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シノドス・セミナー「社会学の居場所」

 こちらでご報告した、2009年12月13日に行われたシノドス・セミナーの記録です。『アルファ・シノドス ―“α-synodos”』vol.46(2010/02/15)、vol.47(2010/3/1)から転載。


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社会学の居場所」稲葉振一郎


 今日お話ししようと思っていたことが何点かあります。『社会学入門』(NHK出版)を読んでくださった方の多くは、この本には穴があることに気づいておられて、その穴が今後どのように埋められるかと思ってらっしゃると思います。本日はちょっとそれを意識しながらやっていこうと思っています。一つには、ある程度書き込んだけれども、入門書にはふさわしくないのではないかと、削った話題が一つあります。第12講で、科学的アプローチと工学的アプローチという対比を行いましたが、本来はあそこで、より具体的に説明するために力学系モデルの話をしていたんです。本日はそれに触れつつ、科学・工学・人文学という、三題噺のような話をあとでさせていただきます。
 もう一つは、第1部で「そもそも社会学とは何か」「理論社会学とは何か、何をめざしたか」というお話をしていますが、種を明かしますとそこではおおむね二十世紀後半的なデュルケム受容というか、構造主義的に解釈されたデュルケムにのっとって話をさせていただいているのです。最後の方でのパーソンズ解釈もこのラインでやっています。そうやって「社会とは人々が価値観、知識、常識を共有することによって、意味を共有する者たちの集まり、あるいはそのような共有そのものが社会である。社会学はそういう共有される意味のシステムを対象とした学問である」という社会学観をとりあえず出させていただきました。
 そこでは、十分に触れられていない問題があります。最後の文献案内では、現代哲学、とくに二十世紀後半の分析哲学においては、いわゆるホーリズム全体論)という立場が言語哲学心の哲学における非常に有力な立場となっている、と紹介しています。つまりはクワインデイヴィドソンのラインです。彼らのいう「意味の全体論」と社会学の方法論的なホーリズムは明らかにある種の対応関係にあります。けれどこの本では「両者の関係はいまだによくわかっていません。だから、これ以上突っ込めません」と書いておきました。
 しかし実はこの問題に対しては、晩年のデイヴィドソンがある意味非常に明快なパースペクティブを与えているのです。下手をすればデイヴィドソンがこの本の陰の主役になっていたかもしれない。そこで本日は本には書けなかった、クワインデイヴィドソン的なホーリズムと、ここで示したような社会学の可能性との関係についても少しお話ししたいと思います。
 先ほどの科学、工学、そして人文学の問題と、それからこのホーリズムの問題ですね。以上をあわせた全体としてのテーマは、いわば「教養」になると思います。先日、ジュンク堂北田暁大さんと対談をさせていただいたときにも、そのお話をしました。少し、ホーリスティックな認識論を意識しながら、知識と教養の区別ということと暫定的にお話ししました。それを踏まえて、一種の教養論のようなものを出せればと思っています。


■なぜ、『社会学という教養』ではないのか
 まず「なぜこの本は『社会学という教養』というタイトルにはならなかったのか」というお話から始めましょう。もちろん入門書を書く以上、やはりストレートに『入門』とタイトルに付けたほうが衒いがなくてよい。ですから『入門』というタイトル自体は当初からの予定どおりなのですが、拙著には『経済学という教養』があるので、それを意識して「教養」云々というタイトルを付けても構わないといえば構わなかったわけです。ではなぜそうしなかったのか? 「内容にふさわしくない」というわけではありません。逆に内容にはふさわしい、というかそのまんま、ベタベタです。
 日本の大学には社会学部がけっこうあります。そうした社会学部の組織を見てみると、専門科学としての社会学の教育機関というより、総合的なリベラルアーツの教育機関の様相を呈している場合が非常に多いわけです。もちろん、狭い意味での社会学の内容を見ても、大学の科目編成をみても、あるいは出版されている講座ものの目次を見ても、何にでも口を出している。まるで社会学がそれ自体でリベラルアーツの総体を示そうとしているかのような様相を呈しています。だから『社会学という教養』というタイトルを付けると、はまりすぎて逆にすわりが悪い、気持ちが悪いので、それは避けたわけです。
 そのすわりの悪さにはやはり理由がある。ですから、この気持ちの悪さというものをやはり片づけていかなければいけない。だから、ここでまずポイントとして押さえていただきたいのが、リベラルアーツ、そして教養と社会学の関係です。
 「リベラルアーツ」という言葉には多義性があります。「arts」というぐらいですから複数です。歴史的な起源を辿るなら、ヨーロッパ中世の大学には専門的な学科としての法学、神学、医学といったものがまずコアとしてある。それと別に、その予備門のように、いわゆる自由学芸、哲学とか、修辞学とか、諸々があって。それが後のリベラルアーツといわれるものにつながるわけです。
 そういうふうに考えるとリベラルアーツの起源は、当然、いわゆる人文科学も、社会科学も、それから自然科学も全部含む。日本でも、日本大学にはいまでも文理学部というものがまだあります。そして戦前には「文理大学」を称する学校がいくつかありました。東京教育大学(後に筑波大学となりますが)と並んで高等師範学校の流れを汲む存在だった、戦前の広島大学は「広島文理大学」でした。ここでいう「文理」とはまさに「リベラルアーツ」であるわけですが、そこには自然科学も含んでいます。しかし昨今ではリベラルアーツというと、いわゆるヒューマニティーズ、人文科学が核ですね。あるいは「人文学」と言ったほうがいいのかもしれません。


