「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号

 松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。
 何らかのネタの提供になるだろうか。
 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんの本の評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。)
 しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。

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稲葉振一郎「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号


 ソ連崩壊後10年以上たつというのにいきなり現われた、現在のマルクスブームにはしかし、根も葉もないというわけではない。それはグローバリゼーションとかかわっている。
 いわゆる「グローバリゼーション」の何たるか、についてはいろいろと議論がありうる。政治的、経済的な実態に目を留めるならば、20世紀の歴史は、第一次大戦前までの一貫したグローバリゼーションの傾向――貿易の成長、資本移動の激化、移民の増大、等々――が世界大戦によって一気に逆転、収縮に転じ、各国経済はブロック化し、国家による社会統制はきつくなったのが、戦後高度成長の下でゆるやかに回復してきて、ようやく世紀末頃に19世紀的な水準に回帰してきた歴史である、という風に総括して、「グローバリゼーション」ブームに水をかけることもできる。少なくとも昨今のグローバリゼーションを、人類史上未曾有の革命呼ばわりすることには慎重であった方がよい。
 しかしながらもちろん、大戦期から高度成長期のころのことを思えば、昨今のグローバリゼーションは確かに劇的である。人間は忘却する生き物であり、かつまた寿命も短いのだから、その尺度で見れば驚くのは仕方がない。つまり実態としてはどうあれ、ブームとしての、イメージの中の「グローバリゼーション」は否定しようがない。
 その中で「たしかにこれは新しい」といえる現象のひとつが、世界の北と南、先進諸国と開発途上国との間の、絶望的なまでの格差の発生である。旧ヨーロッパを中心とする現在の先進諸国と、それらによって19世紀までにあらかた植民地化されたアジア、アフリカ諸地域との経済的、軍事的、技術的な格差は、もちろん確実にあったとしても、数字で言えば一ケタレベルのものであった。しかしながら第二次世界大戦後、ほとんどの旧植民地地域は独立国家となったのだが、にもかかわらず格差は縮まらなかった。先進諸国の経済成長は加速したのに対して、多くのアジア、アフリカ諸国ではそれほどの成長は起こらなかった――ひどいところでは停滞、あるいは治安が悪化した諸国ではマイナス成長さえあった。その結果格差は縮まるどころか二ケタ、三ケタレベルへと拡大してしまったのである。
 このような格差が拡大し、日常的な物質生活のレベルでは量的な差というよりも、比較しがたいほどの質的な断絶と感じられるほどの格差が先進国と途上国との間で発生してしまった一方で、グローバリゼーションは確実に進行(回復?)して、これほどの差があるにもかかわらず、相互における人、もの、金、情報の流れはむしろ密になっていった。この緊張――世界レベルでの格差、不平等の進行、そしてその事実が誰の目にも見えやすくなったことこそが、格差と不平等に対する偉大な批判家としてのマルクスへの再注目を――社会主義の悲惨な失敗にもかかわらず――引き起こしたのである。
 ところが残念なことに、再び召喚されたマルクス、正確に言えばマルクス的視点から現代の論者たちによってなされるグローバリゼーション批判は、おおむね生彩を欠いている。何よりそれはかつてのマルクス主義が持っていた迫力――科学性を欠いている。
 グローバリゼーションには政治的、経済的、文化的等々さまざまな側面があるのは当然だが、やはりその中軸にあるのは資本主義的市場経済の世界的展開である。そのようなグローバリゼーションに対する、マルクス主義的なスタンスはどのようなものとなるだろうか? 
