フィリップ・バビットを読みながら

 くそ分厚い大著の第一部(憲法・国家編)は意外と快調に読了したものの第二部(国際法・国際社会編)でちょっとペースが落ちた。しょっぱなはウッドロウ・ウィルソン再評価というかリアリストたち(たとえばキッシンジャー)がウィルソン主義をナイーブなお花畑的理想主義呼ばわりするのに対して「ナイーブなのはお前らだ」と言わんばかりのかなり激しいつかみとともに始まるのだが主役はウィルソンの親友にして腹心のエドワード・マンデル・ハウス「大佐」。ハウス評伝ともいうべき、同郷人(テキサスの民主党リベラル!)への思い入れたっぷりのねちこい記述に疲れる。
 いずれちょっとキチンと読書ノートを書いておきたいが、それはともかくバビットの二大著を日本人を読むときはつまるところ;

実際は、もし、憲法が改正されて、日本が交戦権を回復したとしても、兵営へのビラ撒きのごとき直接行動こそ厳しく取り締まられても、それ以上の言論統制は案外ないかもしれない。ベトナム戦争時のアメリカのように。また現在では、先進国で徴兵制を採用する国は少ない。戦争は、高度に技術化され、プロのお仕事としたほうが効率もよい。そうだとすれば、戦後ずっと日教組が叫んできたごとき、教え子が戦場へ送られる事態など生じようがない可能性が高い。銃後の任務も、民間業者へ請け負わせたほうが義務的強制よりも堅実かもしれない。
 そうして日本へは火の粉も飛んでこない戦場限定で戦争は完結する。砲火は交えられ、犠牲者も双方に多少は出る。しかし、遺族には手厚い保障がされる。殉職した警官や消防士と同様、狂信的ナショナリズムなどは全く臭わない、ごくあたりまえの犠牲者への敬意が、マスメディアを通じて国民一般から捧げられる。日本国家はもうこれくらいには成熟し終えていないか。
 やがて短期間で戦争は終わり、経済や国際的威信において、皆が明瞭な事態好転を実感できる成果がもたらされるかもしれない。
 さあ、どうだろうか。こんな「戦争」に反対すべき理由を、普通に生活している国民一般を説得できるまでに組み立てられる人が果たしているだろうか。

浅羽通明天皇反戦・日本』幻冬舎、「あとがき」)


ということを考えながら読むのがよいのだろう。まあバビット自身はアメリカ人を相手に「これからの「テロとの戦い」てのはつまりこういうことなのよ、それに備えましょうね」と言いたいのだろうが。

The Shield of Achilles: War, Peace, and the Course of History

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Terror and Consent: The Wars for the Twenty-first Century

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天皇・反戦・日本―浅羽通明同時代論集 治国平天下篇

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