終了してない(4)

 新学期が始まり報告の日程も決まり〆切も設定されて英作文に戻ったから当方もヲチ態勢に移行……というのは無責任にすぎるか。

ミクロがご専門のtazuma氏の感想

もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係になっていれば、前者により近い価値観を持つ人と、後者により近い価値観を持つ人は、複数の政策(一方は成長を重視、一方は平等を重視)を比較する際に絶対に合意することがない。あとは政治的闘争。


ただしそうでないならば、win-winの政策が存在する可能性がある。この場合は異なる価値観を持った者の間の政策的論議が可能になる。典型的な議論の形式は「お前の価値観に従ったとしても、俺の政策の方がおまえの提案する政策よりよい。」という形をとる。例えば成長したほうが結果的には貧困層にもよい(トリックル・ダウン)とか、成長したほうが政治的な制約がきつくならないので再分配政策がとりやすいとか。ところでこれはよくある成長側のレトリックだが、平等側からの相似的なレトリックはまだ出て来ていない。原理的には、逆に再分配をしたほうが成長に好影響を与えるという議論も可能なはずだ。しかしこれはないものねだりなので、id:mojimoji氏の問題意識を受け継いだQuantに強いマクロ学者が引き継ぐべきということになる。ただし後者のレトリックは比較的マイナー。

 政治学社会学プロパーの「政治経済学」研究の方でこの手の議論があったように記憶しているのだが……理論ではなくラフな実証で……ちょっと今出てこない。

当方の議論のたて方の不適切な点を思いつくままに上げてみる(1)

・当方は「社会的選択の話をする前に、まずは経済を完全雇用にもっていかないと」と申し上げており、それに対してmojimoji氏は「議論として成り立っていない」と切り捨てる。どこがどう成り立っていないのか? 
 mojimoji氏のご指摘とは別に、当方の議論のあいまいな前提を、こちらで勝手にできるだけ反省して明示化してみると;
1.「選択肢集合は大きい方がよいのではないか」
2.「政治過程においては実行不可能な選択肢が俎上に乗せられ、あまつさえ選ばれてしまうことがありうるのではないか」
といったものであったが、まず2に対しては
×2「そもそも実行不可能であれば選択肢ではない。合理的な主体を仮定したならば、そんな想定はナンセンス」
となる。系論で
×1「「選択肢集合は大きい方がよいのではないか」と問題を立てると、それこそ複数の選択肢集合・の間での選択(つまり選択肢集合・の集合)、という風にそれこそ無限後退を引き起こすので、やはりまともな議論をする際には禁じ手とすべし」
ということになるだろうか。
 おおざっぱに言えば、人間に対して私人としてはおおむね合理的(ホモ・エコノミクス)であるが公人としては(実行不可能な選択肢に賛成してしまうくらいに)非合理的である、という想定をしてしまったことになる。もちろんこういう想定がリアルであることは十分あると思うが、それにしても整合性が足りないので、こうした想定をなすにあたっては、その理由付けが必要。


・「ポル=ポト」について
 もちろん再分配はどこかでポルポトにつながってはいるが程度の差はほとんど質的と言っていいほどに大きいことも確かである。ではどのような差があるのか? 
 たとえばmojimoji氏が想定しているのはせいぜい、主として所得ないし支出――つまりフローに対する課税を通じての再分配である。こうしたフローに対する課税等の公的負担に経済がどの程度耐えうるのか、については実は全くよくわかっていない。20世紀の世界大戦の経験が、かつてのあらゆる常識を粉砕した。公的負担率が5割を優に超えても、依然として活力ある資本主義経済であることは十分に可能であるらしい。どのみちそこに単純な線形の法則性はない。
(この手の政府の規模・公的負担についての研究は、

福祉国家と平等―公共支出の構造的・イデオロギー的起源 (1984年)

福祉国家と平等―公共支出の構造的・イデオロギー的起源 (1984年)

によって先鞭が付けられ、以降主として福祉国家を研究する社会学者・政治学者によって進められてきたが、近年の収穫としては計量経済史学者による
Growing Public: Volume 1, The Story: Social Spending and Economic Growth since the Eighteenth Century

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Growing Public: Volume 2, Further Evidence: Social Spending and Economic Growth since the Eighteenth Century

Growing Public: Volume 2, Further Evidence: Social Spending and Economic Growth since the Eighteenth Century

