稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)あとがきに書き忘れた・書けなかったこと(承前)

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)


 売るため、読んでもらうための戦略について。
 こちらも器用ではないため書けるもの、書きたいものを書くしかないのだが、それでもそれなりに売り込みの工夫は考えないでもなかった。


 まず版元とレーベルについて。
 なぜNHKブックスか。
 伝のあるちくま、中公の両新書には、既に社会学入門書が存在しているので企画が通りにくい。ちくまの内田隆三のものははっきり言ってひとりよがりのダメな本(「東大で俺様が社会学を学ぶ」とはよくいったもの)である一方、中公の富永健一のものはオーソドックスな良書であるが、どちらにせよかぶってしまう。内田本であれば正直勝てる自信はあるのだが、編集が納得するかどうかは別だ。
 岩波は一度連絡があったきりでいまひとつ伝があやふやなのだが、こちらにも見田宗介社会学入門』がある。正直見田先生の本としては気に入らない方なのだが、やはりかぶる。
 講談社現代新書には今のところ伝がない。
 それに対してNHKブックスは、伝もあり、かつラインに類書がないというところが大きなポイントであった。ペーパーバックの選書なので、新書並みに部数が出て書店の棚も一定確保され、多くの店舗に広く配本される一方で、判型は46で単行本並みである。同様の選書は他にも新潮、角川等あるが、一番ポピュラーである。まあ新潮、角川には伝もなかったしね。


 内容について。
社会学にしか興味がない奴はカエレ!」というコンセプトの教科書、殊更に「社会学の魅力」を言い立てない教科書というのが、まあこの本の売りの一つではある。しかしこれは見かけほどあざといわけでもない。
 第一に、自虐は社会学の伝統芸である。社会学者は社会学の悪口が大好きだ。しかし外部から悪口を言われると怒るのだが。「社会学社会学」も「再帰的近代化」もまあ、そういうことだろう。
 第二に、社会学プロパーよりむしろ隣接分野に広く目配りするのも、社会学の伝統芸だ。ただこの二十年ほど、もっとも端的にはフーコーハーバーマスの扱いに顕著だが、社会学者でもない人の業績をいつの間にやらちゃっかり社会学の在庫目録の中に入れて涼しい顔をする、という悪い風潮があるのだが。
 日本においてこの風潮の原点というべきは、おそらくは1980年、若き内田隆三の衝撃のメジャーデビュー論文「構造主義以後の社会学的課題」であろう。この論文こそが内田の代表作であり最高傑作だとぼくは思う。
 内田のこの論文におけるレヴィ=ストロースフーコーボードリヤールに対して、ぼくの教科書の場合はドーキンスデネットスペルベルというわけだ。しかしどのみちフーコーは登場するし、モダニズム論においては内田的な議論の影響は隠すべくもない。