■日本の大学における社会学の位置づけ
 リベラルアーツという言葉からわれわれ連想するところを整理すると、このような感じだと思います。そうすると、社会学、これはいったいどこに位置するのかというのが、なかなか悩ましい問題です。
 日本の歴史を辿ると、経済学の講座はもともと多くの場合法学部にあって、それがやがて経済学部として分化してきているわけです。それに対して社会学の教室は多くの場合、文学部に配置されていました。現在の日本の大学で社会学部を持っているところは、概ね、大規模な私立大学です。旧帝国大学などの、いわば研究拠点大学においてはいまだに、社会学は伝統的な大学自治の基本的組織単位としての独立した「学部」を持たず、文学部社会学科となっているケースがほとんどです。東京大学の場合、戦後一時期、文学部社会学科になっていて、それが、大学院だけがなぜか社会学研究科というものが別に存在した時代というのがけっこう長く続きました。学部の社会学部というのは遂にできませんでした。社会学研究科も非常にちぐはぐな組織で、なぜかキャンパスは駒場にあった人類学とか国際関係学教室も一緒にして、一つの社会学大学院組織を無理やりつくっていました。その後、大学院重点化、つまり学部ではなくて大学院を大学編成の基本単位にするというふうにシフトしたとき、社会学研究科は消滅して、現在東京大学は人文社会研究科というふうになっています。文学部に直結するような大学院になっているわけです。その方が予算や人員の配置の都合がよいのかもしれませんね。
 そういうかたちで日本の大学での社会学は、いまだに一貫して文学部――文学部、理学部と分かれているうちの文学部になっています。つまり社会科学は、法律学、政治学、経済学、経営学会計学、その他諸々ときて、そして社会学としばしば言われるわけですが、実態としては、社会学教室はほとんどの場合文学部に存在し続けています。他の社会科学は独立の学部を持つか、そうではない場合でも文学部には配置されていないのに、です。これはなかなかおもしろいことです。
 ついでに言いますと、東京大学には社会科学研究所という部局、独立したファカルティ組織が戦後間もなくできています。「知識人の失業対策」なんて陰口もありましたが、この機関は長い間、基本的に、法律学、政治学、経済学でできていました。「社会科学研究所」を名乗ってはいたけれども、社会学のスタッフが入ったのは一九九〇年代からだと思います。最初が、階層研究者の石田浩さんですね。それから目立つところでは本田由紀さん――のちに本田さんは教育学部に転出されましたが。
 それ以外にこの研究所の抱える問題として、八〇年代半ばまで、そもそも経済学者がすべてマルクス経済学者と経済史学者だった、という状況がありました。のみならず第三世界、途上国研究者が一人もいなかった。そんなこんなで文部省から一時期目の仇にされて、危うくつぶされるところだったとかいう噂です。それで、八〇年代にものすごいテコ入れをして、近代経済学者――最初の一人が現在、アジア開発銀行研究所長の河合正弘さんですけれども――を入れ、途上国研究者もいれました。その改革の延長線上で、たぶん九〇年代には社会学者を入れて、社会学の部門をつくるということになったわけです。そういう風に、社会科学研究所を名乗りながら、長らく社会学部門が存在しなかったわけです。研究所のプロジェクトとしての共同研究のときに、外部から社会学者をスタッフとして招聘するということはそれまでにもなされてきたのですが、専任スタッフとして社会学者を雇用するということをやってこなかったわけです。
 似たような例としては、一橋大学社会学部という、これまた謎の組織があります。一橋大学社会学部の正式名称は、デパートメント・オブ・ソシオロジーではありません。ファカルティ・オブ・ソーシャル・サイエンス(Faculty of Social Sciences)です。社会学の講座は一応はありました。高島善哉が「経済社会学」と自分の学を標榜したこともありまして、高島善哉ゆかりのお弟子さんが残って「社会学」を担当していましたが、学部自体は決して「社会学」部ではない。社会学の教授ポストが一つあっただけで、むしろ社会心理学のポストの方が多いという状況でした。南博が社会心理学の担当者として長くおられ、その系列で社会心理学者はある程度、二人、三人ぐらいはポストを持っていましたが、社会学のポストはそれに比べて少なかった。
 長らく一橋大社会学部は、実態としてはどちらかというと「歴史学部」ではなかったかと思います。ぼくの記憶する社会学部のスター、七〇年代から八〇年代にかけて、いわば日本の社会史研究のリーダーシップをとられた方々――阿部謹也、良知力、それから少しちがうポジションですが都築忠七といった面々は、どちらかというと歴史学畑です。阿部さんは中世史、良知力さんはドイツ社会思想史から社会史に転じられ、都築さんはイギリス近代の社会思想史、社会主義を中心としての、実証的な思想史研究者です。あとは、日本の近世史、近代史。近世史のほうではカリスマ的な存在であった佐々木潤之介さん、それから民衆思想史の安丸良夫さんですね。こういう方々が、言ってみれば社会学部の看板であったわけですね。
 講座、学科目としての一橋の「社会学」を戦後長らく支えてこられたのは古賀英三郎さんでした。「社会学をやれ」ということで一橋に残されたのでしょうが、あまりご自分では社会学に興味や関心がなかったのでしょう。お仕事として一番知られているのは、モンテスキューの実証的な思想史的研究です。講談社の『人類の知的遺産』シリーズの中でモンテスキューの巻を担当されているのが古賀さんです。
 古賀さんの後任、直弟子にあたる渡辺雅男さんもまた、よくもわるくも非常に面白い方です。翻訳においては、非常に幅が広い。イギリスのニューレフトやカルチュラルスタディーズ関係の翻訳をしていますし、何よりエスピン=アンデルセンの最初の翻訳も彼が奥さんと一緒にやっているのです。ところがご自分の本流の仕事は、師匠の古賀英三郎先生に「おまえのはお経だ」と言わしめたという、マルクス資本論』にひたすら張り付いた訓詁学です。中心的な問題意識は階級論にあるんですが、とにかく翻訳における目配りのよさと柔軟性と裏腹に、自分自身の仕事においては正統的を通り越して教条的とも言いたくなる、古典的なマルクス主義者としての姿を崩さない、非常におもしろい方です。
 その後一橋には、法政大から矢澤修次郎さんが移られました。矢澤さんは東大の高橋徹門下ですから、オーソドックスな社会学です。ようやく、狭義の「社会学者」がやっとここで着任したわけです。それから少しずつ若手で、たとえば町村敬志さんといった、プロパーの社会学の人たちがだんだん増えてきたなという感じです。
 長くなりましたが、ある種、日本の社会学というものの、社会科学の中でのすわりの悪さを示す二つの象徴的な例として、東大社研と社会学の無関係と、一橋大学社会学部と社会学の無関係とがあげられるというわけです。つまり、社会学という学問は文学部に位置付けられていて「社会学も経済学や政治学と並んで社会科学だよ」と言われている一方で、実際の大学の組織の上では、こんなふうになっていた。
 これは日本だけの特異現象かというと、まったく全面的にそうだというふうには言い切れません。
 たとえば、イギリスにおける社会学の歴史というのは、これも非常におもしろいわけです。社会学の草創期を十九世紀の末ぐらいに見るならば、その時代にイギリスにおいてはスペンサーはちゃんとSociologyという言葉を使って自分の体系的な仕事を推し進め、さらに実態的な社会調査の先駆的活動がたくさん行われています。チャールズ・ブースのロンドン調査とか、そしてウェッブ夫妻の精力的な活動を見るならば、イギリスは非常に早い時期から、よそから輸入したのではない、自前の社会学をきちんと持った国であったということがわかります。その点ではドイツやフランス、あるいはアメリカと変わらない。
 ところが、イギリスのアカデミズムの中心としてのオックスフォードとケンブリッジ社会学の正式なポストができるのはずっと後です。戦後もずいぶんたってから、アンソニー・ギデンズは、ケンブリッジの最初の社会学のポストに就任しました。社会学のポストが古くからきちんとあった大学は、ロンドン大学、これははウェッブ夫妻たちがつくったようなものです。確かギデンズも出身はLSE、ロンドン大学ですね。
 この事情を見ると、日本とはまた違った形で、イギリスにおいては社会学が不安定な位置にあったことが推測されます。


社会学という制度

 以上見てきましたように、社会学という学問はまず制度的にはすわりが悪い。そしてそれは制度だけの問題ではないでしょう。学問の中身においても、社会学の研究、それにとどまらず、社会学の教育のされ方や、社会学の成果の社会の中での流通や利用のされ方は、経済学や政治学や法律学の社会の中での流通とか、受容、利用のされ方と、やはり有意味に違うのではないかということです。社会学は少なくとも日本では、むしろ人文科学に近いものとして受容されてきたのではないか。社会学は人文科学なのか、社会科学なのか、中途半端な扱いを受けてきた、それにはおそらく理由がある。それこそ、ヒューマニティーズなのか、サイエンシズなのかということですね。
 ソーシャル・サイエンシズにおいて、法律学はまたちょっと微妙な存在ですが、経済学、政治学などにおいては、明確にサイエンス志向がある。そこでサイエンスのお手本はあくまでも自然科学、ナチュラル・サイエンスです。さらに、伝統的には人文科学として括られていた心理学、あるいは言語学が段々と、少なくともその一部は単に「手本にする」という以上に実質的に――生物学やコンピュータ科学と融合して――ナチュラル・サイエンス化している。現在、英語圏のいくつかの大学では、サイコロジーのデパートメントは、ヒューマニティーズ、つまり文学部にではなくサイエンシズ、理学部の方に入っている。
 それに対して社会学は、社会科学を名乗りながら、心理学に比べて、依然として、文学部性が強い扱いを受けている。しかもそれは制度的にそう、外からそう扱われているというだけのことではないのではないか。社会学には一方でサイエンス志向があり、客観的な実証科学を志してきたわけですが、他方で、単に「サイエンス化しきれないから」という消極的な理由でなしに、積極的にヒューマニティーズたらんとしているところもあるのではないか。
 実は心理学においても、認知科学以降の、実験心理学を中心とするサイエンス志向の流れと、いわゆる「臨床心理学」との間の乖離とか緊張は高まっていると言えそうです。そもそも「臨床心理学」とはいったい何なのか、とはずっと問われ続けている問題ですが、ここにきて急速に緊張感が高まっているということは、外から見ても感じられます。社会学においても、類似の緊張関係はありますが、学問自体が二つに分かれるほどの緊張はまだない。
 かつては社会科学と自然科学ははっきりと異質で、固有の領域としての社会科学というのはやっぱりあるよと、かつて社会科学者たちははっきりと言いたがったわけです。昨今では逆にそういう緊張関係はむしろ薄れているような気がします。何を対象としようが、科学は科学であるという意識が徐々にできてきているように、ぼくは感じます。いま述べたような心理学の急速なナチュラル・サイエンス化があるわけですし、経済学においてもそういうところはあります。逆に、物理学、応用数学の人たちが、伝統的な社会科学――経済学、社会学や心理学の領域に手を出してきました。行動経済学とか、神経経済学といった領域の仕事がありますが、それ以上に重要なのは、社会学のごく一部ですが、ある種のブレークスルーを果たしたネットワーク理論――とくに複雑ネットワーク――要するにダンカン・ワッツ以降です。ワッツやストロガッツは数学、物理学サイドの人間です。彼らだけではなくて、多くの応用数学者とか、物理学者が、ネットワーク研究に手を染めています。コンピュータ・ネットワークのことをやっている人もいれば、社会ネットワークの話をしている人たちもいます。いわゆるマルチ・エージェント・ネットワークに関する研究に物理学とか、コンピュータ・サイエンスとか、ロボット工学の人たちがどんどん進出してきている。物理学の教室に籍を置いていても、インターネットにおけるネットワークのつながりの研究をしてみました、あるいは、交通などにおける混雑現象を研究してみました、とかいう仕事はどんどん増えてきているわけです。
 そういう動きを見てくると、人文科学、社会科学、自然科学という、かつての図式がどんどんリアリティを失ってきている感じがします。むしろ、人文学――「人文科学」といわずあえて「人文学」といいましょう――・対・科学、という図式のほうが、有効になりつつあるような気がします。ただ、そのときの「科学」というもののあり方はもちろん、かつての伝統的なスタイルとはちょっと違ったものになってくるでしょう。
 そうなると、社会学は、やはり今度は人文学と科学との間に引き裂かれる位置になってしまうのではないかなと考えています。
 どうして引き裂かれるのか。そもそも、人文学とは何なのかということをきちんとある程度定義しないと、この話というのは収まりがつかないわけです。大雑把に、敢えて科学の「科」を抜いた人文学があるとして、それは何なのか。そして、社会学というものが科学と人文学の間でとりわけ引き裂かれなければならない理由というのは何なのかということをこれからお話ししていこうと思います。


