http://econ-www.mit.edu/files/1354
のテキスト部翻訳続きです。引き続きグラフと表は原スライドを見てください。今回も二段階最小自乗法です。次回はモデル分析が入ってきて、素人向きじゃなくなってますがご了承ください。
スライド17
文化の役割?(1)
・文化とは何か?
―集団ないしは民族の、その信念や選好に影響を及ぼすような、相対的に固定された特徴;例えば宗教。
・文化は植民実験において重要か?
―アダム・スミスとウィンストン・チャーチルにまでさかのぼる、イギリスの文化的・政治的影響力は、少なくともフランスやイギリスのそれに比べれば、恩恵を及ぼすものであった、というありふれた見解
・回答:そうではない。植民事業体が誰か(どの国か)はたいした意味を持たない。
スライド18
イギリス効果再訪
従属変数は1995年の一人当たりGDP(対数)
旧植民地 旧植民地
第二段階
強制収用
からの保護
英国植民地
ダミー
英国法起源
ダミー
第一段階
入植者死亡率
(対数)
英国植民地
ダミー
英国法起源
ダミー
第一段階でのR自乗
観察事例数
訳者による解説
第一段階(通常最小自乗法))では説明変数を入植者死亡率、旧英国植民地だったかどうか、法体系が英国法起源(コモンロー)かどうか、としているが、死亡率はマイナスで有意(帰無仮説が有意水準1%で棄却できる)英国ダミーはプラスだがややうたがわしい(帰無仮説が有意水準5%棄却しきれない)。第二段階(つまり二段階最小自乗法の二段階目)では死亡率を操作変数として、説明変数を財産権保護(低収用リスク)、旧英国植民地・英国法かどうか、としている。ここで財産権保護の効果はプラスで、有意水準1%で帰無仮説を棄却できるが、旧英国植民地・旧英国法ダミーは、有意水準は5%とれば帰無仮説を棄却できるので、説明力は上がっているが、今度はともにマイナスである。
結論的にはやはり、英国植民地の経験・英国法の遺産の、旧植民地の経済パフォーマンスへの効果は不分明である、ということか。
スライド19
文化の役割?(2):朝鮮の実験
・朝鮮:第二次世界大戦終了の時点で経済的、文化的、民族的に均質。
・どちらかと言えば、北の方がより工業化されていた。
・南北の「外生的」な分断とともに、互いに非常に異質な政治的・経済制度が形成された。
―分断は南北の経済的、文化的、地理的条件とは関係なく行われた。
・経済的・政治的制度における大きな差異
―北の共産主義(計画経済)
―南の、強い政府介入を伴い、初期には民主主義を伴わなかった資本主義
・経済的帰結における巨大な差異。
スライド20
北朝鮮と韓国
グラフの縦軸:一人当たりGDP
グラフの横軸:年
青線:韓国
ピンク線:北朝鮮
スライド21
第2部 成長の政治経済学
・仮に制度がそれほどまでに重要なら、なぜ社会は成長拡張的ではない制度を選んでしまうのか?
・回答:社会的紛争。
・(経済的)制度はインセンティヴを形作り、資源の配分を規定する。
―それぞれの制度のセットは恵まれた者と敗者とを生み出す;
特定のグループが高い所得、レント、特権を享受する。
―かくして制度選択から「分配」上の含意が生じる。
―制度に対する選好はその分配上の含意によって規定される。
*例:独占者は、たとえそれによって総所得が増加するとしても、参入障壁を低減させることに反対するだろう。
スライド22
社会的紛争と政治経済学
・社会的紛争が生じているとき、いかにして社会は集合的決定をなすのか?
