言うておきますが

社会主義の教訓」と「資本主義の教訓」とは「どっちもどっち」ではありません。決定的に非対称的です。
 「どちらがより多くの人命を犠牲にしたか」を言うてるのではありません。
 我々は――体制としてみれば――資本主義なしではやっていけないが、社会主義なしでもやっていける、ということです。
 それが自律的な体制のことを意味するのであるならば、我々は社会主義を拒絶することはできます。しかし資本主義を拒絶することはできない。ただそれを慎重に改良することができるだけです。


現代社会主義 形成と崩壊の論理

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体制移行の政治経済学 -なぜ社会主義国は資本主義に向かって脱走するのか-

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追記

hokusyu どうかな たとえば旧ソ連や東欧において、資本主義になったせいでやっていけなくなった人はいっぱいいると思いますが。 2010/06/29
Apeman 確かに「非対称」だね! これからガチで社会主義を目指す社会が現われる蓋然性は低いのに対し、なにしろ「資本主義なしではやっていけない」のだから、どちらの「教訓」を重んじるべきかは自明だ。 2010/06/29

晒しものにするだけでも十分なんですが一言。
 本気で(社民的改良ではなく、オルタナティブな体制としての)社会主義の再建にコミットする気もないのにこんなことを言ってるのだとすれば、あんたらはほんまもんのアホで下種の卑怯者ですな。