「公共政策論」メモ

 うだうだしてる間にもう次は明日だよ。
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 「政策」を中心に政治を考えるというやり方は、我々自身を政策の――ひいては政治の「客体」とみなすやり方である。しかしながら今日の我々が大学で学ぶ「政治(学)」においては、我々自身をあくまでも政治の「主体」として位置づける。これは今日唯一正統な政治の原理が民主政治であるからだ、と考えてもとりあえずはよさそうだ。しかしながらおぼえておくべきは、民主政治が当たり前ではなかった時代――民主政の概念を西洋は古くから知っていたが、もちろんもっとも正統だとは考えていなかった、どちらかというと胡散臭いものとみていた――においても、「政治」は基本的に主体的な営みとして考えられ、論じられていたということだ。
 どういうことかというと、そこにおいて今日的な意味での「技術論」はあまり主題化されなかったということだ。たとえばマキアヴェッリの『君主論』にしても、そこでは君主――政治的主体たるものが心得ておかなければならないことがいろいろと書いてあったにせよ、あまりノウハウ的な技術論が書かれていたわけではなく、それこそ「心得」というか、政治の主体が備えていなければならない性質、「徳virtu」が主題であった。


 反対に、今日の我々が知る「技術論」においては、その主題は決してその「技術」を行使する主体ではない。その主体は誰でもよい――というより、今日の理念(建前)としては自由で民主的な社会においては、その「技術」は誰にとっても使用可能でなければならない。ではそうした「技術論」――「政策論」とは大半がこうした「技術論」だが――の主題は何かというと、それが適用される客体の方なのである。しかしそれは本日の主題ではないので措いておく。


 正確に言えば、そういう「技術論」も探してみれば結構あったのだが、それは「政治(学)」の「本流」とはならなかった――あるいは19世紀から20世紀ごろにかけて「大学」の「学問」としての「政治学」がエスタブリッシュメントなって、そこから回顧的に編成された「本流」「正統」の中には組み込まれなかったのである。「本流」「正統」は、その主人公が人民であれ貴族であれあるいはたった一人の君主であれ、政治の主体を主題とするものであった。その西洋における原点をあえて探すならば、アリストテレスである。
 プラトンはある意味で原点であるが、同時に最大の異端でもあった。ある意味でプラトンは「政策論」の原点なのである。端的には彼の最後の、ソクラテスを主人公に配さない対話篇『法律』がそうだ。『国家』もそこまで「政策論」に徹してはいないが、政治の主体を規律訓練する技術論という、一種異様な体裁をとっている。そもそも彼の政治論はポリス社会をはじめとする現実を踏まえたものというより、それに対する批判――というより否定的情念、怨念に駆り立てられたファンタジーという色彩が強い。それに対してアリストテレスは、より現実を踏まえた穏健な議論を展開する。彼自身は民主政の支持者ではないにせよ、例の「君主政/貴族政/民主政」の三分法の原点は彼の『政治学』だとしてよいだろう。
 西洋政治思想におけるアリストテレスの今一つの重要性は、今日的に言うならば「公/私」の二分法を明確に提示したところにあるだろう。アリストテレスによれば公的な「政治」とは自由人同士の関係、「自由人による自由人に対する支配」なのであり、私的な「家政oikonomia」はそれに対して「自由人たる家長による非自由人たる家人――妻、子、奉公人、奴隷――に対する支配」のなのである。しかしながら今日の我々にとって子の二分法を理解することは難しい。かろうじて我々は「民主政」のフォーマットによって、つまり政治を集団的自治とみなすことによって「自由人による自由人に対する支配」というパラドックス(に我々には見えてしまうもの)を回避しようとする。しかしながらアリストテレスにとって、そして近世に至る大部分の政治理論家(スピノザのようなあからさまな民主政支持者を含む!)にとって、これはパラドクスでもなんでもなかった。君主による臣民の支配と、家の主人による家人の支配は、はっきりと区別される何事かだったのである。
 実はこうした区別の近代人にとっての難解さと、今日における「政策」の迫り出しとの間には関係がある。