 後に詳しく述べるが、かつてマルクス主義は、資本主義に対して両義的な姿勢をとっていた。本来マルクスは「資本主義は労働者の搾取の上に成り立つ不公正なシステムである」と糾弾する一方で「資本の偉大な文明化作用」と口走り、資本主義の力、生産力を高めて空前の富を作り出し、人々に――少なくとも形式的には――大いなる自由の可能性を提供する巨大な社会変革の力を、それ自体としては肯定していた。この二枚腰のいいとこどりポジションのアナロジーからすれば、やはり一方でグローバル化の元での不平等の拡大を厳しく批判しつつ、他方でなお、グローバル資本主義の肯定的な力、つまりは経済成長と社会のボーダーレス化自体を礼賛する、ということになるだろう。
 しかしながら今日におけるマルクス主義的なグローバリゼーション論者は、このような立場――それ自体かなり不安定なスタンスではあるが――をとりにくくなっている。もちろんその理由は、ひとつには先述のとおり「現存する社会主義」の崩壊があるだろう。グローバル資本主義にとって代わるグローバル社会主義の構想を、単なる駄法螺以上のものとして提示できる論者などいない。
 しかしもうひとつ、重要なファクターがある――現在のグローバリゼーション・ブームの中のマルクス主義的なグローバリゼーション論者は、かつて古典派経済学を学び、それを自家薬篭中のものとしていたマルクスとは違い、今日のグローバル経済を分析するための社会科学的な道具立てを持っていない、ということだ。
 南北格差についてのマルクス主義の理論的解釈として、かつて影響力を持ったのは「従属理論」という枠組みである。もともとは20世紀初頭の理論家たち、特にレーニンの帝国主義論やローザ・ルクセンブルグによるその批判などに起源を持つこの議論はまず第一に、途上国の発展の遅れは単なる「遅れ」「後進性」ではなく、かつての植民地支配の負の遺産の効果である、と喝破し、第二に、そうした遅れは一時的なものではなく、その後の先進国との関係の中で固定化されている、と論じた。
 ここで特に問題となるのは第二の論点である。この遅れの固定化、構造化――「低開発」と呼ばれる――など本当にあるのか、については、まず80年代以降の東アジアで顕著になったNIES(新興工業経済)現象によって大きな疑いが生じた。もちろんこのような急速な成長を遂げられず、停滞にあえぐ国々も、特にサハラ以南アフリカには目立つ。それゆえ、ここでは少なくとも一部の国においては「遅れの固定化」=「低開発」が存在する、と仮定してみよう。ここで更なる問題となるのは、この「低開発」が古典的な意味での「搾取」を意味しているのか――この「低開発」は途上国の富が先進国に吸い上げられているがゆえに起こるのか、そして先進国の高度成長は途上国の搾取の上に成り立っているのか、である。もしこの意味ので「搾取」が存在しているのであれば、途上国は先進国との経済関係を絶ち、「自立更正」した方がよいことになる。
 しかし格差の拡大はこの意味での「搾取」がなくとも起こりうる。先進国の成長率が途上国の成長率を常に上回っていれば、両者の間に何の交流がなくとも、最初はごく小さかった格差が時間とともに恐ろしく拡大するであろう。そしてもし「従属理論」の主張が誤りで、オーソドックスな経済学の自由貿易論が正しければ、途上国によって貿易はないよりもあった方がよい――仮に格差は縮まらなくとも、途上国の経済はそれで改善する。
 東アジアNIESの経験は明らかに「搾取」の不在ないしは(あったとしても)些末性を示唆する。アフリカ諸国の苦境にしても、一部のレアメタル資源などの例を除けば、むしろ政治的な混乱などにより世界市場にうまく統合されていないことによるところが大きいのでは、との推測を惹起する。また象徴的な事例としてよく知られているのは、ブラジルのカルドーゾ(元)大統領である。社会学者であり、かつて「従属理論」の主導的理論家の一人だった彼はしかし、大統領の座についたとき、決して「自力更生」路線をとりはしなかった――彼はむしろその反対に、通貨を安定させて外資の導入を奨励し、ブラジル経済をより強く世界経済に統合させていったのである。
