ベンヤミンのいう「神話的暴力」と「神的暴力」の違いは

要するに

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

でいうところの時空犯罪とその不可能性にあたるわけね。
 改めて気づきました。


 しかしそれって――形而上学的かつ神学的には――まさにそれこそがすべてであると同時に、実践的には何の役にも立たないよね。
 「人間は平等である」というテーゼと一緒。


弔いの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)

弔いの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)

なんのかんの言ってこれは今なお「神的暴力」についてのもっとも正しい議論(「「暴力批判論」におけるベンヤミンは、政治思想や宗教思想に屈して、真の宗教性を守りきれなかった」113頁)を提起した名著であり、のちの小泉氏自身がしばしばここから後退してしまっているほどである。


 何でこんなことを言うてるのかというと、「遂行中断性」ということばを流行らせたい人たちへの牽制球を投げているのです。