■科学と工学

 科学と工学という言葉遣いを対比的に使った議論を、『社会学入門』の最後の方でしておきました。これはぼくのオリジナルではなくて、参考文献にも挙げましたように、経済学者のグレッグ・マンキューによるマクロ経済学の歴史の回顧から想を得ています。マクロ経済学者、いや経済学者全体の中には、サイエンティストとエンジニア、明らかに二つのメンタリティ、二つの方向性がある。気質の違い、スタンスの違い、あるいはアプローチの違いがはっきりある、とマンキューは言っている。
 経済学という学問には、少なくとも二通りの取り組み方がある。これはどちらが正しいというわけではないし、相補うものであると言っていい。科学者として経済学を研究している人もいれば、エンジニアとして取り組んでいる人もいる。経済学は政策科学だから当然だということですが、「政策科学」はいかなる意味で科学なのか、あるいは「工学」と呼ぶべきものではないのか。
 マンキューは、とりあえず経済学について語っています。彼自身は共和党、保守支持の、マクロ経済学者ですが、古い言葉で言うとケインジアンっぽいスタンスです。理論より実証中心の研究者で、かつ、実践的な政策提言をよく行う人です。つまりエンジニアリング、工学志向というわけでしょう。それに対してサイエンス志向の人も、マクロ経済学の歴史の中には存在しています。たしかに、マクロ経済学はそもそも政策科学として出発しました。学問的、理論的厳密性よりも、まずは目の前の問題に取り組み、とにかく政策に役に立つことをやろうということで始まっていった。けれどもある時期以降、いわゆる「合理的期待形成革命」において、ソリッドな理論的基礎付け、ミクロ的基礎を堅固に備えたマクロ経済学を目指す運動が主流となった。その主役がルーカス、プレスコット――合理的期待形成学派の人たちです。マンキューに言わせると、ケインジアンとして知られているジェームズ・トービンや、あるいは反ケインズ主義の急先鋒、シカゴ学派の代名詞だったミルトン・フリードマンといった、古い世代のマクロ経済学者と、ルーカス以降の人たちとの間には明らかに違いがある。それは政治的スタンスとかイデオロギーの問題ではない。そういう意味ではトービンフリードマンは対極で、「シカゴ・ボーイズ」であるルーカスとフリードマンは近いことになる。それとはまた別の次元の違いがあるのです。
 もちろんマクロ経済政策のあり方、その理解の仕方について重要な問題提起をルーカスは行ないました。しかしそれ以上に、経済学者としてのルーカスにはそもそも政策に切実な関心があるのかどうか。彼はマクロ経済現象をまさにサイエンスの対象として見ている。つまり、客観的にそこにあるものを分析するということが彼の問題関心の中心で、世の中をどう良くするか、といったことについては、無関心ではないまでも二の次なのではないか。言うまでもなくこれはマクロ経済学だけではなく、経済学全体についても言えることです。政策的関心に導かれない、ただ単に事実を虚心に理解しようという研究はいくらでもある。
 社会科学全般に関して同じことがどれくらい言えるのか。少し悩むところです。経済学の場合はわかりやすい。政治学、法律学社会学、それぞれにおいてこの問題はあると思いますが、それぞれにずれがある。その辺のデリケートな話はしかしここでは敢えてカッコにくくって、社会科学どころか、自然科学の領域にも通用するような大雑把なレベルで、まずは「科学か工学か」というスタンスの違いについて、一般的なお話をしようと思います。


 現代科学においては、われわれが目にするものほとんどがダイナミックなシステムとして分析されます。つまり、時々刻々と動いていながら、無秩序ではなく一定の秩序に従う現象として。言うまでもなく生命現象もそうですね。それだけではなく、実はわれわれの生活の中で普通に意識されている物理現象のほとんどもダイナミックな秩序であるというわけです。太陽系にしたって「ソーラーシステム」です。太陽の周りを地球その他諸々の惑星やその他いろんな天体が回っている。これもダイナミックな秩序には違いない。地球上における熱収支、大気や水の循環も、その中でのバイオスフィアにおける生命現象も、人間社会における秩序もそうです。すべてがダイナミックな秩序です。そしてスタティックな秩序ではなくダイナミックな秩序というものを理解し、分析するために用いられる最もスタンダードな数学的な道具立てが、いわゆる力学系、ダイナミカルシステム、微分方程式系とか、差分方程式系です。
 微分方程式とはどういうものかというと、基本的には


 dx/dt=F(x)


という形をしています。ただ「システム」という場合には、このxは一般的には一つの数字ではなく、ベクトルであるわけです。一番シンプルに考えるとそうですよね。これがもうちょっと複雑になると、偏微分方程式というものもありますが、それは措いておきます。
 xとは、システムの状態を表すわけで「状態変数」と呼ばれます。「状態」というくらいですから、ある一時点における状態のことです。その状態がそのままずっと同じまま続くのではなく、時々刻々変化する。その変化のプロセスをまずは記述するための道具として、微分方程式を使うわけです。
 dx/dtとは何かというと、これは変化を表します。何の変化かというともちろん、この状態変数xの時点tにおける瞬間的な変化を表すわけです。状態があって、状態の変化というのは状態に依存していますよ、状態で決まりますよ、という考え方です。たとえば太陽系の周りを地球が回っていますとか、地球以外の惑星が回っていますという場合、惑星の位置をxで表したときに、dx/dtというのは惑星の移動のしかた、速度ですね。単なる速さというよりも、向かっている方向も含めてのベクトルですけれども、その惑星の速度はその惑星の位置に依存しているわけです。つまりdx/dtは一定の値に固定されているのではなく、時々刻々と変化しているけれども、その変化はでたらめではない。つまり、xによって決まっている。数学的に言えば、xの関数、つまりF(x)だというわけです。「位置」というのは太陽や他の惑星との位置関係という意味で、それほど単純なものではないわけですが、とにかく「惑星がどのような運動をしているかは、惑星が現在いる位置に依存していますよ」という、こういう考え方です。状態と、状態が変化していくそのありよう、変化の運動を結びつけて記述するための基本的な道具立てとして、微分方程式はあります。ダイナミックな秩序を記述するための、一番基本的、汎用的な道具立てがこれです。この微分方程式がひとつだけあるのではなく、たくさんの式を連立させる複雑なシステムが普通に用いられます。物理学や経済学における「モデル」は、基本的にはこのようなものだと考えていただいていいでしょう。
 問題は、この微分方程式の使い方にもいろいろある、ということです。


