某提言第一次稿

 ほぼ原形のまま最終提言には組み入れられています。

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 いわゆる「アベノミクス」の柱は大胆なマクロ拡張政策、すなわち大規模な金融緩和による景気浮揚、それによる完全雇用の達成であり、これによって底上げを伴う経済成長を実現することである。黒田総裁―岩田副総裁による新体制以降の日銀の「異次元緩和」は、公約における物価上昇の実現にこそ失敗しているが、大幅な円安は実現し、株価や雇用における大幅な改善を見ている以上、一定の成果を上げていることは疑いない。しかしながらこの景気改善動向には、消費税の8パーセントへの増税によって歯止めがかかってしまった。
 本来の「アベノミクス」の基本戦略、これは日本の「失われた20年」とリーマンショック以降の世界不況の経験を踏まえた新たなケインズ政策の枠組み、野口旭の表現を借りれば「ケインズ主義2.0」に則ったものと解釈できるが、それは、
・70年代以降のスタグフレーション下でケインズ政策の有効性のみならずケインズ的な経済認識への懐疑が深まったが、「失われた20年」とリーマンショック以降の動向は、やはりケインズ的な意味での不況、そして有効需要不足による失業はれっきとした現実であることが明らかとなった。
ケインズ的な不況・失業の主因は貨幣供給不足であるが、現代の変動相場制のもとでは各国の中央銀行に確固たる意志と戦略があれば、金融政策によってそれは防止できるし、何らかのショックから不況に転落した場合にも、十分に克服できる。
・ただし平時における金融政策の主たる手段である政策金利中央銀行市中銀行の取引金利など)の操作は、とりわけ厳しい不況の際には通用しない可能性がある。なぜなら平時には金融緩和はこの金利を下げることによって行われるが、不況が悪化した場合には市中金利がほとんどゼロにまで下がってしまい、政策金利をそれ以下に引き下げることが不可能に近くなるからである。ポール・クルーグマンの「調整インフレ」論以降議論されるようになった「非伝統的金融政策」とは、この状況下で、金利引き下げ以外の手段で金融緩和を行う手法のことであり、いまだ学問的に「定説」として確立したものはないが、様々な仮説が提案されているのみならず、それとは独立に実務における試行錯誤がすでに蓄積している。「異次元緩和」もまたそうした試みの一つであり、相応の成果を上げている。
――という風に理解できる。


 それでは、このアベノミクス財政再建との関係はどう考えればよいのか? 
 アベノミクスにおける財政再建への基本戦略は、財政それ自体をいじる、つまり歳出を合理化し、税制を変えることによって歳入を増やして収支を改善するよりも、財政の基盤である民間経済の状況を改善する、つまり完全雇用の実現と経済成長によって、税制自体をいじらずとも自然増収が達成されることを期待する、というものである。この戦略は日本の歴史的経験に照らしてみても、一定の合理性を持つ。すなわち、石油ショック以降の日本における財政赤字の克服に最も寄与したのは、80年代後半の「バブル」にまで導いた高成長の持続による自然増収であって、財政制度それ自体の改革ではない、と。
 しかしこうした戦略は、財政それ自体に視点を合わせたときには「他力本願」で無責任にも見えてしまう。すなわち、「もし仮に景気回復がうまくいかなかったどうするのだ?」という反論にこたえる用意がないように見える。
 しかしながらこのような反論を行う立場をとる論者は「完全雇用は達成できないかもしれず、経済成長はできないかもしれないが、そのような状況下でも財政は均衡させなければならない」という発想を前提としていると考えざるを得ない。この発想は若干倒錯しているのではないか。それに対しては「そもそも財政を含めた社会経済政策全体の目標はなんであるかといえば、国民生活の向上であって、財政の健全化それ自体は、その目標に奉仕する手段に過ぎない。もちろん完全雇用の達成、経済成長の実現もまた手段にすぎないが、国民生活の向上という目的に対してはより直接的に寄与する手段であり、財政はあくまで、再分配を通じてそれをサポートするに過ぎない」と答えることができる。まして我々は、一時期のケインズ政策批判、マクロ政策に対する悲観論を、ある程度乗り越えつつある。


 ただし以上のように最大限善意に理解した「アベノミクス」は実はいわゆる「三本の矢」のうち「第一の矢」のみ、譲ったとしても「第二の矢」までであり「第三の矢」は含まない。「ケインズ主義2.0」においてマクロ経済政策の主柱、不況の防止、ならびに実際に不況に陥った場合のそこからの回復における主役はあくまでも金融政策である。財政赤字という副作用を生む財政政策は、あくまでも緊急避難に過ぎない。そもそも「第三の矢」、「民間投資を喚起する成長戦略」とは具体的に何を意味するか不明であるが、仮にそれが成長産業に対する優遇などの「産業政策」であるならば、これは政府に将来の成長産業を予想する能力がある、という非現実的な想定に基づくものであり、到底首肯できない。
 そのうえ現実の安倍政権の経済政策は、消費増税によって景気回復を腰折れさせてしまった。「完全雇用の実現の成果に立って財政再建を」というその想定された本題の軌道からそれてしまったのであり、その限りでは重大な失敗を犯している。
 更に「アベノミクス」に欠けているのはいうまでもなく所得・富の再分配、公平という観点である。完全雇用の達成は言うまでもなく経済全体の底上げ、つまり最も不利な位置にいる人々の生活条件の改善を含意するし、失業者と就業者の間の格差、という極めて重要な格差を減らすことによって平等化に貢献することは確かであるが、それでは足りない。「アベノミクス」においては、完全雇用が達成されてからの経済社会の中で、人々の間に公平な関係を作り出していくための積極的な戦略が欠けている。完全雇用と経済成長によって、ある程度財政に余裕ができ、こうした政策を撃つためのフリーハンドが増やせるにもかかわらず、である。


 以上のような認識にのっとり、我々は金融政策を主柱とする積極的マクロ政策の運用による完全雇用の達成を、明確な政策目標として掲げる。財政の健全化という目標は、あくまでそれに付随したものとして位置づけられる。そのうえで完全雇用と経済成長の成果を、より公平に社会全体にいきわたらせるための財政の再設計を提唱する。