何か誤解があるような、しかしそれにしても案外世論は動いているのかも

あちこちのblogで「議会が馬鹿」だとか「国民の経済理解不足」なんて書かれてるけどさ。そもそも国民が充分に利口ならあんな詐欺まがいのサブプライムローンなんか借りないでしょ? それを使ってさんざん儲けておいて損したら泣きつく人たちを救済する法案が 蹴られたら、 議員や国民のせいにするって、すげーおかしいと思うぞ。

http://www.zukeran.org/shin/funifuni/200810.html#02_01

 今回のポールソン・プランの否決とその修正、更にそれをめぐる床屋政談については、ぼくは必ずしもそういう印象は持っていなかった。

このポールソン案へのシカゴ大の経済学者が主導した公開書簡ソロスによる批判は、買取価格の不透明性により政府、引いては納税者の利益が大きく毀損される可能性があるのに対し、金融システムの問題への直接対処になっていない(そのため本来政府が助けるべきでない金融機関を助ける結果になる恐れがある)、という点に向けられている。

これへの対案として、ソロスやクルーグマンは、整理回収機構ないしそれが範とした整理信託公社(RTC)のような資本注入を主張している。

ポールソン案についてもう一つ面白い点は、大学の経済学者と対照的に、ウォール街エコノミストが全面的に支持していることだ(上記のワシントンポスト記事にその旨の記述がある)。マンキューブログのこのエントリによると、彼らは、下がりすぎた価格を支持する政策として評価しているようだ。つまり、大学の経済学者が市場が付ける価格に信頼を置き、政府が価格に関する情報で市場を出し抜けるはずが無いと主張するのに対し(cf. 上述のクルーグマンブログエントリマンキューブログエントリ)、市場に近いウォール街の関係者がむしろ現在の市場が付ける価格に不信感を抱き、政府による価格是正に期待している、という奇妙に逆転した構図になっている。

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20080929/paulson_plan


 第一に「議会がバカ」「国民が××」という日本語ブログエントリがあふれていたのだとしたら、隔世の感というか、「失われた十年」で懲りたというか、着実に「ドマクロ馬鹿ゴキブリ」による啓蒙の成果がみられる、ということであり、
 第二に、米国の政治と世論の動向は更にその先を行っており、別にかつての「構造改革主義」的な発想で「悪い投資銀行をつぶせ!」といった魔女狩りが行われているわけではない(まあそういう人も中にはいるだろうが)、ということではなかろうか。


 関連して、その後のクルーグマンのコメントを扱うhimaginaryさんのこのエントリも面白い。

クルーグマンが法案をこのように批難するのは、このエントリに書いたように、銀行への資本注入を考えていなかった点にある。その背景には、銀行の株を政府を持つことに対する保守政権としての拒否反応があったのだろう、とクルーグマンは(例の如く)分析する。しかし、(イラク戦争をうまく売り込んだ時とは対照的に、)今回はそうしたイデオロギーに基づく動きで下手を打った、というのがクルーグマンの評価である。

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20081003/tarp_world2