教育ヴァウチャーの問題点

 教育バウチャーは、しばしば、米国で貧困層に支給されるフードスタンプ(食料購入のみに使えるクーポン)に譬えられるが、誤りである。商店は、フードスタンプで対価を払う消費者を拒否する必要はないからだ。
 経済的・社会的に恵まれない子供や親にとっての選択肢の、「実質的」拡大を目指すのであれば、私立だけが持つ裁量の余地を制限していくことが避けられない。生徒にとっての選択の大きさと学校側にとっての選択肢の大きさは、トレードオフの関係にあるのだ。

赤林英夫「的外れな日本の教育バウチャー論争」『中央公論』2007年2月号、211-212頁

 日本で教育バウチャーを導入した場合の影響を、三ケースに分けて考えてみたい。
 第一のケースとして、スウェーデンのように、すべての私立学校に、公立の85%ほどの補助金の注入、入学希望者は全員入学(もしくは抽選)させられるように選抜方式の規制強化、そして学費の完全撤廃を同時に行えばどうなるか。従来の意味のエリート私立校はなくなるであろう。(中略)
 これは私立の準公立化と言ってもいいが、これが必ずしも悪いわけではない。どの子供も、希望の学校に入学するチャンスが真に無差別的に与えられるし、入学試験準備のための受験産業は不要になる。家庭環境と関係なく「行きたい学校に行ける」という状況は、この場合に初めて実現する。生徒の選別はないので、学校は、教育内容の質と創意工夫、すなわち「教育力」だけで競い合い、評価されることになる。そのためにも、カリキュラム規制だけは緩める必要があろう。(中略)
 第二のケースは、ミルウォーキーのように、低所得者を対象として、私立学校に受け取りを強制しないバウチャーを導入するやり方だ。(中略)このケースでは、エリート私立は参加せず、経営困難に陥っている私立が多く参加してくることは確実である。(中略)
 最後のケースはニュージーランドに近い。もし、「補助金格差是正」「私学規制反対」を名目に、私立が保持している自由度をそのままにして、公立学校の運営費に近い額のバウチャーがすべての子どもを対象に導入されればどうなるだろうか? すべての私立がバウチャーを受け取るだろう。そしてバウチャーは、すでに私立に在籍している生徒への補助金となる。そこで浮いたお金は、幼児教室や中学受験塾に費やされるであろう。
 バウチャーが導入されている先進諸国のなかで、初等中等教育にこれほど入試が蔓延している国はない。親子面接や志願書からかいま見える情報で、学校側が特定の家庭の子どもを恣意的に排除することは難しくない。たとえ授業料が免除されても、幼児教室の月謝が払えない家庭は、現実のお受験をクリアして「名門私立」に子どもを入れることはできず、そんな子どもの教育機会は広がらないだろう。結果的にバウチャーは、富裕層への補助金となろう。

同上、213-214頁


 フードスタンプとの教育ヴァウチャーの違い。
 パッケージ化された学校教育サービスの供給は、バラ売り可能な(しかもそのバラ売り可能性はあくまでも学校教育のカリキュラムの体系性に依存することで初めて可能となっている疑いがある)塾・予備校のサービスと異なり、弾力的ではない。したがって混雑現象はほぼ不可避であり、選別問題が生じる。
 かつて橋爪大三郎は、大学入学における定員廃止と抱き合わせの入試廃止=希望者全入案を提示した。その際定員問題は落第者のキックアウトによって解決する、とされた。しかしこの提案は当然のことながら、初等中等教育に対してはそのままでは適用されえない。