「労使関係論」とは何だったのか(15)

先のレオンチェフ的モデルにせよ新古典派的モデルにせよ、あまりにも玩具的なモデルであり、先の議論もそれらを労働経済の実証のツールとしてよりはむしろ政策提言のための基準を与えるベンチマークとして用いた。もちろんいやしくも「資本主義」における労働問題の分析ツールを作りたいというのであれば、我々はまずは技術変化、技術革新を考慮にいれる必要がある。
ところで、すでに得られた考察の範囲でも、問題となっていたのは基本的には「市場の失敗」であった。資本の限界生産性の逓減と労働能力の同質性を仮定する限り、長期的には各主体間の格差は消滅していく。そうした傾向を実現させない力は、おおざっぱに「市場の失敗」と呼ばれる諸現象である。具体的には情報の不完全性と、未来の不確実性だ。この他に収穫逓増――個々の生産要素に関してであれ、全体としての規模についてであれ――現象もまた、独占という「市場の失敗」につながるものとして注意が促されている。そしてこうした収穫逓増現象こそは、近年の「内生的成長理論」におけるキーコンセプトである。
収穫逓増自体はアダム・スミスの『国富論』以来重視されていた現象であるが、長らくシステマティックな分析の対象とはなってこなかった。また技術革新もシュムペーターはもとより、マルクス以来誰もが資本主義分析における最大の焦点とみなして来たにもかかわらず、やはり長らくシステマティックな経済理論的分析の対象外であった。上述の新古典派モデルにおいては、技術革新は全く天下り的に、与件として与えられるのみである。資本主義経済における技術革新は、まさしく市場の競争の中で、競争に勝つべく行われることはだれもが知っていたが、しかしそれをまさに市場の競争の中で競争に勝つべく経済主体がなす行為としてうまくモデル化することは、非常に困難であった。
「不完全競争貿易理論」と「内生的成長理論」はその困難な課題に、ある程度の見通しをつけつつある。キーとなるアイディアは、技術革新の動機はいわば「市場の失敗」を利用すること、新技術を競争相手に先駆けて開発することによって、一時的にでも独占的利益を得ることである、として、独占的企業としての革新者の行動を分析するところにある。


先に我々は松尾匡によるマルクス経済学再編の試みにコメントした際「マルクス的な資本主義批判には搾取批判と疎外批判の少なくとも二つのモメントがあり、両者をそれぞれ独立に論じることが生産的ではないか」と述べたわけだが、もし仮に完全競争的資本主義経済の基準的な理論モデルを、レオンチェフ的なものにではなくソロー的なものに求めるならば、搾取という問題は、少なくとも均衡を念頭に置く限りでは消滅する。調整過程での過渡的、短期的な問題として以上に搾取、不平等化を問題化するためには、完全競争が阻害され、市場が何らかの意味で不完全になる必要がある。しかしそうした問題系は我々の考え方ではむしろ疎外論として展開されるべきである。
となればここでマルクス経済学は古典的な意味での搾取論は――少なくとも根本的なものとしてはあきらめ、疎外論を軸とするべきだ、ということになる。
このようにマルクス経済学原理論を総括するとなれば、そこからどのように労働経済学のための中範囲の理論(含む段階論)が構想されるべきであるということになろうか? それは結局のところ極めて陳腐にも、70年代以降積み重ねられてきた、「不確実性と情報の経済学」を疎外論として読みかえつつ継承する、というものになるだろう。
ところでその場合「段階論」はどうなるのだろうか?


 戦後の労働問題研究はまずはたとえば大河内一男の「出稼型」論、「賃労働における封建制」論に見られるごとく、講座派的な発想から日本の労使関係を「日本的特殊性」「封建的」「後進的」と捉えるところから出発し、60年代以降は、主として戦後世代の研究者を中心に、労農派――戦後においては宇野理論の段階論的な発想によって同じ対象をむしろ「独占段階照応説」によって普遍的なものとして捉えることにした。この普遍化志向は更に、70年代以降、アメリ労働経済学の「内部労働市場論」の取り込みによって完成したといえる。
 しかしここでいう「同じ対象」とは何だったのか? 「独占段階照応説」の局面においては結局、大企業セクターにおけるいわゆる「日本的労務管理」、のちに「三種の神器」――年功賃金・終身雇用・企業別組合の三セット――が問題となっているが、本来講座派的議論において問題となっていたのはこうした大企業だけではなく、中小企業・都市雑業層や農村セクターまで含めての「構造」だったはずである。そしてこうした大企業セクターとそれ以外との「二重構造」(ないし階層構造)は講座派的な枠組みにおいてのみならず、宇野派的段階論においてもまたそれなりの位置づけを持っていたはずであるし、ドリンジャー=ピオーリの内部労働市場論にしてもその焦点はむしろ外部労働市場、更に「二次労働市場」との「二重構造」にこそあったはずである。


