カーをちょこっとかじっただけで、モーゲンソーもウォルツももちろんミアシャイマーも読んでいないのに、無理矢理リアリズム国際政治学について考えてみるよ。(続:覇権安定理論の復習もするよ。)

 一つ知りたいことは、オフェンシブ・リアリズムの人たちは国際政治経済についてどのような見解を抱いているのかということだ。彼らの考える国力の根幹は結局は武力とそれを適切に行使する戦略的知性ということになるだろうけれど、武力の下部構造って結局経済、生産力と技術じゃん。そう考えると覇権志向と経済力というのはなかなか微妙な関係にあると思うんだが。つまり、もし仮に世界征服が完了して地球帝国になってしまえば、その中できちんと自由経済をやれば済む(しかしながらクルーグマンが予知したような複数マクロ経済圏=通貨圏の自然発生問題が浮上しそうな気もするが)だろうけれど、その途上ではどうすればよいのか? やっぱり管理貿易・閉鎖経済を志向するのではなく、自由貿易体制を維持しつつ覇権を指向するしかないのだろうけれど、そうすると覇権を志向しながらもライバルたちと一定の友好関係を維持しなければならん、という苦しい話にならないか。
 ある程度熱心に勉強したのはもう20年ほども前だが、ロバート・ギルピンなんかの覇権安定理論なんてのは、覇権国家自由貿易体制を保持するための国際公共財の提供者になり、その負担がきついのでいずれ覇権国家は交替する可能性が高い――ってサイクル理論だったけど、これって経済理論的に見てどうなのかね。この理論は短期的にはアメリカの没落を予言したものだけど、それ自体は外れたね。でもその言わんとするところはわかるような気がする。この理論によると覇権国は帝国というより多国間協調体制のリーダー、ってレベルにとどまるわけだね。そして基本的に自由貿易を指向する、と。それが結局、「超大国」にとっても「帝国」化するよりは最適に近いんじゃないかなあ。


 あとやはり気になるのは、オフェンシヴ・リアリズムは国家体制自体の相対化の可能性について、どれくらい真面目に考えているのか、だ。国家が軍事力の主要な担い手である時代、というのは、それこそ近代国家の出現以降のことで、武力の担い手=国家というわけではないからね。近代国家だってもともとは、常備軍からではなく傭兵の抱え込みから出発したわけだし、近時話題のPMCなどを考えても、軍事力もまた市場において取引される商品でありうるわけだ。つまり経済は、財政というルートを迂回してのみならず、市場を通じて直接に武力・軍事力を動かしうる。もしかりにオフェンシヴ・リアリズムが一種の軍事決定論だとすれば、それよりは経済決定論の方にぼくはリアリティを感じるのだが。


世界システムの政治経済学―国際関係の新段階

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グローバル資本主義―危機か繁栄か

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戦争の世界史―技術と軍隊と社会

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兵器と文明―そのバロック的現在の退廃

兵器と文明―そのバロック的現在の退廃

The Shield of Achilles: War, Peace and the Course of History

The Shield of Achilles: War, Peace and the Course of History

追記

 こんなことを書いたのもこういうとてつもなくキナ臭い本の知らせが届いたからだよ。

国力論 経済ナショナリズムの系譜

国力論 経済ナショナリズムの系譜

イギリス民族学会賞を受賞した現役経産官僚による
衝撃のデビュー作!

なぜ経済学にはネイションという概念が存在してこなかったのか?経済学の盲点を突き、ネイション不在のまま人間の紐帯を切り崩す支配的な経済理論(市場原理主義)に警鐘を鳴らす。リスト、ヒューム、ヘーゲルらの思想を読み込み、経済ナショナリズムの有効性を歴史=哲学的に実証した野心的知性の誕生。グローバリゼーションの行き詰まりが露わになったいま、今後世界を席巻するであろう。「経済ナショナリズム」理論の核心をいち早く紹介する。6月には『国家とはなにか』の著者、萱野稔人氏との対談も決定し、各誌メディアへも登場予定!

【目次】

序章  正統と異端

第1章 もう一つの政治経済学 ハミルトンとリスト

第2章 国力論の源流 ヒューム

第3章 国力の哲学 ヘーゲル

第4章 裏切られた創始者 マーシャル

第5章 経済理論とナショナリズム

終章  経済ナショナリズムの可能性

 こういう立場はリアリズム国際政治学につながるのだろうか? もしつながるなら、それはひどく危ういよね。
 誰か読んだら紹介してほしい。

追記

 なんつうかこの本への誤った反論になっているような気がしてね。

「強国」論―富と覇権(パワー)の世界史

「強国」論―富と覇権(パワー)の世界史