 なお付け加えると、一部の主流派経済学者、たとえばポール・クルーグマンなどは「従属理論」を主流派の数理モデルによって再定式化し、貿易による格差の拡大や、時によっては途上国の経済状態の悪化が起こりうることを示している。しかしクルーグマンは、通常は先進国による途上国の収奪という意味での「搾取」は起こらず、一般的には貿易の拡大は途上国の利益になることを強調している。
 かくして「従属理論」が行き詰まりに直面して以降は、今日のマルクス主義的なグローバル資本主義批判者の言説においては、しばしばおこる悲惨な実態を報告する実証的、あるいはジャーナリスティックな仕事は豊富でも、そのような現実を生み出すメカニズムを理解し、できる範囲での改革を提言するための、理論的な分析はひどく手薄である。今となっては、多少理論的な作業があるとしても、それは現実を分析するための理論ではなく、そのような理論――代表的には、正統的な経済理論にのっとった国際経済学開発経済学――に対するイデオロギー的批判である。「イデオロギー的批判」とはつまり、主流の経済学はそれ自体がグローバル資本主義を正当化するイデオロギーであり、その道具立てを用いること自体が、グローバル資本主義に洗脳されることを意味する、というスタンスでの批判である。
 もちろん今日では左派、あるいはリベラルな論者で、主流派経済学の訓練を受け、その道具立てでもって、グローバル資本主義のもとでの格差や不平等の批判を行う論者も少なからず存在している――先述のクルーグマンや、ノーベル賞受賞者ジョゼフ・スティグリッツなどがよく知られている――が、しかし商業的な思想ジャーナリズムの世界では、そのような地道な論者よりも、上述のイデオロギー的な批判者の姿の方が目立つ。そして残念なことに「マルクス」の名を引き合いに出すグローバル資本主義批判者たちの多くは、こちらのカテゴリーに入ってしまう。マルクス主義者であっても、現場を地道にリサーチする実証研究者の場合はまだましだ。始末におえないのが純粋理論家のグローバル資本主義批判者たちである。彼らにはグローバル資本主義を理論的に理解する道具立てなど、実はない。彼らにできることは、(彼らの頭の中では)グローバル資本主義の護教論に過ぎない、メインストリームの国際経済論、開発理論に非建設的な批判を投げつけるだけのことである。
 いま現在のマルクスブームの中心にある、アントニオ・ネグリマイケル・ハートの共著『〈帝国〉』(以文社)はそのよい例である。ネグリはイタリア出身の哲学者であり、かつてイタリアの新左翼のイデオローグとして活躍してきたが、アカデミックな本業は哲学史である。ハートはアメリカの大学で比較文学のポストについているが、本業はフランス現代哲学であり、ネグリの盟友であったフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズの研究で世に出た。というわけで二人とも、理論や思想の研究、概念的な作業においては一定の研鑚を積んでおり、「イデオロギー論」的な作業は得手であろうが、プロフェッショナルな実証的社会科学者ではない。
 もちろん学的出自は参考にしかならないとはいえ、『〈帝国〉』の現物を実際に読んでみれば不安は的中する。〈帝国〉というキーワードのもとに展開される新しい世界秩序論の方は、それほどオリジナルではない分、まだ安心して読めるが、それでも実態分析というよりは政治思想の概念分析という色彩が強い。しかしこれが経済的側面になると、もう読むに耐えるものではない。彼らには現実をきちんと分析する道具立てがない、ということがあからさまに暴露されてしまうからである。彼らは政治学・国際関係論のレベルでは、何とか同時代の研究水準をクリアすべく頑張っているが、経済学に関しては完全にその努力を放棄している。
 しかしなぜ、グローバル資本主義批判を行う今日のマルクス主義者たちは、かつてのマルクスのように、同時代の最新の経済学、社会科学を摂取した上で、同じその土俵で論戦を挑まないのだろうか? それは今日マルクスを召喚した人々の来歴がならしむるところが大きい。