労働市場、産業構造(大企業と中小企業の階層構造)の階層性、分断構造は講座派以来の日本資本主義論のメインテーマであり、戦後労働問題研究の出発点も日本の大経営における労務管理、労使関係を封建的なものととらえ、さらにその基盤を農村社会にまで求める――いわく「封建的な社会編成原理は農村にまで貫通している」、いわく「労働者は農村に生活基盤を未だ残しており、そのために低賃金・低労働条件を受容してしまう」、云々――「賃労働における封建制」論であった。独占段階照応説はそうした分断構造を「封建制」、つまりは資本主義の未発達、非資本主義セクターの残存に求めるのではなく、むしろ資本主義の爛熟に求める。大経営における定着雇用や年功的賃金などは独占的労働市場にふさわしい仕組みであって決して前近代的、「封建的」なものではない。あるいは中小企業、更には農村における小規模農家の残存さえもまた、独占資本主義の下での福祉国家的政策の結果として理解される可能性がでてくる。
総じて言えば宇野派的な独占段階論は、日本資本主義における「構造」的な契機――完全競争の自由主義的資本主義においては、競争的市場の均質化の力によってかき消されていくはずの異質性――を、講座派のように「封建遺制」、つまり近代的資本主義が十分に浸透していないが故の前近代性とみなすのではなく、独占資本主義化による新しい現象とみなす。
ところで、ここで注意しておくべきは、日本の労働問題研究にあっては――少なくとも70年代までは――傍流であった「近代経済学」的アプローチをとる研究者たち、ことに慶応大学と一橋大学を拠点として労働市場の計量分析に取り組んできた研究者たちの多くは、どちらかといえば講座派に近い発想をとっていた、ということである。
そうした議論によれば、たとえば農村は伝統的セクターとしてルイス的な「無制限労働供給」源となり、近代的な産業部門の賃金水準までを引き下げる。そしてこうした周辺部労働市場と大経営労働市場との賃金格差や後者における雇用の安定を、先進的大経営の海外からの技術移転への依存、それに伴い必要な人材を外部労働市場に依存できず、内部養成の比重が高くなる、といったロジックが展開される。(ex.尾高煌之助『労働市場分析』岩波書店、他。)「伝統的」あるいは「非市場的」部門は不完全競争・不完全情報の世界として捉えられている。
宇野派を受容した氏原教室門下生(の一部)は日本資本主義、日本的労務管理・労使関係の特殊性を否定するためにそれを独占段階の所産と解釈した。それに対して近代経済学的労働研究者たち(の一部)は、方法論的には歴史貫通的な経済法則――市場の論理ではなく、ホモ・エコノミクスの論理――の普遍性――高々「市場の論理」でしかない資本主義の普遍性よりも強い普遍性――を信頼していたがゆえに、逆説的にも素直に日本資本主義の特殊性(あるいは後進性)なるアイディアを受容できた、といえるかもしれない。
ただこのように言ってしまうことには、若干の誇張やアナクロニズムがあることも認めておこう。上記のような、いわば新制度派的な発想がはっきりと形をとったのは(先駆者ロナルド・コースを別にすれば)早めに見積もっても70年代、普及を見たのは80年代であるからだ。新古典派的研究者たちのなかにも、たとえばウェーバー的なアプローチに親近感を抱いていた者は少なからずいたはずである。


話が前後してしまったが、日本資本主義論にとっての中心課題はあえていえば、その共時的・通時的な複合的構造の解明にあった。理論経済学の教科書(含む『資本論』)が描く資本主義的市場経済のモデルからは日本経済はいかにもかけ離れているように見え、それをどう解釈するかが、日本における社会主義革命という生臭い実践課題と不可分の形で問われたのが戦前の「日本資本主義論争」であったことは言うまでもない。そこでの講座派は日本資本主義を「軍事的半農奴制的」、つまり「封建遺制」たる農村を死荷重的な後進部門として抱える一方、先端部門たる重工業セクターは、供給サイドとしては官営企業(陸海軍工廠八幡製鉄所国鉄等)に、需要サイドとしても軍需によって主導されており自立し成熟した資本主義とは呼びえないものとし、日本社会を半封建社会、日本国家を半ば絶対主義王権と捉えた。
それに対して論敵たる労農派は日本資本主義を既に自立した資本主義と見なしたわけであるが、戦後一家を成すこととなった宇野学派はその鬼子であり、「軍事的半封建的」、つまりは伝統部門を引きずり国家依存が高い、と講座派がみなした日本資本主義の複合構造を、独占資本主義・帝国主義段階のありうべきヴァリエーションにすぎない、とした。


この対立構図を乱暴に図式化してみよう。いずれの陣営も実は日本資本主義を三セクターモデルで理解している。すなわち、半官半民の重工業セクター、民間資本主導の軽工業セクター、そして農業セクター。
講座派の理解によれば、市場経済の論理が曲がりなりにも作動しているのは軽工業セクターのみであり、重工業セクターは国家の強権に、農業セクターは伝統の重しによって支配されている。
宇野派の段階論によれば、重工業セクターは独占資本が支配する不完全競争市場である。これら独占資本は支配階級として国家と癒着している。軽工業セクターは比較的完全競争に近い領域である。それに対して農業セクター、農村はどのように理解されるか? 講座派においてはそこは市場経済が十分に浸透しない半封建的として描かれるのに対して、宇野派の理解する日本の農村セクターは明治期において既に資本主義的市場経済に十分に巻き込まれている。寄生地主制の下での小作農や小規模自作農についても、昭和期においてはすでに独占資本主義=帝国主義的社会構造の中で、社会政策としての小農保護政策の受益者にして小作争議などの社会運動の主体として位置づけられている。
いずれにせよそこで日本資本主義は、均質ではなく複合構造をもって捉えられている。違いといえば、講座派がその複合性を「(市場)経済外的」な力――国家の強権、「封建遺制」によって生み出されたものとするのに対して、宇野派は資本主義に内在的な(国家に原因があるのではない、自然発生的)独占化傾向として捉えている。


日本資本主義分析 (岩波文庫)

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労働市場分析―二重構造の日本的展開

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経済学全集〈12〉経済成長論 (1980年)

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