日本のポストモダン教育の原点?(続)

 後半書き直し。この後にまとめが入る。

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 このように考えたとき、森の没する(2006年)その更に20年ほど前(1987年)に倒れた職業教育研究者、佐々木輝雄の到達点は極めて興味深い。森については、その活躍時期のみならずその仕事の内容についても「先駆的ポストモダニスト社会科学者」と呼ぶことに異論は出にくいだろう。しかし華麗で攻撃的なレトリックを駆使する(そして勇み足をしでかす)森とは対極的に、一見したところ佐々木はいかにも地味で伝統的で、しかも周辺的な教育学者である。
 しかしながら、おそらくは普通の意味での、つまりは最先端の流行思想としてのポストモダニズムなど全く意に介しなかったであろう佐々木だが、「ポスト中等教育」という言葉遣いを苦笑とともに引き受けていた彼もまた、「ポスト何々」といった物言いの存在は十分に感知しており、その限りではポストモダン的状況についての、デファクトな自覚はあっただろう。そして彼の直面していた課題は、私見ではまさしく「ポストモダン」状況下での職業教育の可能性そのものであった。そしてそれはある意味で、森の入り込んだ隘路に対する一つの処し方を例示ものでもあったのである。


 没後編まれた全3巻の著作集の第1巻の題名『技術教育の成立』はミスリーディング、を通り越して間違いの域に達しているとさえ見える。本書では普通の意味での「技術教育technical education」あるいは「職業教育occupational/vocational education」については(著者自身の主観的希望はどうあれ)論じられていない。そもそも「教育」について書かれているのかどうか自体、定かではない。教育に関心のある読者よりも、むしろ救貧法福祉国家、社会政策に関心のある読者の方が、この本を楽しむことができるだろう。偏ってはいるが見通しは極めてよく、イングランド救貧法体制についての入門書としても使うことができる。
 本書の実際の主題は、先にも触れた、イングランドのワークハウスworkhouse制度、つまりは後期旧救貧法体制である。house of correction, poorhouse, working school等、様々な呼称で呼ばれたこの時代の貧民収容施設には、労働能力ある貧民や児童を強制的に働かせ、必要とあれば職業的技能や一般的教養を伝習することも行った。
 おおむね内戦=市民革命期の混乱以降に発展したワークハウスに先立っては、貧困児童の救済制度としては、通常の場合と異なり、親=家族がではなく、コミュニティである教区が、親方商工業者に依頼して、そのもとで児童を徒弟修業させる教区徒弟制が存在していた。しかしこの制度は、ギルド的な徒弟制全般の衰退に伴って機能不全となり、保護者のいない貧困児童の救済と授産の主体もワークハウスに移行していった。しかし産業革命期に、工場における未熟練の児童労働への需要が増えてしまうと、ワークハウスの孤児のみならず両親とともにある子どもも含めての児童労働一般が社会問題となり、児童労働一般の規制(工場法)と、庶民の子ども一般に対する公教育が政策課題となったがゆえに、ワークハウスでの規律訓練は、一般児童の初等学校教育に吸収・解消されていく。


 ところでよく知られているようにそもそもイングランドにおいては、今日的な普通の意味での「技術教育」「職業教育」、徒弟制の延長のlearning by doingではない、システマティックな職業的技能・知識の伝習は、せいぜいのところ19世紀末からのことである。だとすれば、本書の題名は羊頭狗肉で、著者がしばしば「技術教育」なる語を用いているのは不用意な過ちなのか? 
 必ずしもそうとばかりは言い切れない。もし仮に著者の「技術教育」「職業教育」研究がここで終わっていたとしたら、そう言ってしまっても構わなかったかもしれない。しかしながら(旧)労働省所轄の特殊法人雇用職業事業団(1999年廃止、職業訓練業務は特殊法人独立行政法人雇用・能力開発機構に承継)が運営する職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校。2011年10月の雇用・能力開発機構廃止に伴い、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構に移管予定)に職を得て、その後一貫して(学校での)職業教育と(公共施設・企業での)職業訓練の研究を続けた結果、おそらくはからずも著者は、ワークハウスにおける訓練――「授産」とでも呼ぶのがもっともふさわしい営みが、まさに現代の公的職業訓練の原点に当たるという結論にたどり着いてしまっているからだ。


 最晩年の講義「職業訓練の歴史と課題」は本来公開を目的とされたものではなく、公共職業訓練関係者という「仲間内」で行われたものであるがゆえの異様な迫力があり、本来なら決して(語られこそすれ)書き残されなかったであろうこと、普通の意味では「語りえずただ示されるのみ」であるようなことがあっさりと活字になってしまっている、という意味で、丹念な読解に値する稀有な言説群である。


