長谷川裕一本続報

 帯公開――というかすでにamazonの出版社/著者からの内容紹介欄に公開済みだす。

 オタクの楽園は、本当に不毛の荒野なのか?
ナウシカ解読』で明晰な宮崎駿論を展開した著者が、日本で2番目にオタクの心がわかっているまんが家(by岡田斗司夫長谷川裕一を中心に、鉄腕アトム鉄人28号からガンダムエヴァンゲリオンにいたるオタクの遺伝子=SFの変容と可能性を描く、壮大な長谷川裕一&SF論。
「オタク的快楽が、ある種常識的な人々に怖気をふるわせる理由は、その人工物や虚構への耽溺でしょう。(中略)しかし本当に人工物、そして虚構とは、何も生み出さない不毛なものなのでしょうか? そして人工物と虚構で埋め尽くされたオタクの楽園には、本当に「外」が存在しないのでしょうか? 本書のテーマは、実はそういうことです。オタクの楽園は本当に不毛の荒野、管理された箱庭、ポルノグラフィックなディズニーランドでしかないのか――ということです。その問題について考えるために、オタクの原点であるSFについて、いま一度考えてみよう、という作業の、とりあえずの最初の一歩です。――稲葉振一郎「はじめに」より

ところで――
たとえば
http://d.hatena.ne.jp/akirahs/20050208/p3
などに非常に典型的にみられまして、対談でもたとえば;
「稲葉 失礼な言い方になるかと思うんですけど、常に長谷川さんのファンの間で囁かれてるのは「絵がアレだ」とか「いやアレがいいんだ」とか。
長谷川 言われ続けて十ウン年っていう感じでもう(笑)。」
あるいは2漫から引用すると
「絵に関していえばアンチから見て「へたくそ」、信者から見て「デビュー時から古かった」評論家から見て「昔懐かしい少年漫画」などといわれてしまうが、あの絵でなければという人も結構多い。」
いう具合にご本人含め関係者の間では既に周知の「絵がアレ」ゆえに少なからぬ人々にスルー食らってる長谷川まんがでありますが。その壁を突破するのに果たして本書は役に立つのか――が問題であります。

では個人的に知っているサンプルを、たった一例ですがご紹介しましょう。

長谷川裕一まんががすぐ手に届く範囲にあったにもかかわらず、「絵がアレ」との理由で黙殺していたとある20代男性。
しかしとりあえず本書の第2章の草稿を見て興味を惹かれ、『マップス』を手にとる。

第一段階――
「(序盤数巻で)ねえ、この人ロリコン? やばいんじゃないの? 小さな女の子の裸ばっかりだよ?(かなり懐疑的)」
第二段階――
「(中盤まで読んで)――面白い。(謙虚になっている)」
読み終えて――
「うん面白かった。なんか一見普通みたいだけど、でも普通のまんがよりスケールがふた周りくらい大きい感じだよね。
 でも最後の方じゃみんな裸なもんだから、もうなんとも思わなくなっちゃったよ……。」

 というわけで感触はよい。
 問題は、だ。『ナウ解』の読者ならまだしも『存在証明』『教養』の読者のうち一体どれくらいが本書に手を出して、更にそのうち一体何割が長谷川裕一を読むか、である。
 何しろ実は『存在証明』を読んでいるのに『教養』を読んでくれていない人が結構たくさんいるらしいのである……。