9月18日日本社会学会シンポジウム・コメント原稿

 お約束通りこちらにアップします。当日読み上げられたのは2の冒頭までです。


 しかしあのシンポ会場は実にいい意味で不穏であったのに不完全燃焼感著しい。壇上に市野川容孝と安藤馨がそろうというだけで十分アレなのにフロア最後列では小泉義之がいつもながらの怖い顔で壇上をまっすぐ睨みつけていたし、その他かなりやばめの面子がそろっていたというに。


 なおわたくしごとになりますが、終了後は市野川、更にフロアにいたid:contractioid:yeuxquiと連れだって梅田に繰り出し、うちで寝ていた岸政彦を呼んでお酒をいただきました。
 いっちーは終始上機嫌。「安藤馨スゲー!」を多分百回は言った。かつての東浩紀ソルジェニーツィン試論」以上の衝撃であったという。


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1.


 著書『社会』前後から市野川容孝が追究してきた「社会的なるものの社会的構築」という問題系、すなわち、明確に規範的な言葉づかいであった「社会的social」が、19世紀末から20世紀初めにかけての社会学ディシプリンとしての自立、確立の中で脱色され中立化されてしまったことの問題性への指摘は大変に意義深い。それは市野川自身、また西澤晃彦や重田園江の作業にも明らかなとおり、19世紀の「社会主義」と切り離して理解することはできない。簡単に言えば「社会主義」とは、市野川らの意味での「社会的なるもの」が損なわれることとしての「社会問題」の克服を目指す思想運動のことであり、あるいはそうした思想に導かれる社会体制のことである。「社会政策」「社会事業」「社会改良」といった語群もまた、こうした文脈で理解されねばならない。


 しかしながら「社会主義」とはいったい何であったのか/何であるのか、を理解することは容易ではない。社会主義の思想・運動潮流の中で圧倒的なヘゲモニーを獲得した――社会民主主義の成立によって西欧の運動潮流においては傍流化しつつも、ロシアにおいて政権を獲得し、その知的な影響力においては西欧においてさえ社会民主主義を圧倒しかねなかったマルクス主義によって、我々の社会主義理解は大きく歪められている。なんといってもそれが実現した「現存する(した)社会主義」によって。
 市野川の語法に従えば「現存する(した)社会主義」は「国家社会主義」であり、本来の、あるいは目指す甲斐のある社会主義とは「社会民主主義」である、といってもかまわないのであろうが、果たして社会民主主義を『社会』における市野川のように、「社会主義という目的を民主主義という手段で達成する」としてしまってよいのか? そこにおける「目的」は「国家社会主義」の――そしてマルクス主義のそれと同じなのか? 植民地支配下の抵抗者のナショナリズムや小農の土地要求を、レーニン以上にドグマティックに否定したローザ・ルクセンブルグの自由と民主主義の擁護は、今となってはむしろいたましいものでさえある。
 歴史的に見てある時期までの社会民主主義者はその程度の素朴な考え方に安住していたと思われる。すなわち「重要産業の国有化から全面的な計画経済への漸次的移行」程度のアイディアしか持っていなかった形跡がある。
 それどころか、そもそも60年代までは西欧の保守主義者の間でも、市場重視の「新自由主義」よりもむしろ「収斂理論」によるインダストリアリズムの方が正統的(思い当たる名前を挙げるならベル、アロン、ダーレンドルフ、更におそらくは戦後のシュミット等々)だった。そこでは景気循環の他に、高度産業化のもたらす外部経済(公共財・知的財産等)・不経済(公害、リスク管理等)の激化が市場経済の限界を露呈させ、政府の統制が不可欠の混合経済へと移行し、東西両陣営は類似の体制へと収斂していく、というヴィジョンが提示されていた。
 新自由主義による福祉国家批判以降は、こうした計画化幻想はほぼ払拭され、保守サイドにおける新自由主義の知的ヘゲモニーが強固に確立されたわけだが、社会民主主義には何が残されたのか? 租税国家による再分配だけか? 外部経済・不経済、「市場の失敗」の処理は? 今日なお目指すに足る「社会主義」とは具体的には何なのか? 

