「労使関係論」とは何だったのか(5)

 技術決定論、あるいは技術変化を外生変数としてカッコにくくる立場から脱却し、「問題の切り分け」を行うためには、「技術選択・技術変化の政治経済学」とでも呼ぶべきものが必要となるが、それは60年代の日本においてはまだ望むべくもなかった。
 マルクス主義の陣営においては、素朴な技術決定論への批判は、60年代以降の新左翼的ネオマルクス主義の勃興とともに、70年代以降本格的に起こってくる。日本においては戦後初期の武谷三男、星野芳郎らの技術論を継承しつつ、工場現場での技術者としての実践を踏まえた中岡哲郎らの産業技術論が出現し、熟練の解体についての疎外論的な議論を展開した。合衆国では、工場労働者としての経験を踏まえたハリー・ブレイヴァマンの『労働と独占資本』が上梓され、それを受けてラディカル・エコノミストらによる生産過程分析が盛んとなり、スティーヴン・マーグリンやボウルズ&ギンタスらの、技術選択をめぐる階級闘争についてのゲーム論的分析も出現した。ここでは市場の論理よりも階級支配の政治的論理が重視されるが、ラディカルズのゲーム論的分析は政治をも市場経済と同様、合理的主体の選択という観点から解釈するものであった。そこでの問題提起は同時並行的に起きた新制度学派や後の比較制度分析の勃興と併せて、長期的に見ればおおむね、新古典派の枠組のなかに統合されていくことになったと言えよう。これらの潮流は技術選択・技術変化を政治的な権力支配関係の従属変数として解釈しようとするものであった。
 また新古典派経済学においては、80年代以降、国際貿易論においてジョゼフ・スティグリッツ、アヴィナッシュ・ディキシット、エラナン・ヘルプマン、そしてポール・クルーグマンらの収穫逓増と製品差別化に着目した不完全競争貿易理論、また経済成長理論においてポール・ローマー、ロバート・ルーカスらの、やはり収穫逓増・差別化・資本蓄積の外部経済効果に着目した内生的成長理論が登場してきて、それまで経済モデルにおいて与件、外生変数であった技術変化を内生化する試みが登場する。こうした潮流は技術選択・技術変化を市場経済の枠内での、主体の最適化行動の所産として理解しようとするものである。ダロン・アセモグルらによって近年急速に発展しつつある「方向づけられた技術変化」論――相対的に豊富な生産要素の価格は普通は低下すると予想されるが、それを集約的に用いる技術がネットワーク的外部性を発揮する場合、その供給増加と価格上昇とのポジティブ・フィードバックが起きる可能性がある――もまた、そうした潮流に位置づけられるだろう。
 なお、ダロン・アセモグルが注目すべき論者である理由の一つは、上記の「技術選択・技術変化の政治学(権力論)」と「技術選択・技術変化の経済学(市場経済論)」とをゲーム理論的な政治経済学の枠組で統合し、更にそれを「制度選択・制度変化の政治経済学」と結び付けていこうとしているというところにある。この文脈で「方向づけられた技術変化」論以外にアセモグルの注目すべき業績としては、「非効率的な技術がなぜ採用されるか、なぜのような技術変化を抑制する制度が維持されるのか」についての政治経済学や、あるいはまた、ベッカーの想定と異なり、市場が不完全であれば(典型的には、最低賃金制度や労働組合による賃金規制などによる「賃金圧縮」)、企業特殊的技能のみならず、一般的技能の養成に対しても労働者ではなく企業が出資するインセンティブがある、という「不完全市場における訓練」論などがある。


労働と独占資本―20世紀における労働の衰退

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イノベーションと内生的経済成長―グローバル経済における理論分析

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Introduction To Modern Economic Growth

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