■方程式の使いみち

 微分方程式モデルの使い方にはもちろんいろいろあります。それを使う人の問題意識に、扱う対象に応じていろんな使い方がなされる。だけれども、非常に大雑把に、科学者とエンジニアの微分方程式の使い方で、典型的な微分方程式の使い方の違いがあるのではないかと考えてみましょう。
 まず、工学者、エンジニアの場合は、とりあえずシステムを構成するメカニズム、法則性というものはわかっていると考える。わかっている範囲で仕事をする方が安全です。そうすると、微分方程式で現象をモデル化するということはどういうことかというと、既にわかっている法則に基づいて、これからの成り行きを予測する、あるいはそのように導いていく。そういうシステムを設計する。そのための設計図を数学的に描き出すときに微分方程式を使う。現在こう、ゼロ地点でこう、それから明日はこう、明後日はこうということをうまく記述し、予想してくれるように微分方程式を設定して、それで現在の速度からして、明日、明後日にどのへんにいるかと。こういうことを考える、描くための道具として微分方程式を使う。つまりそこでは、F(・)という関数の形はすでにわかっている、として問題を立てる。F(・)が決まっていて、その中にあるxを入れたら、どう運動をするかが決まり、運動の経過、全体としてそのシステムがどういう経路をたどっていくか、どんなふうに物事が変化していくかというのがわかる。
 それに対して、典型的にサイエンティスト的な微分方程式の使い方というのはどういうものかというと、僕はこんな風に解釈しています。まず自然科学者にとっては目の前に現象がある。けれど、その目の前にある現象のメカニズム、法則は未知です。わからない。つまり関数型F(・)はとりあえずはわからない。わかっているのは状態xです。現在目の前にある、惑星の位置でもいいですし、いろんな生き物がいる、生き物の数でもいい。状態は観測できます。けれど、その生き物たちの相互依存、食べたり、食べられたりという関係がどういうメカニズムか、を表す関数型はわかりません。あるいはその惑星の位置はわかったとしても、惑星の重力はわからない。関数型はわからない。この未知の関数型をこそ、科学者は知りたいわけです。
 では、推論はどのように進められるのでしょうか? 
 とりあえず生態系の例を念頭において考えてみましょう。この生態系では食ったり、食われたりのゴタゴタが延々と続いている、しかし全体としては安定している。概ね生きものたちの種類とその数の比率が変わりません。ウサギがこれぐらいいて、オオカミがこれぐらいいて、というパターンが安定していて、何年か続いている。目の前にある現象はたとえばこういうものだとします。
 太陽は東から昇って西に沈みます。毎日これが続きますと。毎日動いているけれども、同じことが日々繰り返されます。本当はそうじゃなくて、太陽の周りを地球が回っているわけです。これは常に動いていますが、その動きのパターンは安定して、一定しています。それを適当に表現すれば数式に表現できるわけです。
 ここで微分方程式論の重要なキーワードとして「不動点」あるいは「平衡点」という概念を紹介しておきましょう。微分方程式における不動点とは、簡単に言えば


F(x*)=0


となるようなある特別なxの値、x*のことですね。これは何を意味しているのか。これは瞬間における変化dx/dtがゼロ、ということです。つまり、たまたま、このx*という状態にシステムが到達したならば、その後はそこから動かない、変化しなくなります。
 つまりここで、システムの安定性をある種の不動点として解釈、表現してみよう、というわけです。システムのメカニズム、数学的にモデル化すればF(・)は未知でも、そのシステムのある時点における状態は観測できて、それはx~と表現できる、とします。そしてこの状態は、短期的にはゆらゆら変動することもあるけれども、長期的には安定している、つまり平均的にx~の値をとる、とする。そうするとこのシステムを表す関数F(・)は、どうやら


F(x~)=0


となるようなものだ、と推測することができます。もちろんこれでもまだ具体的なF(・)の形はわからないわけですが、手がかりは増えました。そんな風に、観察データをもとに推論を重ねながら、現実のシステムをうまく説明できる関数型を特定していこうとする。これが典型的にサイエンティスト的な微分方程式モデルの使い方だと思います。
 ――とまあ、『入門』第12講でパーソンズにことよせてしている話は、実はこういう話だったわけですが、文系の大学一年生からは拒絶反応を食らうだろう、ということで数式(実は高校文系数学レベルではあったのですが)はすっぱりカットしました。でも、215ページからの、工学的アプローチをロケット打ち上げを例にとって説明しているところの背景には、こういう議論があったんです。
 皆さんがご自分でロケットを飛ばすのはちょっと大変だと思いますが、気の利いたパソコンとソフトがあれば、ロケットごっこをパソコンの上でもできますね。パソコンショップに行って、パソコン関連図書のところで、「ゲームプログラミングのための物理学入門」とかその類の本をご覧になるとイメージがつかめるでしょう。あるいはニコニコ動画で物理シミュレーションソフトをつかった動画などをご覧になってみてもよい。
 それに対して、後者の科学的アプローチは、ものの動きを理解することに主眼があります。一口に「ものの動き」と言っても、われわれがものの動きを理解できるのは、そこに一定の秩序、パターンがあるはずだと想定するからです。想定できなければ、われわれはものの動きを理解したりできない。これはある意味非常にデイヴィドソン的、あるいはいっそカント的なテーマです。
 乱暴にまとめれば、エンジニアリング、工学は、既知の法則を問題にする。未知の法則に関しては考えようがない。ただ、既知の法則はモデルを作るために積極的に使うということですね。ダイナミックに、より具体的な状況を組み立てていく。これがエンジニアのアプローチです。
 それに対して、サイエンティストのアプローチの典型というのは、未知の法則を解明しようとする。その際、根底にある法則は未知なのだけれども、その法則によって実現されている表層的な現実は既知であるわけです。この観測された現実、プラス、そうした現実を生み出す法則性の安定性や普遍性を仮定して、それが具体的はどのような形をしているのか、推測していく。