 それを考えるためには「社会主義」、更には歴史的な意味での「社会問題」「社会改良」「社会政策」といった語彙の含意の徹底したサルベージが必要であり、たとえば重田による19世紀フランスの「連帯」を巡る探究もそうした貢献の一例であるが、このような探究の末に「目的とするに値し、かつ実現可能な体制としての社会主義は存在しえない」という結論が出てしまう可能性は考慮に入れておかねばならない。少なくともリベラルデモクラシーと中央指令型計画経済は両立しえないであろうことはほぼ確認されたといえる。前者と両立しうる社会主義とは、具体的にはどのようなものか? 中央指令型計画経済の有効性が理論的・経験的に否定された今日、残る可能性は協同組合主体の市場経済、ということになるだろうが、その資本主義――営利企業(株式会社)主体の市場経済に対する劣位も、理論的かつ実証的に強く主張されている。資本主義の優位性はおそらくは資本市場の存在にある。組合員の平等を原則とする通常の組合においては、事業へのコミットメントの強度やリスク引き受けの評価の指標が、組合員の増減くらいしかないのに対して、株式会社においては株価という指標がある。
 このような観点からするならば、今日における社会主義の可能性を考えるにあたって焦眉の急のテーマの一つは、先進諸国における協同組合のみならず、途上国における開発金融の経験をも踏まえた、非営利的金融の可能性であろう。しかしそうした探究に対して現状の社会学がどのような貢献をなしうるかについては、疑問なしとしない。


 またそうした探究にとっての知的障害になっているのは社会学以上に、近代日本の知的伝統の背骨を形作ったマルクス主義でもある。やや先走っていえば、体制としての「現存する(した)社会主義」のみならず思想としてのマルクス主義それ自体が、市野川らのいう「社会的なるもの」に敵対者であったはずだ。かつて社会学を「ブルジョワ科学」として排斥したり軽侮したのは「現存する(した)社会主義」だけではない。
 マルクス主義は資本主義批判に際しては社会主義の理念を持ち出し、社会主義批判に際しては資本主義の強靭さを持ち出すことによって、己のアイデンティティを保ってきた。かつてはそうしたネガティブな差異化しか持ち合わせなかったわけではなく、目的としての計画経済と、手段としての暴力革命、というポジティブな自己定義も可能だったが、「現存する(した)社会主義」の解体によってそれは目標を喪失した純粋な批判理論に退化した。おそらく今日もっとも「新自由主義」の強さを信じているのは、他ならぬマルクス主義者たちである。かつての再分配的福祉国家への批判の舌鋒はやや弱まったものの、ケインズベヴァリッジ的景気政策に対するネガティブな評価は相変わらずである。マルクス主義者は金融を何か余計なもの、実体経済に寄生しそれを歪める何か悪しきものととらえる嫌いがある。しかしこのような偏見は克服されねばならない。


2.


 おそらく「社会的なるもの」という概念は、たとえば「健康」と(そしておそらくは「徳」とも)構造的に大変似通っている。それが損なわれることの問題性は比較的誰もが直観的に了解しうるが、損なわれず十全な「社会的なるもの」を想定することは不可能あるいは無意味であり、それを強迫的に目指すならば、とてつもない倒錯に陥る。
(それをいうなら実は「人間性」「人間的なるもの」「人間」といった概念系もまた全く同様であるわけだが。)


