加藤哲郎先生最終講義+退官記念パーティー

に出席するために、去る20日土曜日、国立は一橋大学まで行ってきた。前の週には大学院のパーティーがあったようだが、この日は学部ゼミの同窓会。ちなみに二つのゼミの間にほとんど重なり・交流はない。学部ゼミからアカデミズムには30人ほど進んでいるが、大体は別の大学・異分野(政治学プロパー外)に進んでいる。
 我々の代は84年進学86年卒業なので24年たったことになる。本当にあっという間だ。
 ぼく個人は入学した82年に先生の教養ゼミを履修したので28年のお付き合いということになるが、あれからほとんどお変わりない。
 ちなみにやはり20年ぶりくらいに再会した同窓生諸氏もほとんど面影が変わらなかった。女性陣のチャーミングさは異常。


 パーティーでの先生のスピーチのあと、どういうわけか最後の締めくくりを上智の加藤浩三君(国際政治学)とぼくがやることになったので、最終講義の内容を想起しつつ少しコメントした。要約すると:


*先生のお仕事の中で後世に残るのはやはりライフワークである「モスクワで粛清された日本人」をめぐる史料発掘であろう。しかしそれらについて先生は教育の場ではほとんど語られなかった。
*先生は最終講義で日本の没落と中印の勃興をあたかもセットであるかのように語られた。しかし言うまでもなく中国やインドの経済成長それ自体はよいことである。また日本の低成長は中印の高成長の犠牲になったからではない。仮に日本が高成長を続けていたとしても、中印は高成長を成し遂げていたであろう。


 終了後何人かの同輩たちと国立ロージナでお茶したとき、「稲葉君のあれはよかったよね」といってもらえたが、先生はどう思われただろうか。


モスクワで粛清された日本人―30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇

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