』世界思想社

“児童虐待”の構築―捕獲される家族 (SEKAISHISO SEMINAR)

“児童虐待”の構築―捕獲される家族 (SEKAISHISO SEMINAR)

その主因が経済的要因であることについては、

山野良一『子どもの最貧国・日本』光文社新書

子どもの最貧国・日本 (光文社新書)

子どもの最貧国・日本 (光文社新書)

を参照してください。

 経済学者による、社会問題研究への越境については、何よりもまず

スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学』東洋経済新報社

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

をご覧ください。