 ハンナ・アレントのいう「社会」と市野川らの意味での「社会的なるもの」とはそもそもイコールではない。もちろん、アレントの意味での「社会」は社会学的な意味での「社会」ともまた異なる。強いていえばそれは「社会的なるもの」の損壊としての「社会問題」と関係がある。おそらくそれは「社会問題」の生起する場のことである。となればそこでは「社会的なるもの」は損なわれていてむしろ当然なのである。
 しかしアレントが「社会問題」への対応、その克服を「政治」から追放するということは、すなわち「社会的なるもの」の回復を「政治」から追放するということなので、市野川らがアレントの議論を警戒することには相応の理由がある。「社会問題」の全面的解消、「社会的なるもの」の全面的実現はアレントにいわせれば「全体主義」に他なるまいから、アレントのいうこともわからないではない。しかしそうした極端に走りさえしないのであれば、「社会問題」を政治の対象にすることに何もおかしなところはないようにも思われる。そもそもアレントが政治の範例とした古典古代のギリシア、ローマにしてから、そこにおける政治は「社会問題」(そもそもアレントもまたこの表現を用いている)、富める者と貧しい者との格差、対立と決して無縁ではなかった。
 ただしアレントの意味での「社会問題」は、おそらくはその外延を市野川的な意味での「社会的なるもの」の損壊としての「社会問題」とほぼ同じくするであろうが、その内包的な意味は異なる。
 アレントの意味での「社会」とは人びとの集合・共存、ただし公的な次元を欠いたそれのことである。それを「政治経済」と呼び換えてもほとんど問題はない。近代的な「政治経済political economy」は通常「家政oeconomy」とは次元を異にする現象であると考えられているが、アレントに言わせればどちらも公的な次元を欠いている点では大差ない。巨大な「家政」である中央指令型計画経済も同様である。


「公的な次元を欠いている」とはどういうことか? 私的な家政についてはよしとしよう。しかしそうした私的な家政が無数に集合して形成する巨大な「社会」≒「政治経済」が「公的な次元を欠いている」とはどういうことか? 
 自由な市場経済を主導する理念によれば、そこでは人びとは消極的に既存のルールを守るという以外の公的なコミットメントを要求されず、私的な利益を優先的に追求することを許される。のみならず理想的な市場経済(「政治経済」を主導する経済学のモデルの描くところの)では、人は取引相手と「コミュニケーション」をする必要はない。発信者としては不特定多数を相手に、ただ自分の意思を一方的に表明するだけでよく、受信者としては他人の意思の表明をただ単に事実として受容するのみである。
 中央指令型計画経済においては、自由な市場経済とは異なり、システム全体を設計し統制し調整する主体が存在する。そのレベルでは重大な質的相違がある。しかしながら計画当局に属さない一般人にとっては、ただ上からの指令を事実として受動的に受容し、その範囲でできることをやるだけである。そして一般人の服従が約束されている限り、計画当局には彼らを説得する必要はない。やはりそこには「コミュニケーション」は存在しない。
 古典古代的なモデルにおいては、「コミュニケーション」不要の領域とは私的な家政であり、他者との取引、更に共同作業においては、ただ単に相互の意思を表明し、それを受容しあうだけではなく、互いの意思に影響を及ぼしあったり、そもそも不確かな相手の意思を解釈するために腐心し、どうしても解消できない不確実性を前にあえて決断し、賭けるという「コミュニケーション」が必要であり、それがすなわち「政治」であるということになる。しかしポリスのような小規模な共存であればともかく、大規模で境界さえ不明瞭な「社会」≒「政治経済」においてはそうした「政治」だけでは手に負えない。小規模なポリスなどでは、日常は私的な家政で過ごし、たまに「政治」(ローカルな取引からポリスレベルの集合的決定にいたるまで)に関与すればいいのだが、大規模な「社会」≒「政治経済」では日常生活においても、私的な家政のスケールを超える他者との交際が通常のこととなる。それゆえに私的な家政のスケールを超える「社会」≒「政治経済」レベルの行動においても、人びとの負担を軽減すべく、「コミュニケーション」不要の行動を可能とする仕掛けが必要となる。市場経済とはそのような仕組みである。そこでは「政治」は「社会」≒「政治経済」全体の枠組みに関わるような重大事に集中して関与するように設定される。
 アレントが「社会問題」を「政治」の課題から排除しようとしているのであれば、彼女は「社会問題」の解決を「社会」≒「政治経済」全体の枠組みの変革(社会革命?)としては理解していない、ということになる。つまりアレントによれば、「社会政策」「社会運動」「社会事業」の課題ではあっても「政治」の課題ではなく、「政治」は「政策」でも「運動」でも「事業」でもない、ということだ。それはある意味で非常によくわかる。彼女に言わせれば「政策」とは「政治経済」のレベルでの何事か、コミュニケーションではなく一方的な操作であって「政治」ではない。アレントにとって「社会問題」とは「政治」の課題とするにはふさわしくない些事である。と同時に、その根本的廃絶は不可能であり、それを目指すことは「政治」の手にさえ負えないアポリアである。