社会学の居場所

 では、以上の「科学」と「工学」の対比を念頭に置いた上で、社会学はどのような学問だということになるのでしょうか? しかしここでは更にそこからずらして、第三のスタンス、つまり「人文学」的なアプローチとは何か、ということについて少し考えてみたいと思います。最初に言っておくと、これからする定義のしかたには非常に重大な弱点があります。この定義のしかただと進化生物学は人文学の一種になってしまいかねません(笑)。
 人文学の中心的な問題関心は何か。人文学は工学が既知の法則を前提とし、科学が未知の法則の発見を目指すのに対して、いわば人文学は法則そのものの多様性について知ろうとします。ただし、ここで考える多様性とは、未来をも含むわけですが、有意味な未来の予測は「工学」的にしか、つまりは一定の法則の不変性を仮定しない限りできません。それゆえ、未来における法則そのものの変化については、考えることさえできない。そうすると人文学は歴史的探究になるしかない。やることは過去に回顧的に遡ることのみ、ということになります。
 社会学を突き動かしてきた中心的な欲望というのは、秩序そのものを知るというより、社会の秩序は可変的で、変化し得る。その変化をさらに支配するメタレベルのメカニズム、メタ秩序、社会変動を制御する法則を知ることです。社会変動とは、要するに社会の法則性そのものが変動することですから、法則の法則とでも言うべきものです。これはとくにパーソンズあたりではっきりしてきた。
 しかし、それはいま言ったように、科学、工学どちらからもすり抜けるものです。いま言ったように、科学とか工学というのは非常にある限定された前提を置いて、その前提の範囲内で一所懸命、あるポイントに集中して、他のことはあきらめてなされる、非常に禁欲的な営みです。社会学のめざすところは、そういう禁欲の枠を踏み破ってしまう。だから、結果的には不可能で子どもじみている。では、子どもじみないやり方で追究するとどうなるかというと、過去へ過去へと遡っていく。前もって未来を予測することはできないが、過去を理解することはできるという、過去の側へのみひたすら視点を向ける、こういうやり方ならば、メタ法則というものの探求には意味がある、法則の法則とか、社会構造の変化というものを研究することには意味があるだろう、場合によっては一般理論みたいなものだってつくれるかもしれない。でも、普通の意味でサイエンスがめざしたような、というか、未来を予想できるようなタイプの法則性というものには到達できないでしょう。それが『社会学入門』である程度書いたことです
 そうすると、しかし、いま言ったような典型的に社会学的な欲望が、法則の法則だとか、変化のそこに横たわっている秩序の理解ということになるとすると、それは、さっき言ったように回顧的にしかできない。人文学は、ある意味でそのような仕事ではないか。
 これは人文学を歴史学に偏らせて理解しすぎた解釈です。世界を秩序あるものとして理解するのには変わりはありませんが、その秩序というのはもちろんさらに変容すると理解した上で、その秩序の変容のあり方を省察したいわけです。ただ、それは未来を予測するというかたちではできない。これまで起こったことを記憶して、それを解釈して、並べ直すというかたちであればできる。それを最もスタンダードなかたちで遂行しているのが、結局のところ、広い意味での「歴史学」になってしまいます。
 社会学は、歴史学のやっているのと同じようなことを、その禁欲をとりはらってやろうとしている営みだということになります。それは結果的に不可能なので、行き詰まり感に襲われる、こういうことではないか。
 そのときに社会学が誤ったかたちで、その時代に向かっている欲望のあり方をもうちょっと整序して、敢えて名付け直すと、これはある種人文学的、歴史学的なものと呼ばざるを得ない。敢えて言うと、社会学的な欲望というのは人文学的な欲望の倒錯した一形態であるというふうに位置づけられると思います。
 余談ですが、経営学という学問。これは役に立つように見える、役に立つふりをすることが容易であるので、社会学よりも世間で大きな顔をしていますが、実は社会学以上に根拠は薄弱です。実態として見ると、経営学部だの、ビジネススクールで教えている人の中には、経営学者だけではなく、非常にたくさんの経済学者がいる。そしてさらに、同じぐらいたくさん心理学者とか、社会学者がいる。社会学者がお金が儲かるようになるための一つの道は、産業社会学者になって、いつの間にか経営学者であるような顔をすることであると、僕は思っています(笑)。
 もちろん、経営学の中でもソリッドな学問になり得る領域というのはもちろんあるわけです。大雑把に言うと、現代の経営学の中心的な問題関心は、敢えて言うと、マネジメントとイノベーションというふうに二つに分けることができます。マネジメント・サイエンスというのは組織の経済学者、それから、オペレーション・リサーチ以降のエンジニアたちも入り込んでいます。組織の管理技法とか、組織における動機付けの問題に心理学者が入り込んできたり、いわゆる、生産工学とか、経営科学といった領域があるんですが、そういうマネジメントの領域が経営学の第一の主題ですね。
 そしてもう一つは、イノベーションとか、アントレプレナーシップです。そしてイノベーションとか、アントレプレナーシップはそもそも定義上予測不能だというのが僕の立場です。つまり、社会学における社会変動の前向きの予測というのが厳密には不可能であると同じように、イノベーションも予測不可能です。経済学の方に「イノベーションの経済理論」と称するものがあることはあるんですが、そこから政策提言として何が出てくるかというと、結局のところ、規制緩和にしても、あるいは規制緩和の逆に、補助金を多少出すにしても、どちらにしても、こういう政策をしたら技術屋が頑張ったり、あるいは企業がもっと研究開発投資をするようになって、そうすれば技術革新の確率がアップしますという以上のことは何も言えないわけです。技術革新を促す環境についての一般論しか展開できない。ミクロ的な、個別具体的なイノベーションの研究できちんとしたものは、ほぼすべて法則科学的探究ではない、個別事例についての歴史学的研究になります。「経営史学」というやつです。後ろ向きにやるしかない。
 だから、リーディングな経営学者の中には、先ほど、経済学者や心理学者、社会学者が混じっていると言いましたが、のみならず歴史学プロパーの出身者が意外に多い。似たような領域が外交史です。政治史、とくに外交史の分野は、政治学プロパーではなくて、文学部歴史学科出身が、これは洋の東西を問わず非常に多い。日本でもそうですけど、アメリカでもそうですよね。外交研究者の中には、政治学、ポリティカル・サイエンスの出身ではなくて、ヒストリーの出身者がかなりいます。
 なぜ、そうならざるを得ないか。外交の法則というのは、イノベーションの法則と同じように、作れないわけです。国際関係の理論なるものはもちろんあります。けれども、国際関係の理論の大概はせいぜい、洗練されたところで結局、たとえばトーマス・シェリングなどのゲーム理論的分析のようなものになるしかない。シェリングのように国家を基本的なアクターとして、国家間のバーゲニングをゲーム理論的に分析するという研究はいっぱいありますが、具体的な固有名詞、人の名前が出てきて、外交官誰それが、交渉のどこどこでこういうことを言った、ああいうことを言っているというような研究は、全部、非常に細かいイベント・ヒストリーになっていくわけです。
 経営におけるイノベーション、あるいはアントレプレーシップの研究と、あるいは政治についての非常に細かい具体的な政策決定過程とか、あるいは外交交渉といったものの研究は、きちんとしたものはすべて歴史研究である。このことの示す意味というのは決して小さくはないと思います。
 それは、どうしてそうなるのか。一つの考え方はそういう、たとえばイノベーションであるとか、あるいは外交交渉とか、政治的な決定といったものは、どれ一つとして同じものはなくて、個別である。個別だから、普通の意味での法則定立的科学のアプローチを受け付けない。
 でも「それは結局、生物の進化の研究においても同じことではないか」という疑問が返ってきそうです。だから、逆に言うと「進化生物学とは実は歴史学なのだ」と言うことも、できそうな気がする。これは日本では、三中信宏さんのテーマです。彼によれば、生物学というのはもちろん歴史科学です。ただそれでも「科学」ではある。彼の考え方は、普通にわれわれが考える科学、法則定立科学とは少し別のタイプの「科学」がありうる、というものです。歴史学でありつつ、しかしヒューマニティーズでもない別の「科学」があり得る、と言っておられます。過去の考えられるいろんな、たとえば生物の進化の歴史の中で考え得る複数の系統樹候補があって、どの系統樹が一番もっともらしいかということを考えるために統計的推論をするとか。過去に一つしかないオリジナルな現象を、しかしそのあり得るバリエーションを可能性の中に位置づけ、あり得る可能性との関係で法則定立的に、確率論的に一番ありそうな、尤度の高い可能性を抉り出していく。一種の法則科学的なアプローチを唯一の出来事に対して行うという、一つの考え方を提出しておられて。非常におもしろいと思っています。ただ、社会的な領域における歴史研究にそれがどのぐらい役に立つのか、まだちょっとよくわからない。


社会学、その倒錯した人文学的欲望

 マクロ歴史社会学者のマイケル・マンが比較歴史社会学の限界について、おもしろいことを言っています。プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神との関係について考えたいときに、それこそウェーバーがやったように、歴史的にたくさんの文明圏での類似の暦ごとを集めて比較をする、というアプローチはもちろんあり得る。けれど、われわれが持っているサンプルの数が少なすぎる。統計的な研究が有意味になるほどたくさんのサンプルがないので、比較がサイエンスにならない。
 先ほどの「原理的に未来を予測できなくて、回顧しかできない」という議論とはまた違った、しかし身も蓋もないお話ですね。「歴史的経験の唯一性」ということの意味をこんな風に表現してしまうとは面白い。厳密に言えば歴史的事例も「唯一無二」ではないのかもしれないけれど、自然科学的対象、物理現象や生物現象に比べて、同じような事例の反復の回数が圧倒的に少ない、というわけです。サンプル規模が小さいと、もうそれだけでいろいろ問題が生じる。
 将来、人類の文明社会が滅びずに順調に続いていって、それこそ何千年、何万年と文明が継続したとしましょう。そうすれば、歴史的経験の蓄積も膨大になるし、似たような社会が百個も二百個もあるような世界が実現するかもしれない。そこでは、現在われわれが人間を対象にする個人のレベルでしかできないような研究が、マクロ的な社会間でもできるかもしれない。現在、まともに記録が残っている範囲で、せいぜい百、千年単位でしか人類の歴史というものは研究対象になりません。だから、比較社会学的に使えるサンプルサイズも小さくなる。でも、もし、人類の歴史がこれからあと何万年も続く。で、いろんなところで興亡が繰り返されるということになれば、そのサンプルサイズも増えて、統計的に有意な科学的分析が可能になるのかなと、妄想しないでもありません。でも、相当むちゃな話になってくる気がします。
 現在の計量的な比較社会学的研究は、結局、個人を単位として、人と人との違いを比較するということはかなりの程度できても、マクロ社会というか、コミュニティレベルの比較では、あまり有意味なものができない。せいぜいいま行われているのは、たとえば福祉国家研究が典型的にそうですが、国を単位、国同士の比較を統計的にやるわけです。要するにサンプルサイズが何とか数十のオーダーまで上がるので、どうにか意味がある統計的研究ができる。二十とか三十とか、あるいは上限百ぐらいだったら取り回しもしやすいというメリットもあります
 一方で、昨今、心理学者とか経済学者とか、社会学者の一部で、個人を分析単位として行うようなミクロ的な統計研究は、万単位のサイズのサンプルを扱えるところまで来ています。これはこれでもちろん、サンプルを集めるコストだとか、それを処理するのに必要なコンピューターのマシンパワーとか、いろいろ大変な問題がありますが、はるかに厳密な研究ができる可能性がある。それに比べると、国単位で、女性の社会進出が増えたら子どもは増えるのか、減るのかとか、そういう研究をちまちまやっているのは、いかにもあれだなという感じがしてしまうわけですね。
 結局、社会学者や政治学者がマクロ社会の比較研究で統計的にやれるというのは、その範囲が上限、限界です。いまのところウェーバーがやったような、職人芸のような比較とからわれわれは逃れ難い。しかし、一方で、あれはサイエンスなのか、むしろ人文学ではないのか、という思いにわれわれは駆られる。
 だから、たぶん科学や工学から区別される、人文知、人文学的なスタンス、これが社会学から消え去ることはたぶんないのではないかと思います。ほとんど唯一無二の個別的な事例の研究が支配的になれば、それは人文知であらざるを得ない。
 もちろん、先に示唆したように、個別的事例が個別的であるのは、われわれの経験の幅が狭いからかもしれない。経験の幅が広がれば、いまのところ人文科学的な研究の対象でしかあり得ないものも、もうちょっとサイエンティフィックに研究する可能性が開けるのかもしれない。ちょっとSFっぽい可能性を考えるなら、何億年も文明というものが存続して、その中に人類が他の知性体とかのお付き合い等も生じるならば、何万単位の社会そのもののサンプルを統計的に活用できるような時代というのも来るかもしれませんが。そういうものをいまから想像してもしかたがない。だから、過去を回顧するしかない、法則を定立するということをあきらめざるを得ない。しかし、それでも対象を理解しなければいけないと。そういう意味での人文学の出番というものはおそらくなくならないと思われます。
 社会学は、その出自の最初から一面では非常にサイエンティフィックでありたがったわけです。これは歴史的にそうです。そのときのサイエンティフィックというのは、エンジニアリングに対してサイエンス。社会がこうありたいという問題関心は、むしろ社会学の初期においてはとくに大きかった。
 つまり、経済学は結局政策科学、実践的で、半分そういう意味においてエンジニアリングだ、と。そうではなくて、きちんと、ありのままに社会を理解したいという欲望も、初期の社会学者たちの中にはあった。むしろ、それを前面に出して、実践的ではないことに、ニュートラルにとどまることに社会学の存在意義を認めるという立場も確実にあった。その場合、何がライバルとして、あるいは否定される対象として考えられていたかというと、それはサイエンスのものというよりも、政策科学的に、実際的な問題関心であったのではないか。しかし実践的立場に対して、いわば省察的な立場をとることを社会学が目指していたとしても、省察的な立場イコールサイエンス的な立場というわけではなく、歴史学的、人文的なスタンスもまたある種の省察的立場でしょう。。
 要するに、一面では自然科学、そして実践的、政策的な、社会学以前の、経済学を中心とする先行社会科学というもの。それとは別に、他の人文科学。それらすべてから、新興科学としての社会学というのは自らを差別化する必要があった。だから、いろんなものに対して、そうではない、そうではないという立場を一生懸命とろうとした。その辺の事情を理解した上で、やはり冷静に考えるならば、社会学の居場所はどこにあるかというと、科学を目指しつつもやはり人文学から離れられない。社会学を駆り立てているものは、倒錯した科学的欲望であると同時に、倒錯した人文学的欲望でもあると言わざるを得ないのではないか。


