ひょっとして

 今どき「左翼」を自認する人は、かつてのマルクス共産主義の理念を旗印そしてあるいはアリバイにした中央指令型計画経済(まともな「計画」なんか実はなかったから「指令経済」なる呼称の方がふさわしい、との塩川伸明先生のご指摘は示唆深いがとりあえず)は、そしてまたユーゴ型自主管理協議体制も、そもそも基本的に駄目である(たまたま運が悪かったとか、努力不足だったとかいうわけではない)という認識は当然に持っていて、ただ社会的公平や弱者支援のための市場への介入や再分配を要求する広義の社会民主主義者なんだと思っていたのだが、違うんでしょうか。
 ひょっとしてまだ世間には「社会主義経済は可能だ」と思っている人が残っている、あるいは昔をよく知らない若い世代が出てきたんでしょうか。


 しつこいですが

現存した社会主義―リヴァイアサンの素顔

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“20世紀史”を考える

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コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て

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資本主義への大転換―市場経済へのハンガリーの道

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現代社会主義 形成と崩壊の論理

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体制転換の経済学 (新経済学ライブラリ (20))

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これからの社会主義―市場社会主義の可能性

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あたりで学ばれてください。どぎついものは避けましたので。

追記

 あえて釣られてみる;

社会民主主義的政策(の中長期的持続)も、ほっときゃ資本主義体制が崩壊するかもという条件の下でないと実現されない→故にこれからは新自由主義一択ですね、わかります

http://b.hatena.ne.jp/kyo_ju/20080908#bookmark-9934152


「誰もそんなことは一言も言ってないのにあんたはアホですか」と言いたいところをこらえて(ないけど)善意にとってみる。


 でもその前にやはりこの議論(脊髄反射ブコメに論を求めてどうする、というのはさておき)が飛躍していることは指摘しておかないといけない。
社会民主主義的政策(の中長期的持続)も、ほっときゃ資本主義体制が崩壊するかもという条件の下でないと実現されない」から「これからは新自由主義一択」という結論を出すやつは頭がおかしい。このお方の「新自由主義」という言葉が何を指すのかよくわからないが、それがまともなマクロ政策とか社会保障政策の不在を意味するのであれば、まさに「新自由主義一択」こそ「ほっときゃ資本主義体制が崩壊するかもという条件」である。ロシアから共産主義者どもが攻めてくる恐怖よりも、もちろんそれとあいまってではあろうが、大不況下の大量失業、そのもとでの社会不安の恐怖の方が福祉国家の形成にあたって重要なモメントだったに決まっている。


 それでもやはり「共産主義の脅威」、「「現存した社会主義」の存在が西側における福祉国家政策の追求にあたって後押しになった」とは広く認められていることは確かだ。本当かどうかについての検証が果たしてどれくらいきちんと行われているのか、と考えるとふと不安になったが、とりあえずそうだとしておく。
 しかしもちろんだからといって「「現存した社会主義」のおかげで福祉国家ができました、尊い犠牲に感謝しましょう」などという論法を通すわけにはいかないのは確かである。
 だが生温くリベラルで穏健で実務的な社会民主主義者の説得だけでは、福祉国家の実現には足りなかったかもしれない(もちろん福祉国家はリベラルや左翼によってだけではなく、家父長的な保守主義によっても後押しされたとは言えるが)。福祉国家さえも「微温的で姑息な弥縫策」と拒絶するラディカルの脅威が醸し出す不安なしには、福祉国家はよく実現できないかもしれない。
 しかしこうなると、こういうことになる――ラディカルな左翼はいないよりはいた方がよいが、あまり強くなられて、権力を握られても困る。反対党として存在し、声をあげ、体制を批判して文句をつけてもらうと助かるが、それ以上の存在になられても困る。
 おそらく左翼の有用性は、世論レベルでの異論派にとどまるのではなく、実践レベルでも明確にあるだろう。経済面に限っても、不況期には抵抗勢力たることによって逆説的に不況の悪化を食い止め、あるいは好況期には、営利企業にとっては採算性が低く参入しがたい新ビジネスのインキュベーターとして機能する可能性がある。すなわち社会の後衛ないし前衛としての機能が、左翼には期待できる。しかしそういう新ビジネスは、もし生き延びたならばいずれは営利企業にのっとられるか、あるいは国家によりのっとられるか、なのだろう。


 というような話はすでに『「公共性」論』に書いたのだがこうしてみるとかなり岩田昌征先生の影響が強いなおれも。