 今となっては意外に聞こえることだが、もともとマルクス主義というのはガチガチの科学主義で近代主義の立場である。19世紀のその出始めの頃は、マルクス主義のセールスポイント、つまり他の社会主義諸派やその他の左翼反体制運動・思想に比べての強みというのは、敵であるはずの現体制、ことに自由な市場経済(資本主義)の強さ、合理性をまずは徹底的に認めてしまうこと、それを倒してそれにとって変わるなどということは並大抵ではない、ととにもかくにも力説するところにこそあった。そのいやらしいくそリアリズムゆえにマルクス主義は自ら「科学的社会主義」をもって任じ、資本主義の強靭さを甘く見て、コミュニティー実験を繰り返しては市場経済の荒波に負けていった他の社会主義運動家たちを「ユートピア的」と軽侮したのである。
 こういうリアリズムはもちろん、美点であると同時に弱点でもある。何よりこういういやみな立場をとっていると、他の反体制派、批判派には嫌われる。ローカルなコミュニティ実験の失敗とか、追い詰められた小党派の絶望的な蜂起とか、自分たち以外の反体制勢力の敗北こそが、資本主義の強さを見せ付けて、ますますマルクス主義の正しさを証拠立てる、という仕掛になっているからだ。
 しかしマルクス主義も無謬、無敵ではありえなかった。最初にロシアで、そして後には中国、そして東欧やアジア、アフリカの各地で政権をとったマルクス主義者たちとその指導下の民衆は、上記のマルクス主義の強みとまさに背中合わせになっていたその弱みのつけを支払わされることとなった。その背中合わせの弱みとは「マルクス主義におけるまともな社会主義構想の不在」である。
 まず先に見たとおりマルクスの、そして後のマルクス主義理論家たちの当面の課題は、あまりにも強すぎる敵、資本主義体制の冷徹な分析にこそあった。もちろんそれ自体は最終目的ではなく、敵を打倒するための手段に過ぎないが、物事の順序としては「敵を打倒したあとどのような社会を作るか」をあれこれ考えるよりは優先事項には違いない。社会主義を実現したければ、まず眼前の障害物たる資本主義を取り除かねばならない。そうしなければ社会主義は資本主義に負けて潰されてしまう(これが「ユートピア社会主義の末路だったというわけだ)。
 しかしながらマルクス主義者たちは、そうやって敵たる資本主義の批判と分析にばっかり力を注ぎ、そのことで人気を得て支持者を獲得して、同じ側のライバルたる他の社会主義とかあるいは無政府主義とかには勝てたかもしれないが、では本来の敵たる資本主義には勝てたのだろうか? ロシア革命以降に各地で成功した革命は、言っちゃあ悪いがまだ市場経済、資本主義がどちらかというと未発達の地域でのことだった。そしてそうした革命後に権力を握り、社会を運営していく責任を背負い込んだマルクス主義者たちは、はたと気づくのである――自分たちの知的武器庫には、資本主義批判の武器は山とあっても、資本主義が倒れたあとに、それにとって代わるシステムとしての社会主義体制を設計し、建設するための道具はなかった。そもそも「社会主義とは何か」という問いに対する答えにしてからが、宗教的なお説教の域を出ないようなものしか、マルクス主義の在庫にはなかったのである。マルクス主義の弱点はその強みの裏返しであったのみならず、「ユートピア社会主義の弱点の裏返しでもあった。


 こうして、一部の国においてであれ天下を取ってしまったことによって、マルクス主義はより抜き差しならない局面に入っていく。自立した社会体制としての社会主義についてのヴィジョンの欠如という弱点は、マルクス主義がもはや単なる反対派の運動体ではなく、体制を導く責任を負った政治指導者となったその瞬間に、致命的なものへと転じる。そして実はその毒は、針の筵のごとき権力の座の上で、泥縄式にでっちあげられた「社会主義」体制のマルクス主義者たちのみならず、それに比べれば安全な「反対派」の椅子にとどまることができた西側諸国のマルクス主義をも侵していった。
 左翼にとって20世紀後半とは、非常に微妙な時代である。上に述べたような泥縄式の社会主義体制は、政治的にはほぼ例外なく、自由がなく抑圧的で、粛清や虐殺さえまれではない強権体制(いわゆる「スターリニズム」)となり、それに比べれば西側資本主義社会の方が明らかにまし――ということが明らかになってきた。これによってそれまでもグダグダしていた西側のマルクス主義は完全に分裂する。一応マルクス主義を標榜しながらも「資本主義もいやだが、現在の社会主義もいや」と主張する「新左翼」が本格的に登場してくるのである。しかし、にもかかわらず――ソ連崩壊とそれに続く社会主義ブロックの解体の直前までは、やはりたとえ欠陥だらけであっても社会主義体制が、つまり資本主義とは異なる原理に立脚する(ように見えた)「もうひとつの(オルタナティブな)」社会体制が存在する、という事実は、西側の新左翼にとってもある意味で「希望」であり、資本主義を批判する際の根拠でありつづけていたのだ。