■人文学的なるものと「つくる会

 ここで、もう少し、人文学的なるものについて考えていきたい。しかし、その人文学的なるもの、いまは敢えて歴史に偏向させたものの見方をしましたが、もう少し広く人文知の特徴を考えてみたいと思います。非常にスローガン的に、乱暴に言うならば、人文知においては「知識」と、「教養」ないしは「常識」との違いについて特に真剣に考えざるを得ない。どういうことか。人文知、つまりリベラルアーツはしばしば「教養」と結びつけられるわけです。教養の復権という話は、もうさんざん聞かされていると思います。でも、教養の実体とは何か。
 この間、猪木武徳さんの大学行政における苦労なんかを反映された大学に関する本『大学の反省』(NTT出版)が出ました。読んで、さすがだなと感心しました。でも、頭を抱えてしまったところもあるんです。人間には教養がないといけない、大学でもリベラルアーツの教育は必要である。「専門への逃走」をこの間大学はやってきたが、大学にも、社会にも教養知の復権が必要だ。とおっしゃる、もちろんその通りなわけです。しかし、だからといって、学生に古典を読ませれば教養がつくというものではないとも思うわけです。「欧米では学術エリートも、ビジネスエリートも、ホメロストゥキディデスシェークスピアを読んでるけれども、日本では全然だめ」とかいうことが、教養の差かというと、そういう単純なものでもないと思います。
 もちろん、日本でもうちょっと古典教育はしたほうがいいという気持ちはわかります。でも、日本で古典教育、たとえば古文の時間を増やすとか、漢文の時間を増やすとか、古文・漢文を大学まで来て、教育課程で必修にするという問題ではないだろう。
 むろん、猪木先生も古典を読めばそれでいいとおっしゃりたいわけではないでしょう。では、教養とは何なのか。僕は、教養と人文知、人文学、教養と人文学とリベラルアーツとの関係は、もうすこしきちんとつめないといけないと思います。
 そもそもリベラルアーツにはかつては自然科学も含んでいたはずです。いわゆる教養の中に自然科学が含まれないはずはない。しかし、最近の教養を語る人たちの議論の中で、自然科学への配慮が非常に少ないことが気になります。それがが、たとえば今回の「事業仕分け」をめぐる混乱にも反映しているような気がします。
 私が非常に気になっているのは、教科書問題で、歴史教科書問題に非常にビビッドに反応して、いろいろ議論をされる方が大勢おられるのはけっこうなんですが、なぜ、扶桑社本に対抗してきちんとした歴史教科書を書こうという方がおられないのか。それがわからない。いや、そういう人たちは学界の主流におられるから、既存の検定教科書にたくさんコミットしておられるのは知っています。しかし、歴史的に検定でもめる教科書というのは、扶桑社の教科書以前に何があったか。扶桑社の教科書以前にまたちょっともめた教科書が、例のあの「つくる会」以前にも一つありましたね。でも、それよりさらに遡ると、家永裁判というものをわれわれは知っているはずです。『検定不合格日本史』のことを。家永裁判ほど目立たちませんが、久野収さんがコミットした、やはり『検定不合格倫理・社会』という教科書があります。これは、教科書ではない。教科書になれなかったわけです。なぜ、そういうものを今回、あの教科書問題のときに作ろうという運動が起きなかったのか。極端に言うと――本当に極端ですが――あの反対運動のあり方に、根本的に不健全なものがあった。根本的に間違っていた。乱暴に言えば、だから、同情してもらえなくて、国立大学は独立法人化したんだと思うんですね。
 そういう意味では、むしろ基礎教養として学校教育と教科書という問題に対しては、むしろ一部の理科系の人たちのほうがはるかにビビッドに反応しています。そして、文一総合出版の『新しい科学の教科書』というものができた。あれを一部の私立学校で副教材として採用するということが現実として起こりました。イオンや進化が中学教科書から消えたので、中学生にちゃんとした科学の素養を仕込める教材を作ろうと、いろんな人たちがメーリングリストで協働して作り上げました。その延長線上に、ブルーバックスから高校レベルのものも作られる。そういう経過があります。ああいうことがなぜ人文社会科学の領域で起きなかったか。


