「『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である」メモ

 ここんとこ毎日10年ぶりの英語論文を書いていて時間がないのでこんなことしている場合じゃないのだが(お約束)。


http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec2

少しでもまともな仕事をやったことがある人ならすぐわかるけど、最終的な財の生産につながらずにひたすら設備投資だけが「自己目的」として増えるなんてことがあるわけないだろ! 設備ってたいがい、何か作るためのものなんだから。

 これにはそれなりの解釈が可能。松尾さんは日本では珍しい小野善康シンパのマルクス主義者なので、この設備投資論は小野理論の応用編として理解が可能なのでは。すなわち、資産バブルの一種としての「不毛な設備投資」の可能性、がここで展望されているのでは。
 まあしかしそうすると松尾には、マルクス主義的な物神性論とケインズ貨幣論とをきちんと結びつけるという任務が課されてしまうのだが。


http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec3
http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec4
 このあたりの話はいわゆる「疎外論」批判としてわかりやすくできているのだが、実はこの程度の議論なら「この道はいつか来た道」であったはず。すなわち60年代後半以降の新左翼ノンセクト系のマルクス主義論壇で、まず疎外論が登場してきた後、当然正統派からのヒステリックな叩きがあったわけだが、体制としてはそんなものは無視されて、「疎外論の人間中心主義でいいのか」という哲学的論争が盛んに展開されていたはず。フランスにおいてはルイ・アルチュセールラカンにヒントを得た構造主義マルクス読解、「認識論的断絶」論があり、日本においては廣松渉の独自の物象化論の展開があった。
 普通「物象化」というコンセプトは「疎外」とワンセットで使われるものだったのだが、廣松の使い方は少し変わっていた。つまり廣松らによればそもそも「疎外」されるが故に回復されなければならない「人間的本質」などというものがあると思うこと自体が既に「疎外」である、というわけだ。だから廣松は一所懸命「物象化」を「疎外」概念なしで論じようとした。それがうまくいったかどうかはともかく。
 論理的に言えばこの違いは、仏教とか「悟り」にひきつけるとわかりやすい(?)。

 たとえば「解脱」という概念がある。非常におおざっぱに「この世のあらゆる苦しみから自由になること」「絶対に安全になること」ととりあえず解しておこう。これを仏教的、というと不正確なのだろう。仏教の本来の教え、おそらくは仏陀が考えていたこと、説こうとしたことはむしろこの「解脱」などということはできない、ということであり、いわゆる「悟り」とは「解脱」の反対概念、「解脱」の不可能性を知ること、である。となると「解脱」を目指して修行することはまさに「偽の神に帰依すること」に他ならない。

(拙著『オタクの遺伝子』太田出版、より引用)


 要するに普通の疎外論は「解脱」を目指していて、「悟り」をこの「解脱」への認識論的準備と見なすのだが、廣松物象化論は「解脱」の不可能性の理解こそが「悟り」だというわけだ。そりゃそっちの方が正しそうだけど、そううすると革命とか人間解放とかの哲学的基礎付けは吹っ飛ぶんじゃないの? ――まあその辺については廣松は答えを出さなかった。たぶん彼は根っからの政治主義者で、そういう問題には実は関心がなかったのではないか、とぼくは勝手に思っている。(なおこの問題については東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度』東大出版会、の序章をも参照。)
 で、松尾の廣松批判は「そんなのマルクスじゃない」というあたりまではそれなりに説得的だが、問題はその先だ。仮にそうだとしても、今度は「正しいのは松尾とマルクスか、それとも廣松か」という、廣松自身も直面を避けた問題が襲ってくる。


http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec5
http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec6
 この辺の山形の困惑はよくわかる。もっとわかる、と言いたくなる(そのためにはもちろん、松尾本をちゃんと読まないといけないのだが)。というのはほかならぬ松尾が、
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_80428.html
における『立憲主義の政治経済学』評において、非常にきちんとした「みんな」主義批判を展開し、プロレタリアート独裁にも(にこそ?)立憲的制約は必要だ、と論じているからだ。


 ただ、歴史的な文脈の問題についていえば、山形は疎外論マルクス主義と正統派スターリニズムとの違いに無知か、「五十歩百歩」と退けているかのどちらかのようで、この些細な違いにすべてをかけたい松尾の気持ちは分からなくはない。
 とはいえぼく自身のマルクス主義理解はやっぱり松尾とも食い違う。田川建三はかつて「一方にパウロ的な世俗を捨てた超絶主義、他方にマタイ的な実践主義の両極を持ち、折々にご都合主義的に使い分けてきたのがキリスト教というものであり、どちらかが「真のキリスト教」というわけではない」との趣旨のことを言っていたと思うが、マルクス主義もそうだと思う。一方のレーニン、スターリン的な、人間の意志とか希望を一切認めない超絶的客観主義、他方の新左翼的な、ときに反文明主義・反知性主義にさえ走りかねない主意主義の両翼があってこそのマルクス主義であったのだと思う。つまりマルクス主義とは「世界観」ではない。複数の互いに矛盾しあう世界観や感性の、互いに憎みあいながらの、共通の敵を前にしての野合なのだ。あと知恵と言えばあと知恵だが、「真のマルクス主義」とか言ってたから駄目だったのだ。
 そしてむしろ穏健な現実主義は、新左翼疎外論の方にではなく、正統派のレーニン主義、ひょっとしてスターリン主義の方にこそ潜在していたんではないか、とさえぼくは思っている。というのはスターリン主義は結局のところ、一国社会主義で世界革命をあきらめる立場、資本主義を痛罵しつつ、決定的なところで資本主義に依存する立場でしかないからだ。(更に新左翼党派の中では、組織最優先主義の革マルがこんな感じだったのでは、などと勝手に考える。)
 クメール・ルージュを「唯一政権を取ってしまった新左翼」と呼んだのは笠井潔だったと思うが、ショート『ポル・ポト』などを読む限り、クメール・ルージュの幹部たち自身がフランス新左翼の影響下にあったというわけではなさそうだ。ただし先進国に新左翼的心性にある種の共鳴板を見出したという意味では、笠井の言も完全に誤りというわけではない。また言うまでもなく一時のヨーロッパ新左翼には「マオイスト」を自称していたものも多かった。これは言うまでもなく、彼らが文革に対してよく訳も分からずシンパシーを抱いていたことと無関係ではない。
 もちろんこのようなレーニン主義弁護も、その肯定にはなりえず「盗人にも三分の理」程度のものでしかあり得ないのだが、「新左翼の方が旧左翼よりまし」かどうかは決して自明ではない。やれやれ。