 佐々木はここで自らの研究のみならず、広く近代日本教育史研究の常識を踏まえて、以下のように展望する。


「先ず、これは明治一○年段階、一八七七年段階で、我々の先祖は、一番金をつぎ込むのに、(中略)西洋科学・技術文明の移入消化をする窓口として東京大学をつくり、そこに必要な人材を集めた、お雇外国人も雇いました。チャチな研究者を雇った訳ではございません。当時、明治初期に日本に招聘された科学・技術者というのは、最先端の人達だったと云う事をよく聞きますね。その代わり、相当高い金を払っている訳です。さっきも申し上げた、大臣以上の金を払っていた。で、最先端の人から、最先端のものを日本人に教える、そういう大学を創ろうとしたのですが、当時の日本人の数学とか、物理とか、外国語能力がございませんから、東京大学の水準を落とす訳にまいりませんから、当時のヨーロッパの大学の持っている水準と同じものを設定しますから、その教育に耐え得る人材はいないもんですから、外国に留学に出すと同時に、そういう大学に入れる予備校を下に造った、こんな形になる。そして一般庶民に画一的に、全国画一的に読み書き算盤の教育組織をつくる。この間はまだつながらない訳です。高等教育と、初等普通教育にエネルギーを注ぎました、とこうなる。職人養成だと云うのは、必要でもそこに国の金と時間は割り振られなかったと云う事になる。
 それが次の段階、(中略)明治の二五年段階になりますと、(中略)東京大学に入って、外国の教科書を使って、外国の教師から、数学・高等数学・物理・工学を教えられこれを理解できるような人材がつくられたのですが、これがこういう大学に入るための旧制の中学校であり、旧制の高等学校ですね、そして大学となります。それと同時に初等教育が横に普及していく。横に普及していくと同時に、ここにつながってきた。これが大体、二○年段階の中頃に現れた。この段階でもなお且つ、職業というような教育について、具体的に、国がそんな教育に金を投入することはない。つまりこれが先ず一つの主要幹線コースとなる訳です。ここに金が集まります。
 次の段階になりまして、ようやく、明治三三年、二○世紀になりまして、初めて、ここに、所調、当時の言葉で云いますと実業学校というようなものが、二○世紀になって初めて、そういう人材養成の教育システムが創られた。これは、近代産業社会の機械制工業の所謂工場の中の中堅を担う人達の、現代風に云うと工業学校に当る、そういう部門に教育のシステムが創られた。で、こっち側が新幹線コースであれば、これは地方の主要幹線に当る。中堅者、軍とこれが士官養成で、これが下士官養成で、ここが兵隊に当る。ここの人は、何の知識・技能も持たないで現場で働く。そういう形になる。
 で、職業訓練について、国の金が投入された段階は、(中略)大正時代になって、初めて、(中略)金が割り振られるようになる。なぜ、そうなったか。つまり、今云った、日本の人材養成の中で、職業人の養成だとか、所謂職業訓練が担うような部分の教育と云うのは、日本の人材養成の要求度からすると、必要度があってもランクが低いと、いうことです。いいですね、これは歴史的事実です。必要性があればもっと早くからできただろうと思いますが、必要性があっても必要度が低かったと云う事です。」(佐々木輝雄「職業訓練の歴史と課題」『佐々木輝雄職業教育論集 第3巻 職業訓練の課題』多摩出版、1987年、335-337頁)


 日本国家近代化の過程の中で、政策的優先度が低いからこそ、いわゆる「職業訓練」は後回しにされたという。ではこの大正時代という時点において、いかなる理由で、公共職業訓練は導入されたというのか?
 佐々木の見るところではこうだ。


「歴史的には大正十年位に、一九二○年代位になって初めて、国がこう云う授産だとか補導施設という現在の職業訓練と云うものに金と時間を割り振るようになった。そう云う、割り振らざるを得なくなったという云い方をしてもいいですが、何故そうなったか、と云いますと、先ほどの見ていただきたいんですが、国民の大半は、初等教育だけで、生産現場に働く、と云う形になっている。そうすると、この人達は、知識とか技能というのは、知識・技能はないと。」(同上、337-338頁)