■教養とは何か

 結局、教養とは何かという確たるビジョンがないところで、人文知の復興とか、リベラルアーツの復興とか、言っても全然意味がない。こういう場合は、まず、戦線を限定して、厳密に話をしましょうということになります。
 最初に言いましたとおり、知識と、教養、常識の区別をしておきたい。言葉遣いが少しやはり分析哲学っぽくなるので申し訳ないですが、敢えて区別してみたい。
 現代哲学において、認識論、最近では知識論と呼ばれることも多くなったと思いますが、知識の理論において、知識をどう考えるか。知識が知識であり得るためにはどのような条件が必要か。
 先ほど、クワインデイヴィドソンのラインと言いましたが、ホーリズムの路線で考えてみましょう。このラインに沿って考えるならば、知識というものは、個別ばらばらの情報とか断片は知識であり得ない。個別の知識が知識として意味を持つ、機能するためには、他の知識、情報との意味連関のネットワークの中にいなくてはいけないということですね。フレーゲ以降の言語哲学では、言葉というものは結局、単語を単位とするではなく、文、命題を単位にして考えねばならない、となっています。さらに、文一個一個をとってもしかたがなくて、文のネットワークを考えようというふうに、クワイン以降ははっきりしていく。言語哲学との関係で、知識論、認識論のほうにもそういう考え方が影響を及ぼしてきます。
 つまり、知識はコンテクストの中において初めて意味を持つ、というわけです。もちろん、コンテクストすべてを一挙的に捉えるということは不可能です。前もってコンテクストを確定的に捉えて、その中で個別の知識の位置づけをする、などということはできません。この「コンテクストに知識は依存している」というのは、あくまでも規範的なレベルの話です。そうであるはずだ、そう想定しなければ一個一個の言葉の意味、一つずつの知識をわれわれは理解できない。どんな断片的な知識も、その断片の周囲の他の知識、人間や人間を超えた社会全体の知識、情報のネットワークの中にある。その一定のコンテクストの中で、一定の位置にあるからこそ、この知識、情報は意味を持つ、というふうに考えないと、どんな知識も理解はできません。しかし、もちろんそのネットワーク全体を一挙に見渡すことは誰にもできない。それを定式化して記述することも無理です。だから、未知ながら一定であると想定するしかない。全体は一定と想定した上で、そのあくまでも未知なる全体との関係で、個別的なこの文章とか、この語の意味は決まります、というふうに考えるしかない。
 ホーリズムの言語観、知識観というのはこういうものです。全体以外には何もないと言いながら、しかし、全体それ自体を記述したり、認識することはもちろん不可能である。全体はあるはずだと考える。でも、あるという確信さえ実は持てない。しかし、あるはずだと考えなければ、有意味にわれわれは考えることさえできないということです。
 そういう意味では、「知識」はコンテクストを前提とした上での、ミクロ的な、より具体的な情報、知識でしかあり得ない。しかし「教養」は、そういう個別具体的な知識のことではないはずです。われわれが復権しなければいけない、復興しなければいけないとしばしば言うところの「教養」とは、そういうものではないわけです。単にたくさんの断片的な知識があれば、ものを知っていればいいということではない。教養、あるいは常識は知識と必ずしもイコールではない。ものをたくさん知っているからといって、イコール常識があるとか、教養があるとかいうことにはならない。教養とか常識というものは、個別の知識に対していわばメタレベルに属しています。すでに述べたように知識は文脈依存的なものですが、言ってみれば教養とか常識は、この知識が依存している文脈への感受性です。あえていえば、ホーリズム的な意味での全体に対する感受性です。部分的、個別的なな情報を持っていることが、知識を持っているということです。それに対して常識があるとか、教養があるとかいうのは、そのような情報を有意味な知識として組織する、コンテクストを踏まえている、把握しているということです。しかしながらそのような意味での教養とか常識というものは、全体として定式化することが原理的に不可能なのです。教養とか常識はそういうものです。
 「教養」と「常識」の間には、日本語では語感の違いがあります。「教養」とはいわば、きちんとした知識に裏打ちされて、啓蒙され、洗練された「常識」、としておけば構わないとも思います。あまりものを知らないけれど、きちんといま自分が生きている環境に適応している、それが、「常識ある人」ということでしょう。
 そういうふうに考えると、教養と人文学の関係というのは何なのか、なんとなく明らかになってきますね。知識は文脈依存的である。断片的な情報が知識として意味を成すためには、それが配置されるべきより大きな文脈について、それなりのイメージを持っておかなければならない。でもその全体的文脈のほうにいちいち頭を悩ませていたら、個別具体的な知識の探究ができなくなります。個別具体的な知識の探求、洗練は、その知識の置かれている文脈に関して、とりあえず一定のものとして、一旦カッコに括ることによって初めて可能になる。傾向として、個別具体的な科学研究というのは知識の洗練。知識の洗練のためには文脈は一定と仮定しなければいけない。要はバランス感覚、力の配分の問題です。
 しかし、人文科学は、個別具体的な知識の探究であると同時に、知識を取り巻く文脈の多様性やまたその測りがたさにまでも関心を持ってしまう、というよりそのような関心にこそその主眼があると言ってもいい。文脈を特定した上で、より知識を洗練していくのが狭い意味での科学だとすれば、人文学は、むしろその文脈そのものにどんどん遡って、背後を広げていくような欲望に対応していると言えるのではないか。そういう意味では、人文知とはたしかに教養そのものではないにしても、法則科学に比べると、教養というものに対して特別な関係にはいりそうですね。
 教養は「啓蒙された常識」といったところでしょう。そうすると、「教養なき常識」というものも当然あり得る。重要なのは、知識と常識、教養とのレベルの違いです。知識があくまで意味を持つのは文脈に依存している。ただ、文脈それ自体というものを一挙的に知ることはできません。教養、常識とは文脈それ自体の知識の集積ではなく、個別の知識の背景にある無限の深さのある文脈への敏感さです。ですからそれは単に知識や知識の集積のことではなく、知識を扱うスキル、ある種のスタンスのことなのです。
 ですから「教養にとって人文知が重要だ」といわれれば、それはそのとおりです。特定の文脈に強く依存した、ある限定された文脈の中でのみ通用する知識だけでは、人間は広い世界で生きていくことができません。しかしもちろん、世界の中にある多様な文脈をすべて知り尽くすことなどできるはずもない。そうではなく、自分の生きている狭い世界の文脈、自分の常識以外にも、時とところ、そしてその中に生きる人々が違えば、それに応じてさまざまな文脈、さまざまな常識があり得るということをわきまえておくこと。もちろん抽象的にではなく、ある程度は具体的な別世界についての個別の知識は必要ですが、それを踏まえたうえで、知らないことにも対応できるように心の準備をしておくこと、想像力を鍛えておくことが、教養の核心だということです。
 そして、そのような想像力を身につけるためには、人文知がとても有意義だ、ということはわかります。人文知、人文学の中核が歴史学、あるいは比較文学比較文化だとするなら、確かにそれは想像力の涵養にとって重要です。芸術の重要性もそこにある、多様なものの見方、多様な感性があることを具体的に例示してくれるところにあるといえましょう。
 社会学の中には、確かにソリッドな知識を社会について体系的に蓄積していくことをめざす、そういう科学的な野心もあります。しかしながら『入門』で論じましたとおり、社会学が社会を捉えるときの中心的なアイディア、社会をどのような存在として捉えようとするかというと、あくまでもそれを変容可能性において、つまり「社会とは変わり得るものである」とするところにあります。それは、ある前提となる文脈を固定した上で、その範囲で知識を具体的に蓄積していくという、オーソドックスな科学研究のスタイルには実は馴染まないような対象、馴染まない問題意識であったわけです。だから、社会学は人文知的なスタンスを捨てることができない、むしろそこに重心を置き続けないわけにはいかない。
 そういう意味で、社会学が人文(科)学の中に繰り入れられることは間違っていない。ですから、たとえば日本の大学では社会学科が文学部にあることが多いだとか、あるいはその業績のその流通のしかたも、専門家の間で読まれる論文だけではなく、一般読書人を想定した市場で売られる書籍の地位が高いといったことも、単なる偶然ではなく、社会学の本性(?)と関係がある現象なのでしょう。