・政治経済:相対立する選好を集計すること。
・二つの重要な柱:
―政治権力;個人や集団がそれによって選択に影響を及ぼすところの
―政治的制度;政治権力がどのように分配され、その上にいかなる制約があるのか。
・有用な理論は以下を生み出さなければならない:
―社会的紛争がいかにはたらくかについての明晰な力学。
―経験的に有用な比較静学。
スライド23
歴史的事例:オランダ領東インドにおける土地制度(1)
・オランダ東インド会社(V.O.C.)はモルッカ諸島、とりわけアンボンとバンダにおける高価なスパイス(ナツメグ、クローヴ、メース)の生産を独占していた。
・島々の間で異なった組織が内生していた。
・van Zanden (1993)
―「アンボン島において会社は、貢納を巻き上げる既存の封建的構造をのっとり」、供給を独占した(英国とポルトガルを除く)。
・彼らはまた、この封建的構造をクローヴの増産にも利用した。
スライド24
オランダ領東インドにおける土地制度(2)
・バンダ諸島では対照的に、数多くの小規模な都市国家が存在していた。しかし
―「そこにはいかなるハイアラーキカルな社会的・政治的構造もなかったため、そうしたものを通じてV.O.C.の意志を強制することもできなかった。」とりわけ、地域共同体が勝手にナツメグを英国やポルトガルに売ることを止められなかった。
・V.O.C.は過激な解決法をもってバンダ島の経済制度を変えようと決定した。
―「1621年、軍事行動によって、V.O.C.はほとんどの島民を殺し、ナツメグ生産を根本的に再編して奴隷制度を打ち立てた。奴隷はV.O.C.とその元社員である植民者たちによって供給された。
スライド25
メキシコと合衆国の金融制度(1)
・19世紀、分岐の決定的な時期における合衆国とメキシコの銀行構造における巨大な差異
・Harber (2001)
―「メキシコには、インサイダーのグループに対応して局所化された独占体たちがいた。その結果、おおよそ1910年ごろには、もう変化できなくなっていた:アメリカでは、おおよそ25,000の銀行と高度に競争的な市場があった。メキシコには42の銀行があり、そのうち二つで全銀行資産の60%を支配しており、実質的にはそれらの間に競争はなかった。
・メキシコ産業にとっての逆選択の結果。
―独占的銀行による、友人、関係者、政治的有力者の非効率的な企業に対する貸出。
スライド26
メキシコと合衆国の金融制度(2)
・なぜこうなったのか? ポルフィリオ・ディアスの独裁に支えられた、インサイダーと州政府の権力のため。
・1789年においては、合衆国もまた同様の状況にあった。
―Haber「(18世紀末の合衆国においては)州政府は多数の銀行を認可し、競争的な銀行市場をつくりだすことに関心がなかった。」
―実際には、多くの政治家はむしろ独占体をつくることを望んでいた。
・しかしながら、拡張していくフロンティアは利子をめぐる競争を引き起こし、男子普通選挙がこのシステムを維持不能にした。
・インサイダーたちは自分たちの選好する(潜在的には非効率的な)制度を押し付けるに十分な政治権力をもたなかった。
スライド27
価格規制(1)
・いま一つの経済制度の形態:農産物価格規制委員会
―本来は農業収入の大幅な変動を防ぐために導入された
・Bates (1981):途上国の農産物市場には非常に異なった形態の価格規制が行われている。
・ガーナとザンビア:委員会から農家には低い価格で支払われ、余剰は政治家や都市のグループに移転される。
・ケニヤとコロンビア:はるかに農家寄りの政策と制度
スライド28
価格規制(2)
・なぜか?
・ガーナとザンビアでは、農家は歩とド政治権力をもっていないが、ケニヤとコロンビアではそうではない。
―ガーナでは、ココア農家は小規模で組織されておらず、支配集団に比べると異なったエスニック集団からなっている。これに対して、としのしゅうだんは政治的により強力。
―ケニヤでは、大規模農家が大きな政治権力を持つ。
―コロンビアでは、より民主的で競争的な政治を通じて農民がより大きな権力を得ている。
*興味深いことに、民主政治が繰り延べされた50年代の軍事体制の下では、価格設定は農家から余剰を搾取するように行われていた。
スライド29
三つの事例のまとめ
・制度は純粋に歴史によって支配されているのではなく、社会によって選ばれる。
・更に、主として制度は、効率のためではなく、また信念の相違のためにでもなく、その分配上の結果のために選択される。
―社会的紛争と政治権力は重要。
―すべての事例において、経済制度はその結果ゆえに、とりわけそれが政治的に有力なグループのために作りだすレントのゆえに選ばれている。
―ほとんどすべての事例において、結果としてできた経済制度は、特定の集団にとって有害であり、多くの場合、より広い社会にとって有害である。
スライド30
事例から得られる更なる教訓:
・鍵となる教訓:
―政治権力⇒経済制度
・ケニヤ対ガーナの例は、経済制度と政治権力の間の連関を示唆する。
―より規模が大きく豊かなケニヤの農家は政治権力を有するが、ガーナの農民たちはそうではない。
経済制度⇒政治権力
・メキシコ対合衆国、コロンビア対ガーナの例は、政治制度の政治権力に及ぼす影響を示す。
―政治制度⇒政治権力
・しかしまた:
―政治権力⇒政治制度
スライド31
成長の政治経済学:比較静学
・いかなる時に我々は、社会がよりよい制度を選択すると期待できるのか?
1.政治権力を保有する者たちが、よく保障された財産権制度(そして発達した金融、自由な参入を許すよく機能する市場、等)からもまた利益を得るとき。
2.政治権力を用いて搾取可能な資源が、相対的にわずかであるとき。
3.政治権力に課せられた制約が、強制収用や、排除された集団にとって不利益な制度の共生を、あらかじめ防いでいるとき。
4.要素価格の操作可能性の範囲が相対的に小さい時。
スライド32
比較静学の実践
・我々はこの比較静学を植民化の経験を理解するために用いることができるか?
―植民地権力は、自分たち自身がよく保障された財産権制度から利益を得るときに、予期制度を採用した。なぜなら、彼ら自身が土地の主たる居住者だったからである。
―更に、彼らは搾取するものが相対的に少ないとき、とりわけ搾取しうる労働が少なかった時に、よりよい制度を選ぶ傾向がある。
―入植者死亡率が低いところでは、彼らは民主的な制度を発展させ、これらの制度は、将来における悪しき政策をあらかじめチェックするようにすえられた。