「公共政策論」講義メモ

 ミルをベンチマークとして市民的公共圏の理念について考えてみると、近代市民社会の経済的側面は私的所有と契約の自由を基盤とした自由な市場経済に、政治的側面は思想の自由・表現の自由とその基盤としてのパブリック・フォーラム(自由で安価な出版とジャーナリズム)を前提とした議会政治によって代表される。そしてそのどちらも自由で自立した個人としての市民の、自由で自発的な行動の結果作られる社会秩序として理解されている。
 「公共性の構造転換」とは、「自由で自立した個人が形作る社会秩序」という理念がリアリティを失い、社会がそれこそハーバーマスの表現を借りれば「生活世界」とは区別されたものとしての「社会システム」として、すなわち自由な個人が作り上げるのではなく、個人に対して外在的によそよそしく超越して、その自由を拘束する仕組みとして人々に体験されるようになる、という過程である。それは経済的な側面ではマルクス主義の資本主義発展段階論を引き継ぎ、19世紀、市民革命以降の個人所有の小企業を主体とした自由な市場経済から、巨大な官僚組織である法人企業を主体とする独占資本主義への移行として、またそれに伴う、独占資本の市場支配による市場均衡のメカニズムの機能不全として理解される。そして政治面では、個人を主体とした討論による政治から、官僚組織としての大政党と、国家の省庁組織を主体とし、マスメディアを媒体とする政治への移行としてこの転換は描かれる。
 たしかにどちらも「個人の活動が織りなす生活の場としての社会」から、「個人に外在的に超越した社会システム」への転換をそこに見出す点において並行しているように見える。しかしながら経済面に着目するならば、そもそも19世紀の本来的市民社会の局面において、既に匿名的な「社会システム」は姿を見せていたともいえる。市場の「見えざる手」はハーバーマス的に言えば既に「生活世界」というよりは「社会システム」だったのではないだろうか。政治にノンシャランだったスミスには、そうしたニヒリズムが潜んでいたのではないか。だとすれば経済と政治の間に見出された「並行関係」は、本当に「並行」しているのか? 
 ハーバーマスも「社会の再封建化」というレトリックにたまに訴えることもあるように、この20世紀の「後期資本主義」の展開を近代のあるべきコース(「未完のプロジェクト」というハーバーマスの形容を想起されたい)からの単なる逸脱というよりも、いっそストレートに市民革命以前的な「重商主義」「絶対主義」への回帰、逆行と捉える論者も存在する。いわゆる新自由主義者のうちでも、たとえばフリードリヒ・フォン・ハイエクならば社会主義福祉国家主義を「反動」と片づけるだろう。「反動」扱いされがちな新自由主義は、この観点からすれば、歴史を、近代化を本来のコースに戻す試みに他ならなくなる。このような見方はそれなりに有効性がある。スミスに潜在しており、ミルのあたりではっきりした「政治と経済の分離」というパースペクティブがリアリティを失い、解体する時代としても「構造転換」期、それに続く20世紀は体験された。市場経済の自己調整メカニズムへの信頼が薄れると、社会主義福祉国家主義といった、経済へのシステマティックな介入を求める思想が時代の前面に迫り出す。それはいっそ重商主義的と呼びたくなる、政治と経済の分離を政治の優位の下に解消しようという発想へとつながる。とすれば我々は「公共性の構造転換」を、「経済」「政治」更には「文化」「学問」といった様々な次元において並行して進行する「個人の活動が織りなす生活の場としての社会」から、「個人に外在的に超越した社会システム」への転換を語るよりも、むしろ19世紀において自明化しかけた「経済」「政治」「法」「文化」「芸術」「学問」「宗教」といった社会の諸次元の独立性そのものの解体変質について語った方がよさそうだ、ということにもなる。