 この点はわかりにくいだろうから、少ししつこく、ていねいに論じる。「資本主義もいやだが、現在の社会主義もいや」というのが乱暴な意味での新左翼だ。しかしこの二つの「いや」は同じ価値を持つわけではない。「どっちもいやだが、それでも社会主義の方がまし」というわけでは必ずしもない。「それ自体をとってみれば、西欧先進諸国の福祉国家体制の方が、東欧社会主義体制よりましだ」と判断する左翼はその当時でも珍しくなかっただろう。しかしながらここでの問題は、資本主義的市場経済体制は、言わば自然発生的な存在であるのに対して、社会主義体制は、たとえあまりうまくいっていないにしても、人間の創意工夫の所産であり、その意味では人間の自由の証明でもある、ということだ。「自然な成り行きでできた(ように見える)資本主義社会の中で生きることが、近代人にとっての避けがたい運命だ」というわけではなく、「他のタイプの社会をつくり、その中で生きることもできる」という可能性を、いかにそれ自体は無様で問題だらけとはいえ「現存する社会主義」は示してくれたのだ。つまり新左翼にとっては、現実の、「現存する社会主義」は、それ自体批判の対象であり、資本主義を批判する際の根拠になってくれるものではなかったが、その「現存する社会主義」が体現する社会主義の実現可能性――既に実現した限りのそれははろくでもないものばかりかもしれないが、それでも社会主義は曲がりなりにも実現可能であり、これらろくでもない先行例の教訓を生かせばよりよい社会主義、自由と民主主義を否定しない「人間の顔をした社会主義」が実現できるかもしれない、という希望――の方は、依然として資本主義批判の根拠でありつづけていたのだ。
 以上のように考えなければ、「スターリン批判」によって出現した新左翼の多くが、それでもなお相変わらず大体においてマルクス主義を標榜しつづけたのか、にもかかわらず「現存する社会主義」の崩壊によってその影響力は急速に衰えたのか、の説明がうまくつかない。もしも仮に新左翼が、根本的なレベルで「現存する(した)社会主義」を拒絶できていたならば、「現存する社会主義」の解体によって深刻なダメージを受ける道理はない。上に述べたようなひそやかな依存があったからこそ、ダメージは大きかったのではないだろうか。
 かくして「現存する社会主義」の崩壊を迎えた後の新左翼は、どこに流れていったのだろうか? 現在の時ならぬマルクスブームの中にも、実はその残影をみることができる。すなわち、マルクス主義ポストモダン化である。


 既に示唆したとおり、ネグリなどが代表する今日のグローバル資本主義批判者は、新左翼の流れを汲んでいる。そして彼らにおけるグローバル資本主義批判の没科学性は、新左翼の歴史そのものの中に根ざしている、と言えよう。
 新左翼が旧左翼、正統的なマルクス主義と袂を分かつ際に捨ててきたもののひとつが、実は「科学的社会主義」である。ある時期以降のマルクス主義は、このような意味での「科学性」をどんどん失っていき、彼らの口にする「科学(的)」という言葉は党派的独善を糊塗する、タチの悪い冗談としてしか受け取られなくなっていく。それは一つには、ロシア革命以降、世界の一部ではマルクス主義者が政権を執って、マルクス主義が単なる思想運動にとどまらず体制を支える指導原理となってしまったこと、その煽りを食らって世界中のマルクス主義が、あたかもローマカトリックのように、モスクワを総本山とする一大教団(コミンテルン)にされてしまったこと、に起因する。
 もともと政治的な党派性と科学性は折り合いのよいものではない。しかしマルクス主義が単なる反体制の思想運動であるうちはまだよかった。反体制の批判勢力である限り、マルクス主義者にはブルジョワ社会の常識に疑いの目を向けて自由に考え、自由にものを言う権利――というよりも義務があった。もちろん彼らの自由な思想と言論は、支配体制によって弾圧されることもあったが、その弾圧こそが、むしろその批判の正当性の証になった。ところがマルクス主義者が権力を握ってしまうと、こうした自由な思想と言論は、たとえそれがマルクス主義者によるものであっても、それが体制にとって危険とみなされれば弾圧される可能性が出てきたのである。そして党派性が思想と言論の自由に勝ち、マルクス主義から本来の意味での科学性は急速に失われていく。たとえ非現実的でも、論理的に考えてどうおかしくても、それがマルクス主義の体制の維持にとって都合のよい言説であれば、まかり通ってしまう時代が到来した。それは何もソ連国家の中だけのことではない。コミンテルンの権威を認めるマルクス主義者全てを覆うのである。
