森建資先生退官記念講演とパーティーを終えて

 森先生の講義「独立と従属の政治経済学」は先生のこれまでの研究を総括しようという壮大な試みだったが、単行本にまとめられた『イギリス農業政策史』についてはうまい位置づけがなされないままに終わってしまった。
 その後のパーティーでのお話で意外だったことは、先生ご自身がこれを一種の「失敗作」と位置付けておられることだった。自由に海外に行けず、世界中の図書館や古書店から目録を頼りに実務法律書を収集してようやく書かれた『雇用関係の生成』に比べて、毎年イギリスに足を運んで現地で文書館に通い詰めて書かれた『農業政策史』の方が完成度の低い仕事になっていたという皮肉につき慨嘆され、「現地に行ったからと言ってよい研究ができるわけじゃない」としきりと繰り返されていた。


 先生にもお話したのだが、『雇用関係の生成』という本の圧倒的な魅力の一つは、手垢のついた段階論や年代記的な線形の記述の枠組みから完全に解き放たれ、現在という時点から振り返られた過去、歴史というものの厚みがリアルに描き出されているということだ。10年前の過去の出来事の方が100年前の出来事よりも今現在の我々にとってより近しいとは限らない。ほんの1年前であるにもかかわらず、すっかりその痕跡を消し、我々の現在に対して何の有意な作用も及ぼしていないような出来事もあれば、千年以上も前に起きたことであるにもかかわらず、今なおわれわれの生の形を強く規定し続けているような出来事もある。そのような、因果連関としての歴史の非線形性を、偏執的なまでの分厚い記述をもって描き出していることが、本書の最大の魅力である。
 これに対して『農業政策史』の方は、大塚史学や宇野経済学以来の、とりわけ、宇野的伝統の下では20世紀資本主義の「現状分析」の中心課題としてクローズアップされてきた農業問題を論じるにあたって、やはりそうした段階論的伝統のくびきを事実に即して相対化しようとするにあたって、年代記的記述に徹するという戦略を採用したことによって、極めて見通しが悪くなってしまっている。


 昨日先生にもお話したのだが、ちょうどここしばらく、20年ほど積読にしていたアーサー・ダントの『物語としての歴史』を拾い読んでは歴史叙述についていろいろと考えていた。
 ダントによれば、年代記と歴史とは違う。ほとんど神のごとき認識能力を持ち、過去に起こったことは一切忘れず、現在生起していく出来事を細大漏らさずリアルタイムで記録していくことによって作られる理想的年代記でさえ、不完全な人間が行う歴史記述には、「歴史」としてはかなわない。歴史記述の典型的な形式、ダントの言う「物語文」は、たとえば、「1871年7月10日に、『失われた時を求めて』の作者が誕生した」といったものである。この文は先の理想的年代記作者には決して語りえない。何故なら、1871年7月10日時点ではまだ『失われた時を求めて』は書かれていないからである。そこで語りうるのはせいぜい「マルセル・プルーストという男児が誕生した」だけである。
 こうした物語文は、ある時点から過去を振り返り、その時点において認識されている事実に照らして、過去の出来事を評価し、意味づけつつ記述するものであって、リアルタイムで現状報告をする文とはきわめて性質が異なる。クワイン風の言い方をすれば、歴史的出来事の意味は、それが置かれた歴史的文脈全体の中で初めて明らかになるが、そうした歴史的文脈全体とは、回顧的視点の下でしか現れない、ということである。
 ダントはこのような仕方で年代記的記述と歴史記述を区別したうえで、そうした歴史記述は「ミネルヴァの梟」であることを強調する。概念分析を行う哲学者ダントの主目的は、何も年代記的記述をくさすことにあるのではなく、歴史的文脈全体を無時間的に、時間超越的な「歴史法則」のごときものとして認識し、語りうるかのように思いなす――つまりは歴史的文脈全体を「未来」についても見出しうる、と考える――「実在論的歴史哲学」(これはカール・ポパーの言う「歴史主義」とほぼ同義で、典型としてマルクス主義史的唯物論が想定されている)を批判するところにある。
 『雇用関係の生成』では段階論という紋切り型の物語を批判するために、非線形の多様な物語が駆使されていた。しかしそれに対して、『農業政策史』では、資料に沈潜するあまり年代記的記述が採用されて、歴史的な見通しが失われてしまったのではないか。


 語りの問題から離れてもう少し具体的に『農業政策史』の意義と問題性について語るならば、あれはやはり60年代末から70年代、プレ・サッチャー時代のイギリス労使関係・労働政治における「所得政策」「社会契約」を現代労使関係の中心問題ととらえるパラダイムの残響のうちにあった。要するに、少なくとも20世紀中葉までは、先進諸国における農業保護とは安全保障政策、ミクロ的な通商産業政策であっただけではなく、マクロ的な物価・所得問題でもあったということなのである。
 ただしかしこのようなプロブレマティークは、たとえ農業保護が持続しようとも、国民経済全体に占める農業セクターのウェイトの低下に従って失効していく。またそもそも、「国際競争力問題」でもあるところの「所得政策」自体、率直に言えば「ブレトン=ウッズ体制」的、更に言えば「固定相場制」的問題にすぎず、変動相場制の下では意味を失ってしまうのである。
 変動相場制への全面移行後の農業問題と労働問題について語るためには、また別のパースペクティブが必要となるだろう。


雇用関係の生成―イギリス労働政策史序説

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イギリス農業政策史

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物語としての歴史―歴史の分析哲学

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