ではないかと思う(積読)。)
 他方「ポルポト」の名とともに警戒されているのは、指令型経済を導入した社会主義国における、単なる所得に対する課税ではない、資産接収、対価なしの公的収用であろう。cf.ジンバブウェ
 ただしこうした対価なし、あるいは不当に安い「対価」による強制(に近い)収用の歴史もまた社会主義に限られたわけではない。そう、我々は様々な農地改革、農民解放の歴史を持っている。その辺を検討するとどうなるだろうか。
 日本に限定して、もっとも単純な農地改革の総括をしてみると、「競争力のない農業保護という死荷重を抱えるというコストによって、保守政権の基盤を安泰とした」というお話があるが、これはもちろん単純すぎるし、他の国の事例はまた千差万別である。
戦後日本の市場と政治

戦後日本の市場と政治


・私にせよsvnseeds氏にせよある種の「いらぬお世話」ないし先読みによる邪推をしていたかもしれない。なぜsvnseeds氏は「仕方ない、みんなで立ち上がろうっ!」を「本当に恐ろしいと感じる」のか? たしかに誰もここで暴力革命・武装蜂起の話はしていない。民主主義的な政治プロセスの中で「立ち上がろう」というお話であると読むのが自然である。そういう立憲民主主義の枠内であれば、そう無茶はできないはずだ。
 では何が「恐ろしい」のか? svnseeds氏にも、そしてぼくにも、少なくとも現今の日本の政治情勢下では、その立憲民主主義の枠内で「立ちあが」ったところで、さほどの成果が期待できない、と思えるからだ。
 ぼくの考えでは端的に言って、先進諸国における貧困者その他の社会的弱者はマイノリティであり、政党を結成して議会における多数派を形成し、政権を奪取する、などということが想定しづらい。仲間を結集して連帯することにも意味はあるが、それは「立ち上がる」前の前のくらいの段階だ。(そこで終わるならば何だっけ、前におおや先生が言っていた通り「宗教」である。もちろん宗教にもそれなりの価値はあるには違いないが。)となると地道などぶ板活動を通じて、必ずしも仲間とは言えない人々の間にも広く支持を集め(シンパを作り)、多数派形成をするとか、あるいは既存の大勢力の支持をうまく取り付けるとか、とにかく「立ち上がる」までの準備段階がおおごとであるし、また「立ち上がり方」もそう単純なものではあり得ない、ということである。
 もしもそういう地道な準備段階をすっとばして「立ち上がろう」というのであれば、それは実際には立憲民主主義の枠を外れた何らかの実力行使――たぶんそれを「市民的抵抗」と呼ぶことはできなくはなかろうが――になるのではないか。このような予想が、おそらくsvnseeds氏には何となく念頭に浮かんでのではなかろうか。まあぼくの場合はぶっちゃけそうである。
(正確に言えば、まさか実際に実力行使を呼号するわけでもなかろうが、そうでないとするとどういう理屈になるのかわからん、てところか。でも実力行使って言っても幅が広いといえば広い。「川崎バス闘争」(ググれ)程度でも見ようによっては実力行使かもしれん。おおや先生の「プリンスホテルも市民的不服従」にはわらったが。)
(「川崎バス闘争」といえば、以前知人が福祉系大学に勤めていた時に授業で川崎バス闘争のビデオを見せたら、学生から「アルカイダみたい」という感想があって地の底に吸い込まれそうなほど脱力したそうだが、ここは学生を笑うところか、それとも「世の中とはそもそもそういうものでそういう人々を味方につけてなんぼ」なのか?)
 まあしかしこれは冷静に考えれば多分に「いらぬお世話」であり邪推だよね。だいたいそういう無力な左翼の暴発があったところで、大した被害は出ないはずだし、それにちゃんとした左翼の人は、「立ち上がる」前に必要なそういう足場固めに日々努力しているはずで、ダメな左翼の例ばかりを念頭において非難したのではフェアではないから……。

なお残る疑問

 ぼくが当初気にしていた問題を、以上を顧みて今一度示すと;
1.不完全雇用状況ならば、不平等のもっとも重要な要因は失業であり、その解消策は景気対策、成長ではないか?
2.完全雇用状況における再分配は不完全雇用=失業をもたらし、かえって不平等を促進する危険がありはしないか?
3.政治において実現不可能な「選択肢」が真剣に議論され、選択されることは十分にありうるのではないか?
 以上に対しては;
×1そうすると成長によってただちに不平等は緩和されるから、どちらが先ともどちらが後とも言えないのではないか。(松尾氏言うところの「疑似問題」)
×2その場合の「不完全雇用」はケインズ的な有効需要不足によるものではないので、1.と同じ問題意識では語りきれない。
という反論ができそうな気がしてきた。
 しかし3については……現実に嫌になるほどあったはずだが、そのメカニズムをきちんと提示するのはかなり難しい。