「こう云う人達は、こういうコースだとか、こういうコースを歩んだ人達よりも、世の中の変動に対して弱いという。何故なら彼等は、知識・技能を身に纏うチャンスを与えられなかったから。裸のままに、寒い冬の中にポイと出されたから。だから、彼等が、自分の身を守る為に、職業としての知識・技能と云うのは職場の中で、生産しながら身につける以外に術はなかった。術はなかった。で、そう云う人達が、国民の八割位がそうだった訳ですが、変動が、ここに、日露戦争、それから第一次世界大戦、これからはもう先生方にこんな事説明する必要はない。日本の産業が膨張していくプロセスで、変動の巾は益々激しくなりますから、この人達は知識・技能がないから、彼らは、常に失業という問題にすぐ当面して来る、と云うことですね。」(同上、340頁)


「よーく歴史的な事実として、公共職業訓練は失業救済としてスタートしてきたと、それは誰でも云う訳です。現象はそうあったんですから。そうではなくて、何が問題なのか、これは何を意味しているかと云うと、知識・技能を持たないと云う事は、人間として生き働く事を常に危険な状況に置いている事と同じだと云う事です。で、世の中と云うのは不平等ですから、常にそういう集団を抱え込んでいると云う事です。そういう集団に対して初めて彼等が生き、働く事を、彼等に何とかしようとした時、失業救済という言葉に置き替えたっていいですよ、置き替えた時、教育訓練と云う事を、好むと好まざるとに係わらず、これを忍び込ませないと成り立たないと、いいですか。もう少し学問的に、格好良く云うと、人間的にとこう云う。人間的にと云うと、何でも説明できますからね。職業訓練って何ですか、と偉い人に云われたら、人間的にーと、こう云い出すとね、演説ぶったようになりますから、うまい言葉ですから、適当に帰って……。で、人間的に彼等が生き、働く事を彼等に保障する、せざるを得ない立場に立った時に、教育訓練、当時の言葉で云うと授産とか、補導とか、そういうものを社会が、ここに金を投入せざるを得ないと。」(同上、341頁)


 そして彼はこう畳み掛ける。


「さて、そう云う今云った動機で出てくる教育訓練と、先程云った近代日本のスタートで支えられた学校教育に代表された教育システム(中略)とは、A同じなのか、B思想的に違うのか、C佐々木の云ってる事は分らん、A、B、Cどれですか。」(同上)


「私は、職業訓練と云うのは、立身出世だとか、国が必要不可欠としている人材養成とか云う側面よりも、一人の佐々木という人間が、生きるか死ぬかの瀬戸際に当面した時に、そのコアとなる、中核となる教育訓練が、職業訓練そのものなんだと、考えてる訳です。もう少し学問的に云うと、生きることはこれは生存権、働くことは勤労権、これは、教育権、これは学習権と云ってもいい。で、職業訓練の存在そのものは、私的に云うと、生き、働くという事と、学ぶと云う事が、三位一体、不即不離、どれが上でどれが下とかでなく、それが三位一体で成り立つのが職業訓練なんだと。歴史的事実としての職業訓練はそうなんだと。失業救済として公共訓練はスタートしました、と云ってる言葉の背後にあるものは、だからそれは、近代学校教育のような、人材養成だとか選別機能とは異質なものなんだと、ここでの営みは。」(同上、342頁)


 つまるところ公共職業訓練とは、社会的弱者の救済のための社会政策であり、その尊厳を守り権利を保障するための防波堤なのだ――と佐々木は言わんばかりである。しかし彼はそこで話をやめるわけではない。


「きて、そういう事から、今度は、現実の動きを見て行きたいと思います。例えば世の中と云うのは、私が申し上げたような発想はそうであっても、現実に葉っぱを出し実を成らせると云うものは、真空ではなく、現実の中では利害関係があります。先生方が訓練費用を貰う為には、今、総訓の先生方が養成訓練が必要だととうとうと喋ったって、何を云っとんのか、こう云われるでしょうね。向上訓練をやっています、在職者訓練に非常に評価が高こうございます、とうまい事嘘云って(笑い)金を貰う、という形になる訳です。いいですか。先生方の立場からは全部そうです。(中略)手練手管、左に行ってはこう云う、右に行ってはこう云う〈笑い)。そして銭取ってくる、と。これが先生方の役割だと、私は思っている。純真だから、あの先生はいいんだが、なんて云うのはバカにされているという理解を今後はせなきゃいかん(笑い)。その為に、だけど、魂まで売ってしまったら駄目なんで、確固たる職業訓練観、教育観が必要だと、こう云っている訳です。」