 後知恵になるが、そもそももっぱら反体制の思想運動であったマルクス主義には、権力を握ったとき何をするのか、よき、正しき権力者であるためにはどうしたらよいのか、についての知恵が欠けていた。既存の政治を「正義に名を借りた暴力」と告発することに忙しかったため、ではそのような欺瞞ではない真の正義、まともな政治とはどのようなものなのか、について真面目に考えたことがなかったのである。その結果が思想と言論の自由がなく、当然に政治活動の自由もない社会、「正義」を語る必要さえ感じない強権のまかり通る社会、いわゆる「スターリニズム」となった。
 更に悪いことには、このように「堕落」したのは権力の座についたマルクス主義者だけではなかった。このようなマルクス主義の体制化の下では、良心的な(かつヒラの)マルクス主義者には二つの敵が登場してくる。つまり資本主義体制とマルクス主義権力者、前門の狼と後門の虎だ。かくして「スターリン批判」以降に「新左翼」が登場してくるわけであるが、その新左翼でさえそこから自由ではなかった悲惨な「堕落」の運命があった。それは体制化したマルクス主義権力の悪を知りつつ、それを批判することによって利敵行為を犯してしまう――「敵の敵は味方」となって資本主義を利してしまう危険を避けるために、あえてその悪に対して口をつぐみ、批判を手控えてしまう――、という「堕落」である。自らへの嫌疑が冤罪であることを知りぬきつつ、ソビエトを守るためにあえて粛清に甘んじた忠実なボルシェヴィキたちの悲喜劇は、西側でもくりかえされた。そしてこの「堕落」は既存の正統派マルクス主義を拒絶したはずの新左翼にとっても、また他人事ではなかった。つまり正統派マルクス主義への批判は多くの場合、あたかも宗教改革のごとく、堕落した正統派とは異なる「真のマルクス主義」「もうひとつのマルクス主義」を求めるという形をとり、マルクス主義の総体を批判し、懐疑するところまではなかなか到達できなくなったことはもちろん、そうやってあらかじめ「マルクス主義」の範囲内にとどまることを選択したことによって、おそらくは資本主義批判の鋭ささえも鈍らせる結果となった。新左翼を始めとする西側のマルクス主義者たちは、せっかくの言論と思想の自由に自己規制をかけてしまった。
 そしてこれら新左翼における、特に日本の新左翼知識人に顕著な今ひとつの過ちが、思想研究、イデオロギー批判の作業への過度の傾斜だった。どうしてこのような現象が生じたのか、については厳密な歴史的検証が必要であり、ここではそれを行う余裕はない。ただ直観的に概略をいうと、まず第一に、新左翼の努力はマルクス主義の「宗教改革」に向けられたわけであり、そこにおいて旧左翼同様に、いやそれ以上にマルクス主義の「正典」の読み直しに努力が傾注されてしまった。もちろん旧左翼の批判はこうした「原点回帰」としてではなく、同時代の課題に正面突破で取り組むことによってもなされえただろうが、こちらの方が安易な選択であったことは否めない。新たな思想的枠組を打ち出すことは、「それのどこが左翼なのか、マルクス主義なのか?」という旧左翼からの批判に当然晒されるだろうが、マルクスの草稿などの「正典」の読み直しの作業は、そのような因縁に対して「これもマルクス主義である」と反論して異端審問を免れることがたやすい。その意味で、左翼の革新のための努力が古いテキストの読み直し、といういかにも迂遠な作業に向けられた事情は理解できなくはないが、しかしそれは禍根を残した。すなわちそうした作業は、旧左翼のそれにとって代わる、新たな現代資本主義批判の理論の構築に向けられるべきエネルギーを奪ってしまうことになる。(「赤狩り」などで国内のマルクス主義がいったん壊滅したアメリカにおいて、新左翼知識人の中から現代経済学の分析枠組を駆使して、現代経済の実証分析に正面から取り組む論客――後の分析的マルクス主義者や、あるいはラディカル経済学者たち――が登場してきたことは、偶然ではないだろう。彼らには対決すべき旧左翼の正統派マルクス主義者のプレッシャーが存在しなかった。もちろんある意味ではそれ以上に強力な、反共ヒステリーの壁があったが。)