 このようにアレントが考えているとすれば、それは「大文字の政治」についてはおおむね妥当な判断だと思われる。ただしそれは理念的なレベルでのことであり、現実世界においてはローカルな「小文字の政治」がいたるところに発生することは言うまでもない。たとえば私企業においても、それが巨大で複雑であれば「コーポレート・ガバナンス」は存在する。いくら株主主権とはいっても、過半数株主がつねに存在するわけではなく、存在したところでその意志がつねに押し通されるわけでもない。公開会社は比喩でなしにミクロな公共圏である。民主主義的な機構を備えた各種の組合は言うまでもない。あるいは裁判、訴訟は、どのように些細なものであっても基本的には「(小文字の、しかし時折大文字の)政治」である。司法機構は定められたプログラムによって判決を出力する機械ではない。
 逆に言えば、普通の意味での「大文字の政治」の舞台であるはずの機構――典型的には国家の立法議会――においても、そこでの決定が討論や説得を伴わず、ただ単に参加者の意思を一定の手続きに従って集計するだけの機械仕掛けであったならば、そんなものは「政治」でもなんでもない。(だから「アロウの定理」がいかに重要であったとしても、それ自体が民主主義政治の不可能性を含意するわけではない。)
 ローカルな「小文字の政治」がなぜ不可避かはほぼ自明であろうが、それをあえて経済学風に表現するならば「情報の不完全性と将来の不確実性のため」ということになるだろう。そうしたローカルな不確実性のうち幾分かは、それが巨大な「社会」≒「政治経済」のレベルで統計学的な「大数の法則」によって均されてしまう。そのレベルでは、対話と説得、コミュニケーションによる不確実性の乗り越えのコストを、確率論的計算に基づく一方的な意思決定のコストが上回るだろう。そう考えればローカルな「社会問題」はマクロレベルでは「(大文字の)政治」というよりは「社会政策」の課題となること、しかしそれはローカルな、ミクロな現場レベルでは「(小文字の)政治」の課題となるだろうこともわかる。


3.


 市野川は戦前日本の「大日本主義」「小日本主義」をめぐる対立を例にとり、ローカル、ドメスティックな「社会問題」の解決が対外進出へと転嫁され、帝国主義的侵略の正当化の主張へと結びついてきた問題について触れている。むろんこれは特殊日本に限った問題ではない。レーニンの「労働貴族」論は先進国・帝国主義本国において労働者階級の懐柔・体制への統合の原資として植民地からの搾取がなされている可能性を指摘している。
 しかし日本に即して考えてみるならば、現時点から振り返ってこの「社会問題」から「帝国主義」への転嫁の構図を最も的確に批判しえていたのは石橋湛山らの「小日本主義」であり、それは具体的には政治面でのリベラル・デモクラシーと、政策面での自由主義――労働者や小作農の団結、労働組合や農村の産業組合を擁護しつつ、それをあくまでも独立した経済主体としての労働者・小農の自立を支える基盤としてとらえ、そのうえでの自由な市場経済の擁護、徹底した自由貿易主義――であった。これに対して戦前の左翼、社会主義者たちは何をしていたか? マルクス主義社会科学者たちに焦点を合わせるならば、講座派、労農派を問わずほとんどが自由主義の行き詰まり、実行不可能性と帝国主義の不可避性を強調するばかりで、客観的に見れば帝国主義に結果的に加担する羽目になってしまったのではないか?(「結果的に」どころか転向して積極的にコミットしていった代表格が昭和研究会の笠信太郎であろう。三木清、尾崎秀実もそのような線で解釈してよいのではないか。)
 このような論争状況の中で、未熟な日本の社会学的知は何を主張していたのだろうか? それどころか、今日の日本の社会学はこの状況をどのように理解し、歴史的に位置づけるのだろうか? 
 マルクス主義者たちを含めた革命論者――湛山は彼らを「根本病」と評した――は日本資本主義の行き詰まりを「構造的」なものととらえ、その変革を主張したのに対して、湛山らは既存の構造を維持したままでの経済成長によってその行き詰まりを打開する――というよりやり過ごすことを目指した。今日の日本の社会学者の少なからずは、湛山よりも笠や三木の方に近い位置に立っているのではないか? 


