「労使関係論」とは何だったのか(11)

 氏原正治郎の「トレードからジョブへ」の対概念についてもう少し考えてみよう。トレード、あるいはクラフトと言い換えられるだろう、資本家的経営にとって外在的な職人的熟練に対して対とされるべきは一個一個のジョブではないだろう。氏原から小池和男にまで受け継がれたイメージに忠実に考えるならば、経営内で一連のジョブを内部昇進によってたどることによって獲得される「キャリア」の方がトレード/クラフトの対概念として、企業特殊的熟練を表す言葉としてふさわしい。小池自身の議論も、『賃金』から『職場の労働組合と参加』あたりまではむしろこの「キャリア」を軸に展開されているように思われる。
 この「キャリア」概念は企業特殊的熟練という仮説に対する有効な支えを提供することは言うまでもない。「トレードからジョブへ」の流れは一面では旧来の熟練を解体し、一人ひとりの現場労働者の日常的な仕事を単純化する方向に進んでいる。しかしこれを「熟練の解体」「熟練の量的低下」ではなく「熟練の企業内化」「熟練の質的変化」ととらえるためには、大量生産体制、テイラリズム、フォーディズムのもとでの日常的な職務の単純化が、少なくとも基幹従業員においては、内部昇進によって獲得されるキャリアという形で補償される、というストーリーを提示することができる。単純化されたジョブではなくキャリアこそが、企業特殊的熟練の内実である、というわけだ。
 しかしやや奇妙なことだが、80年代あたりから小池の議論の力点は、マイケル・ポランニーの「暗黙知」を思わせる「知的熟練」という神秘的なブラックボックス概念に重点がいつの間にか移動してしまった。「知的熟練」という言葉によって小池は、現場労働者が与えられたタスク、ジョブをこなすだけではなく、小さなものであれば異常事態に対して柔軟に対応する能力を獲得している様を言い表そうとした。しかしそのことの経済学的、経営学的な意義づけにはついに失敗している。
 90年代に小池に対してなされた野村正實による批判の論点の一つは、製造業現場労働者は、必ずしも小池のいう「知的熟練」を十分に備えているとは言えず、日常的なものであっても異常への対応は「保全工」といった専門スタッフによって主として担われている、という事実の指摘であった。その際小池がなすべきだった反批判は、野村の指摘する「保全工」といった専門スタッフのキャリアと現場労働者のそれとが連続的であることを示すことであったと思われるが、予想に反して小池はこの点を看過し、「知的熟練」の実在をただ主張する以上のことができなかった。


 その上でこの「トレードからジョブへ」「クラフトからキャリアへ」図式に文句をつけるならば、すでに述べたように、まだこの議論には足りないピースがある、ということだ。現実に「独占段階」の大企業においても、キャリアラダーを登らず単純な職務に長期間縛られる層が存在し、その中には更に、長期雇用にさえとりこまれず、スポット市場的な取引で雇用されるだけの層も存在している。単純化されたジョブをつなぎ合わせてキャリアを形成することは必然ではない。単純化された職務であれば、外部市場からスポット取引によって調達することもできる。問題は、なぜ一部の労働者は基幹従業員としてキャリアラダーを登るような形で企業に内部化されるのか、である。
 ありふれた回答としてはもちろん、企業の意思決定を担う経営管理者の養成のために、その候補者たちがキャリアラダーを登る過程で複数のジョブのみならず、それらの組み合わせとしての企業全体についての知識を獲得するように設定されている、というものがあげられる。しかしながらすべての経営者がつねに こうした内部養成を通じて選抜育成されねばならないというわけではないだろうし、すべての企業がこうした内部養成の経営者なしには回らないというわけではなかろう。
 既に確認されたことだが、資本設備の大規模化が直ちに「独占」に導くのではないのと同じことがここにも言えるだろう。むしろ人材市場、労働市場の不完全性――ここでは外部市場から経営管理者を適宜リクルートすることの困難――が先にあって、こうした労働市場の内部化がひきおこされる、と考えるべきである。


 いずれにせよ「自由主義段階」におけるより完全競争に近い労働市場から、「独占資本主義段階」における不完全な労働市場へ、という図式自体は極めていかがわしい。既に見てきたように「自由主義段階」における雇用関係、労使関係は、法制的には労使対等ではなく「家父長的」であり、経営が労働過程を直接コントロールしない「形式的包摂」「間接的管理」が主流であった。生産管理や技能養成において、市場化もされなければ組織化もされない、非公式な家、共同体、人格的紐帯レベルでのコントロールにかなりの部分依存していたのである。これに対して「独占資本主義」段階においては、おそらくは労働の市場化は「自由主義段階」よりもなお進行したはずである。ただしかつては非公式レベルにあった領域が縮減し、かわって公式組織によるコントロールが拡大したため、見かけの上で市場の不完全性がより高まった――ということであろう。