 そして第二に、まさに「イデオロギー」というマルクス主義的な問題意識がある。先にも少し示唆したが、マルクス主義は科学の中立性、ことに社会科学の中立性を認めない。「存在は意識を規定する」、つまり人間の精神はその物質的な生活に規定される。知的な営みとしての科学も、その科学もその例にもれない。だからマルクスは古典派経済学を「ブルジョワイデオロギー」として、つまりその背景にある市場経済、資本主義を無意識のうちに弁護する歪んだ知として批判した。もちろんマルクスは古典派経済学を全面否定せず、歪んだ部分を差し引いて、学ぶべきところを学ぼうと心がけた。しかしマルクスの大著『資本論』によって、ブルジョワ経済学への批判は基本的に完了し、あとは学ぶべきものはない、という傲慢な視野狭窄に後のマルクス主義者たちは陥った。
 この視野狭窄新左翼知識人たちもまた引き継いでしまった。それゆえに彼らがマルクスのテキストの読み直しから離れ、目の前の現実に向かう時にも、まず手をつけるべき課題として、資本主義の現実の実証分析そのものよりもまず、そのような現実をイデオロギー的に正当化している主流派の経済学、社会科学の理論へのイデオロギー批判に多くの精力を注ぐことになってしまったのである。もちろんそのような作業それ自体に意味がないわけではないが、学問においても、知的作業においても、当然のことながら資源は限られており、あちらを立てればこちらがたたず、のトレードオフは発生する。その結果、実証研究に向けられていたかもしれないエネルギーが、イデオロギー批判にとられてしまった、という考え方は十分に成り立つ。
 そしてそこに、60年代末あたりからポストモダン思想のインパクトが徐々に押し寄せてくる。ポストモダンの思想家たち、その多くは大陸ヨーロッパ(特にフランス)の哲学者、文学者たちであった。ポストモダニズムを一言で括ることは大変危険だが、とりあえずは「相対主義的な傾向をもった反近代主義、近代批判」とでもしておこう。彼らの中には左翼もいれば保守、右翼もいた(ドイツではポストモダニズムロマン主義的保守派と結びつく例も多かった)が、ブルジョワイデオロギーと旧左翼の正統マルクス主義という、二大イデオロギーの両面批判に苦しんでいた新左翼にあたえた影響は大きい。彼らの相対主義イデオロギー批判においてはなかなかに有用な武器となりうるからだ。
 他方ではポストモダニストの中の左翼的な部分もまた、新左翼から得るものはあったといえよう。マルクス主義的なイデオロギー論をポストモダン的に読み替えるならば、非常に興味深くまた奇妙な論法が可能となる。すなわち、旧タイプの正統派マルクス主義においては「存在が意識を規定する」わけであり、文化や知識は「意識」の側、つまり社会的な現実に規定される側であって、そう考えるならば文化の研究は実証的な社会科学よりも二次的、一段格が落ちる作業として位置付けられてしまうわけだが、イデオロギー論を新左翼風に使うと、そこにもうひとひねりが加わる。
 まず、どんな人間であれ、どんな学問であれ、「存在は意識を規定する」のであるから、その社会的な現実存在のおかげで歪みをこうむり、現実を正しく認識できない。しかしながらそれを「歪み」と呼んで批判できるためには、まず第一に、いかなる認識からも独立して客観的現実というものが存在せねばならず、そして第二に、その現実を正しく認識できるある特権的な立場が存在しなければならない。そしてその特権的な立場、真理の座がマルクス主義である――というのが、旧左翼の考え方である。しかしながらイデオロギー論の考え方をマルクス主義それ自体に適用すれば「マルクス主義が真理の座である」という断言には根拠がなく、マルクス主義もまた、それが根ざす社会的現実によって制約され、歪んだ形でしか世界を認識できない、という結論が容易に出てくる。しかしこの結論を受け入れてしまえば、マルクス主義者はいかにして己の正しさを信じればよいというのだ? ――
