『現代思想』12月号はないかと

K書店に立ち寄るがなし。どうせなかろうと思って行ったA書店には案の定なかったが『世界』1月号が平積みなのでシンポジウムだけチラッと。小野先生の報告だけちょっと眺めるといつもどおりというか「今次の危機は1世紀に、二、三度はあるような普通かつ不可避のもの」とブレがない。討論で原田先生が「小野先生の金融政策悲観論=「デフレか悪性インフレか」の両極端論はいかがなものか」もなるほどと納得。
 目を引かれたのは原田報告でのついでのように「投資銀行=証券会社ってのは預金もないし自分でリスク引き受けて投資してるわけでもないんだから救済しなくていいんじゃね?」と爆弾発言。
 河合先生の報告見てません。買おうかな。
 投資銀行の業務につきわかりやすいのはこちら

投資銀行という仕事はアドバイスやサポートをするわけであって、それが本質だ。つまりブローカー、またはつなぎやであると言える。ブローカーの利益というのは、市場が効率化すればするほど下がるものだ。
(中略)
そういったなかで投資銀行が巨額の利益を上げられていたのは何故か。詐欺ではない。それはひとことで言えばイノベーションということになる。つまり、次々に新しいマーケットを創造し、新しい非対称を創造して行ったのだ。新しいマーケットには不確実性がつき物で、不確実性にともなうプレミアムが投資銀行の手数料になる。この新しい市場とそれに伴う不確実性のプレミアムこそが投資銀行が創造していた信用(=投資先=需要)だったのかもしれない。そして新しい金融手法の発達は経済の血の巡りをよくし、活性化させる。こうして世界的な好況は支えられていたわけだ。

投資銀行ニクソンショック以降、株式市場、為替市場、債券市場、証券化商品など、さまざまなマーケットをけん引し、需要を創造してきた。今回投資銀行がなくなったということは、その流れが終わったということだ。低付加価値のブローカーによる手数料競争と間接金融だけが残り、マーケットは縮小するだろう。
(中略)

一方で、次のステージの金融業の雛形は既にできていて、それは株式など高利回り商品における間接金融で、直接的な信用創造の担い手、即ち投資ファンドだろう。KKRやサーベラスやブラックストーンなどの巨大ファンドもそうだし、GSの銀行免許取得は新しい間接金融に関するデザインを感じざるを得ない。