http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20120615/p2
の続きとして読んでいただきたい。
実は以上に述べてきたような意味での「全体性」の理解を前提にして初めて、『入門』で触れた「方法論的全体主義」=社会学的「全体論」の意味も、更には、『入門』巻末の付録において「宿題」として提示した、クワイン=デイヴィドソン的な「意味の全体論」との関係もある程度明らかになってくるのである。
『入門』では「方法論的全体主義」における「全体」という語で示される対象を、実体としての「全体社会」などという具体的には存在しないものから、「社会的に共有される意味・形式」を共有する人々やその関係性へとずらしたが、そのような「意味」もまた、一つひとつの言葉、表現のレベルで独立したものではなく、「全体」をなすことを指摘するのが、クワイン=デイヴィドソン的な「意味の全体論」である、とすると、ここで問題は解決されたのではなく、先送りにされただけだということになってしまう。
そうすると「意味の全体論」においてもまた、そこにおける「全体」とは「一挙的に見まわすことができるような対象ではなく、その存在を想定することによってしか有意味な認識や実践ができなくなるような「地平」のことである」という他はない。
「意味の全体論」は、しばしば教科書的に解説されているように「個々の言語表現が世界内の個別の物事に対応しているのではなく、全体としての言語が全体としての世界に対応している」という風に解釈したのでは、その謂いは過度に一般化され、かつ神秘化されてかえってわからない。むしろそれは実践的な表現とその解釈の現場において、ダイナミックに考えられるべきである。
他者の発話、ないしは有意味な振る舞いを解釈するためには、個々の発話、振る舞いをそれぞれ切り離したままではだめで、複数の表現のネットワークと、それが置かれた現実のコンテクスト(発話状況)を考慮に入れなければならない。「意味の全体論」の趣旨はまずはそう考えるべきである。かといってここで、個別の発話を解釈するために考慮に入れなければならない他の言語表現のネットワークの範囲はどこまでであり、また参照すべき現実の状況も、今現在直面しているそれ以外のどこまでなのであろうか? 純粋に理屈だけでいえば、そこに明確な境界線など引くことはできないのだから、言語表現全体と、全体としての現実世界そのもの、にまで参照すべき範囲は無際限に広がってしまいかねない。しかしながらそんなことはもちろん不可能である。
つまり「意味の全体論」とは「コミュニケーションを行う者同士が、あらかじめ全体としての言語と、全体としての世界についての知識を共有し、それに照らして個別の具体的な表現を解読しあっている」などという主張として解釈されてはならない。具体的に言葉を用いて発話し、表現する者、そしてそれを解釈する者があらかじめ知っていることの総体はもちろん有限であって、言語や世界の総体を包括するわけではない。またそれはいくぶんかは共有されているとしても、ぴったり重なりはしない。だから現在進行形におけるコミュニケーションは、基本的に不完全であり欠落や誤解に満ちている。しかしながらそれが未来に向けて開かれている限り、いずれはそうした欠落や誤解も埋められ、正されていくチャンスは常に残されている。「全体としての言語」というものがあるとすれば、そうした未来までをも含めてのことである。
【参考文献】
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