宇宙における財産権と主権をめぐる雑想2

 私法レベルでの財産権保障の枠組みが宇宙にストレートに延長されていくことを容認するとしても、それを支える公法的秩序、とりわけ国家主権、国際(公)法風に言うならば管轄権配分の問題は一筋縄ではいかない。
 これまで「宇宙物体」といえば基本的に地上から打ち上げられた人工物であり、それには明確に所有者と、そして国籍が定められている。そして宇宙法の顕著な特徴として、それら宇宙物体については、たとえ私人の所有物であっても、国家が直接的に責任を負っている。しかしこの原則は、あくまでも人工物たる宇宙物体――人工衛星、宇宙船等――を念頭に置いたものであり、自然の宇宙物体、つまり天体を念頭に置いたものではない。
 2015年の合衆国の法改正がいかなる射程を持つのかはいまだ明らかではないが、少なくともそれは自然の天体由来の物体に対する私的な財産権の成立を認めたことになる。先にも述べたとおり問題は、それが無個性な果実とみなしうる範囲では構わないとしても、個性的な存在、つまりは天体まるごとないしその一区画にまで及ぶかどうか、である。偶然的な採取とかではなく、系統的な資源採掘などを念頭に置いた場合、天体丸ごととまではいかなくとも、少なくともその一区画くらいについては、所有権ないしそれに類した(鉱山採掘権等)財産権の行使が認められねばならないだろう。しかしそのような元物、不動産のレベルにまで宇宙における財産権を認めるとするならば、その財産権を保障する公法的枠組みは、相当に洗練されて堅固なものでなければならない。
 この、宇宙のしかも他の自然天体をめぐる公法秩序は、最初から強制力を持った単一の国際宇宙法の枠組みを設定するのではない限り、既にある国家間秩序の枠組みを延長したものにならざるを得ないだろう。すなわち、宇宙条約2条に違背することになるが、何らかの形で、深宇宙の他天体への国家主権の延長、宇宙における国家管轄権の配分を考えていかなければならないだろう。実際そうしなければ、既に宇宙条約その他で確立している、(人工の)宇宙物体に関する国家への責任集中の原則ともうまく整合しない。


 しかしながらこのような深宇宙への国家主権の延長は、きわめて多くの問題を引き起こさざるを得ない。まず思いつくのは、領域権原の問題である。
 私法秩序上、ある自然物を私人が自分の財産とする際には、ロック的な無主物の占有取得のロジックを援用することには、それほど大きな困難はない。しかしながら公法、国際公法のレベルで、同様のロジックを援用することには、きわめて大きな問題がある。すなわち、私法類推で、私人が無主物の所有権を先占、占有取得によって獲得するのと同じように、ある国家が先住者がいない、少なくとも既存の主権者がいない領域、「無主地」を征服して自らの主権のもとに置く「原始取得」の法理は、近世であればともかく、現代においてはとうに過去のものである。国際法上の国家の領域権原(ある国家がある地域に対して主権を主張しうる根拠)についての理論は、単純な「原始取得」でよしとするところから、単に取得されるだけではなくそれが国際社会に公知されること、更にその地域に対する長期間の実効支配が継続し、国際社会による承認を得ることが必要である、というところにまで進んできた。そして20世紀後半のポストコロニアル時代においては、旧植民地国家と旧宗主国、更には旧植民地国家同士の国境紛争などを通じて、ほとんど「現状維持」と見まがうuti possidetis原則に到達する。これはある意味で領域秩序を、国境紛争当事国や当該地域居住者などの意思よりも、国際社会総体の合意に基づけようとする考え方である。そこでは、地球上には「無主地」と呼びうる土地など存在しない、という認識が踏まえられている。
 しかしこのような国際社会の現状が、ことによっては大きく崩れてしまう可能性がある。すなわち、地球外の他天体に対しては、「無主地」として「原始取得」の論理が適用可能である――というよりそもそもuti possidetis原則が援用されるべき「現状」がそもそも存在しないのである。


領域権原論―領域支配の実効性と正当性

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