スピノザの面白いのは、エチカとポリチカを異質なままにしておいて、哲学者がよくやるように弁証法的に綜合しようとしないことだ。国家の論理からすれば市民は自己の権利のもとにはなく国家の権利のもとにある。だが理性に導かれる人間はたとえ国家の法に服していても判断において自由であり、自己の権利のもとにある。二つを媒介する必要などない。倫理と政治、エチカとポリチカの対象はそもそも同じ次元にないからである。エチカは一個の人間個体に何がなしうるかを問い、ポリチカは群集に何ができるかを問う。それら異質な問題対象を異質なままに組み合わせている一義的な存在、それがスピノザの「神あるいは自然」なのだ。したがってスピノザにとって政治的なものをエチカの語彙で語ることはカテゴリー・ミステイク以外の何ものでもない。もちろん知者たちの共同体が可能ならそれが一番望ましいのである。しかし「かくあってほしい人間」に訴える政治哲学は最悪である。
上野修「スピノザの群集概念にみる転覆性について」105頁
まあ、この論文は『スピノザの世界』が『エチカ』、『哲学のエッセンス スピノザ』が『神学・政治論』を主題としていたのに対して『国家(政治)論』を取り上げているわけですが、『図書新聞』2904号の『野生のアノマリー』評の趣旨「ネグリのスピノザ論は哲学ではなく預言である」を敷衍したようなもので、「ネグリのスピノザ読解は誤っており、その上でネグリとスピノザとどちらが正しいかといえばスピノザである」というわけですね。
ネグリに毛ほども関心がなくとも、スピノザに関心のある方なら、読んでおかれるとよいでしょう。
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なお同特集の小泉義之さんの論文は何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした。いい加減ネグリとかヴィルノとかあるいは「認知資本主義」とか相手にするのはやめた方がいいと思います。バカがうつります。ネグリがダメなことは、小泉さん自身、『生殖の哲学』ではっきりと見切っておられたはずでは?
あといい加減、「生産的労働/不生産的労働」とかいったマルクス経済学の語法は比喩としても捨てるべきです。それを使っている限り悪い意味でのヒューマニズムへの未練が残ります。価値論、労働価値論は「認識論的障害」つうか端的に明晰な思考の邪魔です。
今更のおさらいですが、価格とは区別されたものとしての(労働)価値なるものは、レオンチェフ的世界においてであれば価格とは独立に、生産技術からのみ別に明快に定義できて、その上であたかも「価値が本質で価格は現象・疎外態」であるかのように論じることもできなくはないですが、そこから一歩でてしまえば――生産係数が固定していない世界、ひとつのものに対して複数の生産方法が存在している世界に来てしまえば、価格なしには価値は定義できません(反対は可能です)。
ネグリの未練がましいヒューマニズムを断ち切ってドゥルーズ的唯物論に就こうというのであれば、マルクス経済学よりも新古典派の枠組の方がよほどそれに親和的です。
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