社会学の本性

 ただ、社会学が非・人文科学的に厳密科学をめざす方向が完全に不毛かというと、そうも言い切れません。いろんな方向があるけれど、たとえばひとつの有力な潮流として、一部の研究のあり方は、法則科学、自然科学的な意味での厳密性とは違うけれども、人文科学的な意味での厳密性を、歴史学をお手本としながら目指す潮流はある。従来の社会学の歴史への向かい方は、一次史料の発掘と解読はプロパーの歴史学者に任せて、自分は主に二次史料、歴史学者の研究成果を素材としてそれに社会学理論で解釈を加える、というものが多かったのですが、ことにフーコー・ブーム以降、「言説分析」と称して、歴史学者や民俗学者に伍して一次史料に直接取り組む社会学者が増えてきてはいます。他方でもちろん、それこそ自然科学型、サイエンス型でがんばっている人たちもいる。たとえばアメリカで経験的な実証研究をやる社会学者の多くは、統計的数量分析にかなりシフトしている。それからこれは人類学にも通じる話ですが、俗に「質的分析」といわれる、インタビューや現場での参与観察によって、個別のケースを細密に分析する「ケーススタディ」についても、従来は職人芸的な世界でしたが、昨今ではかなりシステム化が進んでいる。最近は日本でもいくつかテキストが刊行されていますが、数量化できるデータだけではなく、インタビューとか、その他数量化できないケースレコードを整理し、解析するためのソフトウェアが開発されています。昔は職人芸だったケース研究を、支援するためのソフトウェアがある。つまりいわゆる「質的研究」についても、きちんとしたフォーマルメソッドを開発しようという欲望があり、ある程度成功を収めている。
 抽象理論のレベルでも、やはりアメリカに偏向していますが、数理的な理論研究が進んでいる。ただ、具体的に見てみると、その中心のひとつは複雑ネットワーク理論であり、もうひとつはゲーム理論です。後者だとと経済学の後追いになる可能性がある。前者だとその心配は今のところまだあまりないですが、現時点で研究をリードしているのは応用数学、計算機科学や物理学出自の研究者です。
 社会学のハードサイエンス化の方向において、一番実りがありそうだと思うのは、一つはエスノメソドロジーです。理論だけではなく、実証研究と成果の流通のしかた、共有のされ方、すべてにおいて、エスノメソドロジー、その派生分野たる会話分析はハードサイエンス化している。しかしそれはおそらく、社会学出自の人だけじゃなくて、言語学とか、認知科学とか、心理学とか、いろんなところから人々が集まってやっているせいもあると思います。
 それから、先ほどクワインデイヴィドソンに触れましたが、デイヴィドソンについて少しお話しましょう。かつてはデイヴィドソンの仕事には二つのラインがある、といわれていました。一つは行為の理論、もう一つは意味の理論、つまり彼の仕事には大きく分けて行為の哲学と言語哲学の二つの系列があった、と。ところが晩年になって、この二つの流れがより大きなひとつの体系、彼の言うところの「統一理論」へと統合されていきます。実はデイヴィドソン哲学の中で、行為の哲学と言語の哲学は互いに独立した別個の探究ではなく、彼の心の哲学、「統一理論」、合理的な主体性の一般理論の二つの側面にすぎなかった、ということがわかってきた。
 彼の言語哲学、意味の全体論は、言語のレベルで自己完結するプログラムではありませんでした。意味の体系としての言語によって世界を理解する主体は、具体的にはそのような理解に基づき行為する主体です。意味によって世界を分節化することなしに、行為をすることはできない。そして行為する主体は行為を導く欲求を備えている。そして実は欲求を備えていなければ、主体は世界の中のあれこれを区別する――意味をもって識別することができない(主体はただ単に「あれとこれは違う」と区別するのではなく、「あれよりもこれがいい」という欲求の序列に基づいてこそ区別を行う)――乱暴に言えばこのような、合理的主体の統一理論をデイヴィドソンは営々と組み立ててきたのです。
 更にここからデイヴィドソンは、「三角測量」という面白い表現を用いて、社会理論にまで手を広げます。彼に言わせれば言語哲学、認識論の根本概念たる「真理」は実は本源的に社会的な概念なのです。上に述べたような合理的主体は、「世界はこうなっている」という信念(「信仰」とか「信条」ではなく、「思いなし」というほどの意味です)をもち、また「世界はこのようにであるよりはあのようにあってほしい」という欲求を備えている。しかし実はこの主体には、いまだに「知識」――真である信念はない。より正確に言えば、必要ない。このような主体が複数存在する状況、自分と同様に合理的なほかの主体とであって、互いの信念を照合する必要が出てきて初めて、それぞれの信念――というより知識が本当か間違いか、を考え、それを表現する必要が出てくる、というわけです。
 20世紀後半にはデイヴィドソンの他にも、サールやグライスなど、言語の哲学と行為の哲学を連動させながら、心の哲学の全体系の中に統合していこうとした哲学者たちがいました。彼らの切り開いた地平の上に、合理的主体性についての新しい科学ができていく可能性がある。更にそのような合理的主体についての厳密科学というのは、同時に社会の科学にもならざるを得ないということがわかってきた。デイヴィドソンが言ったように、あるいはグライスのコミュニケーションの科学にしてもそうですが、理性ある存在というものは常に社会的でもあるということです。一部の社会学者が先駆的に、いろいろ言ってきたことが、哲学者たちによってより洗練された形で肯定的に検証された、ということでしょう。20世紀の哲学は、中葉ごろまでは言語と論理の哲学が中心で、それがだいたい70年代、80年代あたりから、認知科学の勃興と呼応しながら心の哲学に重心がシフトしたと言われています。そして心の哲学は、更に社会の哲学へと発展していくだろう――まあ、そういうことは社会学者よりはるか以前に、実はヘーゲルも言っていたわけです。アドルノが言ったように、ヘーゲルの「精神」というのは実質的には社会のことですから。実際、いまそうした観点からヘーゲルは読み直されつつあります。この延長線上に、社会学にとっても何か新しい展開が見えてくる可能性はある気がする。ただ、それがこれまでの社会学とどういう関係にあるかというのは必ずしも明らかでない。様子見です。
 かつて、ゲーム理論ミクロ経済学の全体を書き換え、新たに基礎付けなおすように見えた時期がありました。ある意味では実際にそうなったのかもしれませんが、なったからといって、どんな意味があったのか、そのことによって学問がどれくらい進歩したのか、本当はよくわからないところがある。少なくとも、ゲーム理論の道具立てでいろいろ既存の経済学を作り直していくのがなんとも新鮮でおもしろかった時代はもう過ぎたのでしょう。いまはミクロ経済学的研究の前線は、理論よりも計量的実証分析であるといわれます。昔は計量的実証は、どちらかというとマクロの人たちが一所懸命だった印象がありますが、万単位かそれ以上の大量のデータをいっぱい扱うコンピュータ技術、マシンパワーが手に入ったおかげでか、ミクロ計量分析が花盛りです。ゲーム理論はもうすでに「経済学の革命」ではなく「経済学にとっての便利だが普通の道具」になってしまいました。その伝で言えば、仮にデイヴィドソン的な心―社会の哲学が、社会学の新しい基礎理論となってくれたとしても、それでで全部すっきりというわけにはたぶんいかないでしょうね。


■「世紀末」の意味

 あともう一つ、本日お話しできなかった重要な問題があります。社会学にとってのある意味特権的な時代として、世紀転換期、前世紀転換期をこの本ではクローズアップしました。モダニズムの一潮流として社会学は解釈できる、とそこでは言いました。この本の中では一言も書いていませんが、実はこの表現は哲学者のヒラリー・パトナムの影響を受けています。パトナムは『実在論と理性』に収録されたある論文で、「分析哲学モダニズムの一環である」と喝破しました。哲学における現象学と同時代現象であるのは当然として、それは抽象美術とかバウハウスとか、そういったモダニズム芸術とシンクロした現象でもある、と。少なくとも初期の分析哲学を駆り立てた、論理実証主義の中に典型的にあるような欲望というのは、モダニズム的な欲望なのだという言い方をしている。
 パトナムと同様のことはハッキングも『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の中で論じています。彼はこの時代、フレーゲの時代、つまり現代的な意味での言語哲学、論理哲学の出現する時代を「意味の全盛期」と捉えて、分析哲学現象学社会学も「意味という列車にすし詰めになっていた」と身も蓋もなく言っています。現代記号論理学の祖たるフレーゲは「意味の全盛期」のワン・オブ・ゼムで、この時代の人々はみんな意味に取り憑かれていた。たとえばマックス・ウェーバーを見ろ、ディルタイを見ろ、とハッキングは言います。
 ハッキングにせよパトナムにせよ心強い援軍ですが、ただ、この「転換期としての世紀末」という論点について詰めるべきことは、それこそ実証史学的には、文化史的、精神史的にもたくさんある。
 これは拙著『「公共性」論』のテーマでもあったのですが、この世紀転換期は、ハーバーマスの言葉でいうと、「公共性の構造転換」の時代であるということになる。ハーバーマスのみならず多くの社会学者はこの時代を、社会学の確立期という以上に、そのような問題意識を生ぜしめた社会変動の時代、大いなる転換期として位置づけている。しかしそれに対して、この時代に果たして本当に、言われるほどの構造変動があったのかどうか、いっぺん立ち止まってよく考え直そうよ、と『「公共性」論』ではむしろ主張しました。マルクス経済学のフレームワークでは、あの時代に帝国主義段階への移行があって、資本主義の体制が変わったのだ、その節目はヴィクトリアン・デフレーションの大不況であった、と言われてきました。しかしその「通説」は何かおかしい、変だと、最近言われている。
 しかしその辺のデリケートな問題を今回の本、『入門』では全部すっ飛ばして、「あの時代には大きな変革がありました」で済ませている。本当にそんなものがあったのか、あったとしても、それは人の頭の中だけでのことではなかったのか、と『「公共性」論』では懐疑論を提出したにもかかわらず、です。僕の解釈するところでは、フーコーも、どちらかというとそういう懐疑論に組するのではないか、という気がします。もちろんフーコーの議論は、段階論として読まれやすい。それも全然間違いとはいいませんが、彼の仕事は結局「エピステーメー」のレベルに焦点を合わせている。実態的な社会史については、意外と威勢のいいことは言っていない。むしろ「「ある時代から別の時代に変わりました」となどと軽軽しく言うな」と、最近公刊された講義では言っているわけです。「Aの時代からBの時代へ」とあっさり言うべきではない。「Bの時代」、と見えてしまう時代でも、ふつうAはなくなってはいないし、またBに代わって歴史の前面に出てくるかもしれない。そんな風にフーコーは言っている。もっともだと思います。ですから、あまりにも図式的に「社会学の確立期はモダニズムの時代だ」と言うことには、実が問題があるな、と自覚しています。



経済学という教養 (ちくま文庫)

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「公共性」論

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ソーシャルパワー:社会的な“力”の世界歴史〈1〉先史からヨーロッパ文明の形成へ (叢書「世界認識の最前線」)

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大学の反省 (日本の〈現代〉11)

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新しい科学の教科書―現代人のための中学理科 (生物編)

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合理性の諸問題 (現代哲学への招待 Great Works)

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実在論と理性

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言語はなぜ哲学の問題になるのか

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