増税論について

増税論者にせよリフレ派にせよこの非常時にかこつけて平時以来の年来の自分に主張を更に押し込もうとする火事場泥棒だ」というお叱りを頂戴しておりますが。
「リフレ派」と目されている人の一部に現状を慨嘆するあまり「革命でもせなだめだ」と毒を吐いているものがおりますが、これは基本的には心が弱ったせいでの愚痴であって本気でとっていただきたくはない。「リフレ派」の基調は反「根本病」の石橋湛山主義であり根っからの日和見改良主義である。
 むしろ、日ごろの原理原則を三百代言でごまかしつつ貫徹しようとするあくどい革命論者はどちらかといえば増税派の方である。
 一部の左派や社民の方々には、福祉国家を充実するための増税論に革命的主体としてコミットしておられた向きもおられるだろうが、現下の状況が果たして、皆さんの理想とする「革命」にふさわしいかどうか、今一度よく考えていただきたい。ある意味でこの「非常時」はどさくさに紛れて革命というかクーデターを起こすには絶好の機会であるが、そういう「革命」でいいのか? 今回「増税」という革命を達成できたならば、おそらくは無慮数万の犠牲者が出る。失業率と自殺率、犯罪発生率の正の相関は誰にも否定できない。
「それでもかまわない」とおっしゃるあなたはつまりは人でなしである。そういうあなたには金輪際、例えばそうだ、東電や保安院文科省の役人を「安全デマ」と非難しないでいただきたい。あなたも連中と同様、いやそれ以上に人殺しに加担しているわけである。
 ベンジャミン・フリードマンのこの本

The Moral Consequences of Economic Growth

The Moral Consequences of Economic Growth

は民主主義の前進にとって都合のよい環境は基本的には高成長・好景気であるが、顕著な例外として大恐慌からニューディールへの展開があった、と指摘している。おそらくはこの展開は一種の「災害ユートピア」として、戦争まがいの祝祭的興奮として解釈できるであろう。しかしながら、今回の震災復興において同様のシナリオを期待するのは、少々無理筋である。