 いきなりここで佐々木は下世話な本音トークを切り出した、と見える。しかしそこで「魂まで売ってしまったら駄目なんで、確固たる職業訓練観、教育観が必要だ」と念を押すことを忘れない。では、その「確固たる職業訓練観、教育観」とはなんであるのか? 先ほどの「生存権、勤労権、学習権の三位一体」のことか? もちろんそうなのだが、ことはそれにはとどまらない。重要なことはもちろん、この「魂」を大事に抱え込むことではなく、それを重しとして抱え込みながら「手練手管」を尽くすことであり、「魂」と「手練手管」もまた不即不離でなければならない。


 更に具体的に見ていこう。
 戦前までの歴史を回顧したうえで、佐々木は戦後、高度成長期に目を転じ、有名な経済審議会答申『経済発展における人的能力開発の課題と対策』(1963年)に触れる。


「人材養成訓練というのは、人ではないんですよと、正直に経済審議会は云っているんですよ。自分達は労働力を云っているんですよ、労働力の教育訓練を云っている、いいですね。そう云ったもんですから、今度は、当然、いや教育訓練というのは、人の教育訓練であって、何も労働力の教育訓練ではないよと、いう論が出てきます。これをつなぐ為の理論武装をしなければならない、当然。この理論武装が実は非常にむずかしい理論武装で、これに文部省も、労働省もまいっちゃった訳です。(中略)。で、理論武装をどうしたらいいか、と云いますと、その理論武装をしたのがですね、この人的能力部会のですね、養成訓練分科会がですね、その理論武装をやった。」(同上、346頁)


「[以下カギ括弧「」内は経済審議会答申、人的能力部会養成訓練分科会報告からの佐々木による引用――引用者註]「このような産業界の動向に対して要請きれるマンパワーを養成する教育訓練の体制は、従来のままでは必ずしもこれに即応する姿にならないと考えられ、このことは将来の経済発展、ひいては国民の福祉の向上に重大な問題を提起するものと考えられる。本分科会は、以上のような観点からこの経済成長との関連において問題となる人の養成訓線の諸問題を検討し、」その人の「その方向づけを行なってきた。」と云ってる。
 つまり、経済審議会の総括答申では、経済と教育とは労働力の教育訓練だとこう云ったんです。しかし、養成訓練分科会の人は、理論的武装をせんなん為に、ここでは経済成長と関連のある問題となる、ここでは人の、人の養成訓練の諸問題だ、と、こう云った。そこの説明が以下です。(中略)
「もちろん教育の究極の目的は人格の完成であり」、勿論教育、職業訓練の究極の目的は人格の完成であり「人間形成を通じて個人の福祉の向上を計ることである。人間はすべての政策の究極の目標であって、手段ではない。」労働力の、国のために人間があるのではない。「したがって産業界から与えられる教育面への要請を検討する際も、教育本来の目的との間の関係について正しい認識が」いる。
いいこと書いてますね。さてその後です。
「ところで、人間形成と経済の方向に見合った教育ということは」、人間形成と経済の方向に見合った教育、あるいは職業訓練というものは、「対立する概念ではなく、密接に関連しているものである。人間の孤立した生活は考えられず、社会経済の仕組の中の一員として生きていくものである以上、人間形成とは社会人として、経済人としての人間の形成を重要な要素として含むものである。そして、経済の高度成長それ自体が国民の福祉の向上を究極の目的としている以上、その経済のためのマンパワーの養成は教育目的」であり八人間形成、人格の完成という教育目的と「一体の関係にあるといえよう。」と。
 こういうように、二つの文章をつないでくれたんです。これで一安心、我々の職業訓練は、だから、これに乗っかつて、どんどんと普及させていけばいい。学校教育もどんどんと普及させていけばいい。こうなった訳です。」(同上、351-353頁)


「正に僕が云いたいのは、職業訓練と云うものが、学校教育と同じ人材養成に役に立ちますよという所に身をにじり寄せて、初めて職業訓練が社会的に、量的に普及するんだと、こういう風になる。だけど、職業訓練、特に公共職業訓練の元々の基本的な性格はそこにはないんだと、むしろそういう風なんであれば学校の方が本丸なんです、昔から。そこで、僕達の職業訓練の混乱と云ったらいいんでしょうか、非常に難しい立場が僕達に置かれている。いいですか。(中略)本質はどっちかと云うと、余り国の富の増加に役に立たないところの教育訓練というところがほんとうの職業訓練の良きのところなんですが、それを前面に出しますと、世の中は、そんなに許してくれない訳です。全く社会行政、厚生行政に徹すれば別ですよ。ああ気の毒だと、徹しきればいい。しかし、そんなこと厚生省がやってくれる。労働省はそれに徹しきれない。じゃ、産業の担い手を養成しますと云ったら、文部省の方が先です。通産省からの計画がボンと行ったら、文部省は膨大な予算使ってやる訳です。で、労働省がやると、通産省の下請省的な事をやらざるを得ない。銭も少い。非常に僕達が、こういう矛盾の狭間にずーつと、今迄もいたし、これからも、僕はこう云う立場に置かれると思います。」(同上、354-355頁)


