マクニール『戦争の世界史』より

軍事革命」の一環としての組織的教練について。ナッサウ伯マウリッツ(1567〜1625)。

 マウリッツ公は、(中略)それ以前にはヨーロッパ諸国の軍隊に普及していなかったローマ時代の三つの事柄を強調した。ひとつはシャベルであった。ローマの軍隊はその宿営地を、いちいち急ごしらえの土の塁壁で囲んで要塞化するのを常としていた。マウリッツはそのまねをし、とくに、敵が占領している都市や要塞を包囲攻撃する場合に、兵隊たちに壕を掘らせてその中に隠れさせた。(中略)この種の重労働にはよい副次的効果もあって、それまで要塞を囲んでいる側の軍隊の常態であった、ごろごろ怠惰に過ごすか、さもなくば気晴らしに馬鹿な金遣いをするかの生活が画然とあらたまった。実際マウリッツ公は兵隊がだらだらするのが根っから大嫌いで、かれの兵隊は土掘りをしていないときは、教練で暇がないようにさせられていた。
 マウリッツがローマ軍の先例を参考にして導入した第二の、そして飛びぬけて最も重要な技術革新は、組織的な教練の発達であった。
 (中略)
 マウリッツの第三の改革も教練と密接な関連があった。それは、教練の効果を向上させるとともに、それ自体の効果が教練によって向上する性格のものだった。すなわち、マウリッツはかれの軍隊を、それ以前の慣例よりも細かな戦術単位に分けた。(中略)550人で構成する大隊が(それをさらに中隊、小隊に分けるのだが)、一人の声で発する命令が全体に届くので、教練のためにはちょうどいい単位であった。また、この大きさの単位であれば、上は大隊長から下は徴募されたばかりの新兵まで、全構成員の間に第一次的な人格的紐帯をつくりだすことが可能であった。
(173-176頁)

 戦闘における威力は重要であったが、それに劣らず意義深いのが、教練をうけた部隊が拠点守備と包囲攻撃において示した効率の高さであった。結局のところ兵隊の生活で、実際に敵とわたりあう時間は、そのときを待って過ごす時間に比べれば1パーセントにもみたないのである。これ以前の軍隊にとって、いかにして、不穏な手に負えない状態に陥ることなくそのときを待つかはつねに大問題であった。(中略)ところがそこへ、日課としての数時間の教練は組織するのもやさしく、誰の目にも有用であり、兵隊も喜んで応じるということが明らかになったので、駐屯地の規律はずっと維持しやすくなった。
 さらにそのうえに、こうした教練は、来る日も来る日も反復されていると、オランニェ公やその同輩たちが理解していなかった、理解していたとしてもごく漠然とであったろう新しい効果を発揮した。集団をなす人間が、長期間にわたって拍子をそろえて一斉に手足の筋肉を動かしていると、かれらの間には原始的でひじょうに強力な社会的紐帯が、自然に湧きだすように形成されるのである。
(177頁)

 さて、マウリッツ公の革新は、それまでヨーロッパの軍制を苦しめていた最大のディレンマのひとつを解決するはたらきをした。そのディレンマというのは、軍事技術上の威力においては、14世紀このかた圧倒的に歩兵が騎兵に対して優位にたっていたにもかかわらず、文民社会における既成のヒエラルキーにおいては、依然として歩兵は平民にすぎず騎兵は貴族さまであるというボタンのかけ違いであった。(中略)
 ところが17世紀の初頭にマウリッツの革新が事情を一変させた。ヨーロッパの王侯たちは、都市の街頭にたむろする半失業者や、赤貧の農民の息子を入営させて反復的な教練をほどこせば、文字通り別人につくりかえられることを知った。平等主義的な思想はもはや軍隊内に共鳴をひきおこさなくなった。
(185-187頁)


☆脚注によれば教練についてのこの洞察はマクニール自身の軍務経験からインスパイアされた、基本的にオリジナルなものであるという。後続する研究はあるのだろうか。

近代的群衆統制法

 正規兵部隊を投入して民間人の群衆を鎮圧することは、18世紀の軍隊にとっては不得手な任務であった。(中略)
 なぜなら、近距離から群衆にマスケット銃の一斉射撃を浴びせたら大惨劇になってしまうが、それ以外の戦術は当時まだ開発されていなかったのである。群衆統制の方法がヨーロッパ諸国の治安警察部隊によって組織的に開発されるのは、ようやく1880年代になってからである。1889年のロンドン沖仲仕ストライキのとき、はじめて「お願いします、立ち止まらないで歩き続けてください(Keep moving please.)」の原理が確立した。つまり、あらかじめ決められた道筋をとおっての行進と平和的な意思表示は許容したのであった。これが群衆統制の現代的な技法の夜明けであって、いきり立った群衆に、何時間にもわたって肉体運動と大声で叫ぶことを許すことでそのエネルギーを無害なかたちで使い果たさせてしまい、そのことで実力行使によって群衆を追い散らす必要がないようにするのである。
(255頁、第6章注7)


☆街頭での群衆統制についてのこの大変興味深い記述は、脚注でさらっとなされているのだが、大変残念なことに典拠となる文献・史料が提示されていない。1889年ストライキについてなら、労働史を中心にかなり文献はあると思うので、その中にはこの論点に触れたものもあるのかもしれない。


戦争の世界史―技術と軍隊と社会

戦争の世界史―技術と軍隊と社会