産業社会論

 いわゆる「新自由主義」のインパクトが強烈過ぎたため、そしてこれと関連して、「現存する社会主義」の経済体制が崩壊したため、我々はかつての――19世紀どころか20世紀の過半までの保守主義が、必ずしも経済的自由主義、市場重視の立場と親和的ではなかったことを忘れてしまっている。何より我々は、「産業社会論Industrialism」というパラダイムのことをほとんど思い出せなくなっている。しかしながらそれは20世紀中葉、50年代からおおむね70年代まで、近代社会科学の正統、保守本流ともいうべき立場として、社会学政治学を中心に欧米の社会科学における支配的なパラダイムだったといってよい。20世紀中葉の保守的な社会科学者は、実証科学者としてはこのパラダイムにつくことが多かったといえよう。たとえばレイモン・アロン、ラルフ・ダーレンドルフといった名を想起しよう。あるいはまたセイモア・マーティン・リプセット、ラインハルト・ベンディクス。場合によっては、ピーター・ドラッカータルコット・パーソンズをもこの系譜に数えいれることも可能かもしれない。もちろん、W・W・ロストウの名を逸することはできない。日本ではたとえば富永健一、そして何より村上泰亮の名が思い出される。
 産業社会論にとって所有と市場は二義的な意味しか持たない。そこにおいては、社会システムの運動を規定する最終審級はテクノロジーであり、テクノロジーが社会組織の形態や人々のメンタリティを決めていく。
 産業社会論においては、私的所有を土台とした市場経済のオートマティズムの意義は切り下げられる。市場原理以上の鉄の法則性をもって貫徹する、テクノロジーの発展の前にその影が薄くなるだけではない。テクノロジーの発展を起動する知識の探求の運動そのものが、突き詰めれば私的所有・市場経済の論理と齟齬をきたしてしまう。そのようなビジョンが産業社会論には伏在している。その理屈としては解釈の余地はあるが、一つには知識・情報という財の私的所有権制度・市場機構へのなじみ難さが重視されている。それ以外にも生産設備の大規模化が、その市場による需給調整を困難とする、という発想も見られないではない。
 市場原理よりもテクノロジーを優位とする点において、産業社会論はマルクス主義と一致している。ただマルクス主義の生産力史観においては、テクノロジーの発展を抑え込む私的所有制度・市場機構の力は極めて強いものとされ、それを突破するには階級闘争という暴力的政治――というより戦争が必要となる、とされるが、産業社会論のビジョンはもう少し温和である。すなわち、暴力的な階級闘争ではなく、労使関係制度や政党政治によって制度化されたコンセンサス・ポリティクスによって市場の限界は克服されうる、と考える。
 すなわち、産業社会論においては国家・政治もまた価値低下を強いられる。具体的にいえば、そこでは政治poticsは管理・行政administrationに還元されるのだ。マルクス主義階級闘争論が予想するような、調停不能の対立関係ではなく、調整と妥協が可能な関係として政治は理解される。しかしながらそれは市場のオートマティズムとは違う、意図的かつコミュニカティブな世界としても捉えられている。
 ありていにいえばそこでは国家レベルの政治は企業レベルの経営管理と連続線上にあるものとして考えられ、そこでのイニシャティブは大衆の側にではなく、エリートの側にある。テクノロジーの発展の主力もまたエリートであり、総じて産業社会論はエリート論としての色彩が強い。ただしそのエリートは管理者、テクノクラート、官僚であって支配階級ではない。企業の主役は資本家ではなく経営者であり、国家の主役は(国民であろうと君主であろうと)主権者ではなく官僚である。(続く)


産業社会の病理 (中公クラシックス)

産業社会の病理 (中公クラシックス)