 佐々木は結論として、公共職業訓練がマージナルな存在であり、そのようなものでしかありえないことを認めてしまっている。学校教育の中心が職業教育ではなく普通教育であり、職業訓練の中心が企業内訓練であること、労働市場と学校教育とはそのような形でそれなりの均衡を作り上げてしまっていること、それゆえに公共職業訓練とは、そこから零れ落ちる弱者の救済の仕組みでしかありえないことを認めてしまっている。
 そのようなものとしての公共職業訓練を佐々木は肯定するのだが、既にみたとおりその肯定のそぶりは一筋縄ではいかない。パラフレーズしよう:


 あなた方、公共職業訓練の推進者たちは、決してそのような、公共職業訓練に関する真実を口にしてはならない。そうではなく「公共職業訓練は――ただ単に弱者救済としてではなく――役に立つ!」と声を大にして言わなければならない。社会の後衛ではなく、前衛であると強弁しなければならない。そうしなければ公共職業訓練は、その本来の役目さえも果たすことができないだろう、と。


 「近代性」のメインストリームは学校であり、企業である。もちろんそこからおちこぼれてしまう人々は存在し、それを救うことは必要である。あるいは時に人々は「近代性」に倦んでしまい、その周縁に対して優しいまなざしを向けることもあるだろう。しかしながらいずれにせよ、大勢としては世の中は「近代性」に支配され、学校と企業を中心に回り続けるのだ。そこからこぼれおちる人々を救う営みは、決して主流にはなりえないだけではない。自らもまた主流への忠誠を誓って見せさえしなければならない、と。
 これはある意味、恐るべきシニシズムでありニヒリズムである。だがそうしたシニシズムニヒリズムを情熱と共存させるのが、「プロ」というものだ。佐々木はそう語っている。


 公平を期して言えば、もちろん佐々木もまた弱音を吐いている。講演の最後に佐々木は、マーティン・トロウの大学論、「エリートからマスへ、マスからユニバーサルへ」という高等教育普及の段階論を踏まえて、ある意味で「ポジティブ」な展望を語ってしまっている。


「大衆化してきますと、(中略)高卒後ストレートに大学に進学して、中断なく学習し、デグリーを取得する、これがエリート型の大学。ところが、マス型になると、ノンストレート、ストレートではない。ドロップ・アウトの比率が高い。それから更に進んでいきますと、特に高卒からすぐに入る訳でもない、入学時期の遅れや成人が増加する。ストッピング・アウト、途中で一時休止する、又、現場に戻って、又勉強したくなったら戻ってくる。そうシステムができる。で、現代の学生は勉強意欲がないという現象で説明するんではなくて、実は僕達の教育観、そのものが過去の教育観では抱えきれない状況にきているんだと云う理解をするのかしないのか。今、申し上げたのは、資料を見たのですが、いくつかを見ていきますと、実は職業訓練がいまだに、エリート型価値尺度から見られた時に、うさん臭く、安かろう悪かろう、そのような教育・訓練のように見えましたけれども、実はそこで僕達が身に付けた知恵とノウハウは実は今正に、今正にこの大衆化された社会の中で、とても大切なノウハウを僕達は持っているのではないだろうかと。
 失業者の教育訓練について、各種学校はやってくれるんでしょうか、文部省はやってくれるんでしょうか。ただ出来るんでしょうか、文部省系各種学校の人材が。あるいは在職労働者の教育訓練を東京大学はやってくれるんでしょうか。多分、混乱するからかなわん、と云うと思います。そうじゃないでしょうか。そう云う、在職者の教育訓練のノウハウはどこが一番日本では持っているでしょうか。私は職業訓練校だけとは云いませんけれども、訓練校はたくさんそのノウハウを私達は持っている。」(同上、362頁)


 これをあえて「弱音」と呼ぶ理由は、ここで佐々木はシニカルな強弁ではなしに公共職業訓練のポジティブな意義についてアジテートしてしまっているからだ。もちろんそれは完全な欺瞞などではなく、相応の真実を含んでいるのだが、それでも「職業教育こそがこれからの主役だ」ととられかねない点において、佐々木はそこで踏み越えてしまっている。シニシズムを超えてまっすぐ語ってしまっている。「魂」と「手練手管」が矛盾することなく一致する理想の境地があるかの如くに。