 ぼく自身の一つの解釈戦略を述べるならば、既に拙著『「公共性」論』で提示したが、19世紀末から20世紀に西欧を中心に起こったことは実態レベルでの社会変化という以上に、思想、観念、あるいは感性のレベルでの地滑り的変化であると考えてみる、というものである。そもそも19世紀西欧先進国において起きたことはせいぜい「市民的公共圏の理念」の成熟ではあっても、それを支える基盤としての、実体としての近代市民社会の完成とは言えない。繰り返すが、法的形式の上でも、それも参政権のみならず市民的(私法的)権利のレベルにおいても、有産者と無産者は長らく対等ではなく、形式的平等でさえようやく19世紀末に実現を見た。そう考えるならば19世紀末に起きたことは、たとえば「理性的な市民社会が受動的で感情的な大衆社会に堕落した」というのではない。「市民的地位を少数者の特権から大衆に開放してみたその結果が、啓蒙的なエリートの期待と食い違い、新たに権利を付与された大衆は旧エリートが期待したようには模範的市民として振る舞わなかった。その様をエリートいわば遠近法的倒錯として「堕落」と感じてしまった」といった方がまだしもである。
 経済のレベルに注目しても、19世紀末のいわゆる「大不況」にせよ、更に時代を下って1929年の世界恐慌以降の長期不況にしても、「独占資本主義の機能不全」と片づけられるかどうかは定かではない。ことにそうした図式で無視されているのは、資本主義経済のマネタリーな側面であり、短期的、循環的な側面である。大不況や大恐慌を引き起こしたのが、資本主義経済の長期的なかつ実態生産力に根差した構造変動なのか、もっと短期的な、また貨幣的・金融的要因が効いた循環的なものであるのか、という問いにはそれほど自明な答えはない。
 実体経済や人々の日常生活のレベルでは、それほど革命的な激変がこの時代に起きたとは考えにくい。しかしながら先に「遠近法的倒錯」と呼んだような社会意識レベルでの、「時代精神」の比較的急激な変化であれば、その限りではない。
 ではいったいどのような変化なのか? 


 古典古代的な、そしてロックもそこから十分には脱していない市民社会観念を今一度ふりかえろう。財産保有者たちの集合としての社会があり、財産所有者たちの所領の内側は「秘め隠されている」という意味において私的である。財産所有者たちが参集し交流する場としての都市=公共圏と私的領域は截然と区別されている。この区別は単に観念的、形式的なものにとどまらず物理的、空間的なものである。
 財産所有者たちの私有財産の中にはしかし、秘め隠されてはおらず、公共圏に――都市の広場、つまりは市場に出されて取引の対象となるようなものもある。だから人間世界の中に存在するものは、ただ単に私有財産と公共財とに分かたれているというわけではない。その中間がある。広い意味での政治はこうした私有財産の取引をも含む。狭い意味での政治は、厳密な意味での公共財に限定されているわけだが。
 それに対して近代的、というよりもスミス以降の市民社会概念においては、まず第一に、次のような変化が起きている。まず公共圏に引き出された――公開された私有財産の取引は、「みえざる手」のオートマティズムに従う。すなわちそれらはもはや「政治」ではない。公共圏と私的領域との線引きのありようは、かくして微妙にだが重大な仕方で変化している。
 しかし転換はここにとどまらない。第一の転換については、カントやヘーゲルも気づいていたし、考えようによってはスミス以前の「重商主義」「重農主義」の論客たちによって到達されていたのかもしれないが、以下に論じる第二の転換についてはスミスを知っていたはずのカントやヘーゲルには気づかれなかった。
 では第二の転換とは何か。スミスが『国富論』において発見したのはただ単に市場の「見えざる手」だけではない。そももそも『国富論』で「見えざる手invisible hand」という表現が用いられているのは、今日風に表現すれば資本蓄積と産業構造転換について論じているところである。すなわち、『国富論』においては市場は商業のレベルで、商品の取引を律し、それを介して間接的に商品生産をも律するメカニズムとして理解されているだけではない。そもそも商品を生産する手段としての土地、資本設備、そして労働までもが市場によって取引されているという認識において、スミスはその先行者からは決定的に切断されている。
 しかしそれはいったい何を意味するのか、といえば、「秘め隠された」という意味における私有財産が解体され、ほとんどすべては潜在的に取引可能な商品と化してしまう、ということである。
 これは本来的、と言って悪ければ強い意味における「私的領域」「私有財産」の無意味化、解体でさえある。そしてそれはすなわち、その対立項としての「公共財」「公共圏」の無意味化、解体をも意味せざるを得ない。アレントがほとんど罵倒語に近いニュアンスで「社会society」と呼んだものはこれである。