最近は経済学を勉強していないけど

 小島寛之さんの「バーナンキ背理法論駁n歩手前」

普通の経済モデルの感覚でいうと、「インフレが本当に起きるか起きないか」といった推論を整合的に取り込んだモデルを作れば、多かれ少なかれコモンノレッジの様相が現れて、「自己実現的な」複数の均衡が生じるはずなのだ。(コモンノレッジによる自己実現的な均衡についての詳しいことは、拙著『数学で考える』青土社を参照のこと)。なぜ「誰もそれを信じず、インフレなど起きない」という均衡が、何の追加的条件もなく消えてしまうのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080822
がちょっと話題になっているのでメモ。ここで小島さんが論及している池田信夫さんの発言とは
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/42ec508b2462ea0a566bd8d69f5eee23
における

実際にそんなことをしたら、あるところまでは何も起こらないで、臨界値を超えたところでハイパーインフレが起こるかもしれない。ちっとも背理法なんかになってないんですよ。

その他関連エントリであろう。池田さんはここで、「何も起きない」か「ハイパーインフレ」という二つの均衡以外は無意味だ、と想定しているように思われる。それに対して「リフレ派」は、「その中間にもいくつかの均衡が存在しており、かつその実現可能性はそれほど低くはない」と想定していることになるだろう。
 「何も起きない」と「ハイパーインフレ」もまた均衡解でありうるという指摘自体はもっともであろうが、それをもって全面的反論とするわけにはいかないはずで、その中間の均衡解の不在なることの証明が必要だ。誰かやって。

追記

 そもそもここで果たしてアナロジーは成立しているのだろうか? 「存在しないものを扱って背理法をする怖さ」についての指摘は勉強になるが、ここでわれわれはいかなる「存在しないもの」について考えねばならないのか? それは果たして「最大の自然数」とのアナロジーで語れるようなことなのか?


 問題の「(迷題) 最大の自然数は1である。」がそもそも曲者である。これには例えば以下のような解釈を施すことができる。すなわち、
「ある数xが存在し、xは最大の自然数である」ならば「x=1」
という条件法の複合命題として。ここで前件をA、後件をBとすると、
 A→B
とも表わせる。
 さてここでAは普通の数学ではあからさまに偽である。「最大の自然数」なる概念自体が矛盾しているはずだ。さて前件Aが偽であれば、条件法「A→B」がつねに真であることはよく知られている。というより、この「ある数xが存在し、xは最大の自然数である」を前件Aにすれば、このあと後件Bにどんな命題を代入しようと「A→B」はつねに真となるのではないだろうか? 
 いったいこの「迷題」は何を意味しているのだろうか? 


 それから、数学的な意味での「存在」と日常的な意味、そしてほとんどの経験科学における「存在」の意味はまるで違う。たとえばコンウェイライフゲームにおけるエデンの園配置については、その存在はずいぶんと早い時期に証明されていたわけであるが、具体的なエデンの園配置の発見は存在証明からずいぶん後のことであった。このように、普通の意味での数学的には、それが実際に見つかっていなくとも、何かについて「存在する/しない」と語ってかまわない。だから「最大の自然数は存在しない」と語って何ら問題はない。(直観主義の場合は違うんでしょうか?)
 しかし日常的な意味で「Xが存在する」とは、「世界の基本法則がXであるようなあるものxの存在を許容する」を意味しない。それは日常的な意味では「世界の基本法則のもとで、Xであるようなあるものxが存在することが可能である」を意味するにすぎない。普通の意味で「Xが存在する」とは、「世界の基本法則のもとで、Xであるようなあるものxが存在することが可能であるのみならず、現に存在する」ということだ。
 数学や数理経済学での存在定理は、普通の意味で「何者かが存在する」ことをではなく「何事かが可能である」ことを論証している。


 小島さんが「最大の自然数」とのアナロジーで語ろうとしていたものは「無税国家」である。しかしここで小島さんは「無税国家」の定義を与えていない。そして当然ここで小島さんにはその定義をきちんと与える義務がある。さてそのうえで、「無税国家」というものはいかなる意味で存在しえないことになるのか? 「最大の自然数」が存在しないのと同じ意味で、つまりは矛盾を含んだ概念であるから存在しないのであれば、小島さんのアナロジーは成り立つかもしれない。しかしそうなのか? ひょっとしたら「無税国家」は「可能ではあるが今のところ実現されていない」のかもしれない。(そっちの方向で「バーナンキ背理法」を崩してみても面白くないか?)
 いずれにせよ「無税国家」がありえないことをしめすためには、きちんとその定義をしたうえで、その定義が矛盾をはらむことを論証しなければならないだろう。