カール・シュミットの中立論についての論考

果たして、正当戦争論と中立は論理必然的に相いれないものであろうか。たしかに戦争が、公的秩序を脅かす「犯罪者」とそれを取り締まる「司法機関」との間の武力衝突として把握される場合には、両者の法的・倫理的地位は明らかに異なっており、そこにおける中立を法的に根拠づけることは難しいだろう。しかし、たとえば、所有地の境界を争う隣人同士の権利紛争に類比されるべきものとして戦争が観念されている場合、それが権利侵奪という正当な原因(根拠)に基づくものであるにもかかわらず、すくなくとも第三者にとって、両交戦当事者の法的・倫理的地位に大きな差異は生じないのではないか。〈各人格の個別的利害をめぐる法律紛争において、第三者は正当と思われる側を援助せよ〉というような要請は、決して一般的な法原則ではない。むしろ、司法手続は、「当事者適格」等の概念を用いて、紛争に利害を有しない第三者の関与を排除する傾向にある。そうであるとすれば、戦争は権利の自力救済としてのみ許容されるという思想が存続している場合であっても、かかる権利が当事国の利益のみに関わるものと観念されている場合には、第三国は「当事者適格」を持たない者として局外に立つと考えることは、法思想としては十分に可能であり、むしろ自然である。

西平等「神の正義と国家の中立 ―― 「グローバルな内戦」に対抗するカール・シュミット――」(『思想』2009年4月号)54-55頁


 同著者の「戦争概念の転換とは何か」(『国際法外交雑誌』104巻4号)も参照のこと。