4.

 現代社会学は「社会的なるもの」の忘却と抑圧の上に成り立っていたとしても、その社会学が望みどおりに価値自由、イデオロギーから自由であったかどうかはもちろん疑わしい。市野川の指摘通り、ウェーバー、デュルケムの社会学は明らかに広義のリベラリズムによって裏打ちされ駆動されていたには違いない。しかしそれだけではない。


『監獄の誕生』においてフーコーは、「人間の内面は、あらかじめそこにあって、それが監獄や学校といった装置によって抑圧されたり成形されたりするのではなく、まさにそれらの装置のはたらきを通じて創出されるのだ」と語り、『性の歴史1 知への意志』において、「いわゆる「性の抑圧」は自然にそこにあるセクシュアリティを押さえつけていたのではなく、まさに押さえつける身振りを通じて人々の間にそれへの視線、それへの関心、それへの欲望を煽り立て駆り立てていた、つまりセクシュアリティそれ自体を構築していたのだ」と論じた。このような意味において「権力はポジティブで生産的」なのである。そしてこの意味での「人間」を対象とする人文諸科学、人間科学(もちろんそこには教育学も含まれる)は権力の構成要素に他ならない。
 しかしながらこのように権力が「人間」、近代的な意味での人間性を生産しているというのであれば、近代的な意味での「社会」もまた権力による生産物であるとはいえないだろうか? 素朴に考えれば、「教育」そして「人間」が近代社会システムとその権力作用の所産だとすれば、それらを捨てて別の社会システムに移行することによって「教育」「人間」と縁を切ることが可能である、ということになるかもしれない。しかしながらそこで前提とされている「社会」についての思考が、構造的に「人間」と全く同型で、いわば二の轍を踏んでしまっている可能性はないだろうか? 
 「人間」が「経験的=先験的二重体」であるとは、現実存在としての人間が特定の性質、個性をそなえた生身の具体的=経験的存在であると同時に、理念としての人間が「理性」とか「自由」といった観念を体現する超越論的(先験的)地平、あれこれの具体的な実在を超えた可能性の織り成す空間でもある、ということだ。たとえば「宇宙人」という概念のことを考えてみればよい。他の天体から来た、明らかに人間ではない生物でありながら、人間にとって理解可能な知性を備えた存在を「宇宙人」、つまりは何らかの意味での「人間」であると定義するならば、そのとき「人間」という言葉の意味はどうなっているのか? ここで「人間」という言葉は、個体であれ類であれ、何らかの具体的な存在を指すものとしてははたらいてはいない。
 さてここで言いたいのは、近代、ことに社会学の成立以降の「社会」という概念もまた、同様に「経験的=先験的二重体」になっている、ということだ。先に「「教育」そして「人間」が近代社会システムとその権力作用の所産だとすれば、それらを捨てて別の社会システムに移行することによって「教育」「人間」と縁を切ることが可能である」という素朴な思考を例示してみた。ここでは「社会」を巡る思考は、あれこれの具体的な社会システム、そこでの人々の生活とそれを律する規範や慣行の具体性のレベルと、そうした具体的な社会システムが多種多様にありえるという可能性のレベルの両方を往還している。社会学的思考とはまさにこの往還のことであり、それが市民社会レベルに浸透した局面をアンソニー・ギデンズにならって「再帰的近代」と呼んでもかまわないだろう。

稲葉振一郎「斜めから見る「日本のポストモダン教育学」」Synodos Journal)


 社会学はこの「経験的=先験的二重体としての社会」に取りつかれていたとは言えまいか。