ベーシック・インカムの思想的核心?

 このように、福祉国家の下で、国家の意思が介在する形で行われる政策と、ベーシック・インカムのように無条件の給付によって行われる政策との大きな違いが現れるのは、働くことの自由をめぐる論点であろう。福祉国家(厳密には、ケインズ=ベヴァレッジ型福祉国家)の下では、労働不能者というスティグマを打たれることによってのみ、無拠出の扶助を受けることが可能になる。一方で、働くことができる場合には、「自立支援」あるいは「アクティベーション」という形で、市場経済の中での経済的自立が促されることとなる。この場合、個人の「働きたくない」自由(いいかえれば、労働の完全なる「脱商品化」)を尊重することはない。


(中略)


 その一方、ベーシック・インカムのような議論では、「働きたくない」自由を積極的に認める。いいかえれば、職業の貴賎を積極的に認め、やりたくない仕事はしない、という考え方を権利として認めるのである。私見では、このような論点はいわゆる「ゼロ世代」の論者がある程度共有しているもので、その主張の核心にあたるものだと考えている。


 こうした価値観にしたがい、ベーシック・インカムによって、自由で寛大な扶助のシステムを創ることの結果は、おそらく、そのシステム自体が統制を失い、持続不可能なものに堕することとなるだろう。またその結末は悲惨である。一方、官僚機構を中心に置く国家(政府)が信頼を失う中で、福祉国家を動かす新たな統制の仕組みを考えることは簡単ではない。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20091119/1258638648


 全体としてはごもっともな、しかしよく聞く話であるが、
「「働きたくない」自由を積極的に認める。いいかえれば、職業の貴賎を積極的に認め、やりたくない仕事はしない、という考え方を権利として認めるのである。」
「このような論点はいわゆる「ゼロ世代」の論者がある程度共有しているもので、その主張の核心にあたるものだ」
なる指摘が妙に気になる。