 さてこう考えると八方手詰まりであるが、この手詰まりにおいて相対主義としてのポストモダニズムは、新左翼マルクス主義に「それでよいのだ」と示唆したわけである。そして他方ポストモダニズムは、自分たちの文化研究の新たな存在意義をここに見つけ出す。すなわち「存在が意識を規定する」というが、その「存在」もまた「意識」によって見つけ出されざるを得ない。すなわち、古典的なマルクス主義は社会的現実が「文化」の基盤、「下部構造」である、としていたが、かつてはこのように「規定」される側の「上部構造」もまた、逆に「下部構造」であるとされた社会的現実を支え、作り上げているといえるのではないか、と。つまりある意味では「文化」もまた「下部構造」であり、それゆえその研究も決して、格が落ちる二義的な作業とはならない。つまり文化や思想の研究も、ストレートな政治や経済などの研究と同様に、あるいはそれ以上に根底的な意味で、政治闘争としての意味をもちうるのではないか――と。
 かくして新左翼ポストモダニズムの間に、ある種の連合が形成されるようになっていった。今日のグローバル資本主義批判のマルクス主義者たちは、このような歴史的経緯を背負っているのである。それゆえに彼らの作業は、過度に文化研究に偏っており、政治経済の実態分析が手薄なのである。
 ポストモダニズムの問題提起が完全にナンセンスというわけではない。マルクスの議論にはいくとおりかの読み方が可能であり、経済、生産力という「下部構造」に規定される「上部構造」についても、政治とか法とか学問芸術といった広い意味での「文化」「イデオロギー」とも、あるいは個人個人の、少なくとも自分では自由意志に基づいていると信じられているところの「自由」な行為のこととも読めてしまう。そのあたり、マルクスにはまだ曖昧なところがあった。そしてポストモダニストは(「意識」を規定する「無意識」の概念を唱えたフロイトにも学びつつ)「文化」「イデオロギー」もまた、特に人々の主観的には「自由」な行為を実は「無意識」のうちに拘束している「下部構造」でありうるのだ、と主張しているのである。この着眼自体は、有意義なものであろう。
 問題は「(経済ではなく)文化、イデオロギーこそが「下部構造」なのだ」という、かつての正統派マルクス主義のそれを裏返したに過ぎない教条主義に、ポストモダニストもまた陥ってはいないかどうか、である。このようなポストモダンの「文化相対主義」は、もともとは正統派マルクス主義の「経済決定論」、そして更にはより広く、近代的な科学的世界観――普遍的な自然法則が全てを決定するのであって、その力は人間の希望や意図を超えている、とする――全般に対する批判を意図していたものである。しかしながらたとえば、アメリカの哲学者ヒラリー・パトナムなどが指摘する(パトナム『理性・真理・歴史』法政大学出版局、他)とおり、実はこうした「文化相対主義」もまた「文化が全てを規定する」という決定論であり、その構造は「経済決定論」や「物理学中心主義」とまったく同様の科学主義なのではないか。
 そして「科学主義」とは実はまったく科学的ではない――自己の理論枠組みの絶対性を信じ、間違うということができない。どのような反例や異論であっても、口先の言い換えだけで自己の理論体系の内側に取り込んでしまう。わかりやすい例が「超能力」の検証である――厳密な実験で検証しようとすると「そうした検証が被験者の心理に影響を与えて、超能力を使えなくしてしまう」とのいいわけで検証を無効化する。これはやや極端な例と見えるかもしれないが「社会的な現象においては、研究する側とされる側との間に相互作用関係が起きるから、厳密な観察・実験はできない」という一見もっともらしいたぐいの議論の中にも、同様のロジックが入り込んでいる。それに対してこのような言い訳を許さず、論理や事実に即して正しいか間違っているかを検証できるような仮説を立てては捨て、立てては捨てをくり返すことこそが、科学的方法なのである。もちろん、たとえばニュートン力学のように、強力で包括的な理論がいったん作られたら、それに対する見かけの反例を、理論の基本枠組を壊さないようにして説明する努力もおこなわれはする。その中で一種の堕落としての科学主義=教条主義という病気も発生する。しかしそれを基本的には「病気」とみなし退けようと努力するところに、宗教や政治的イデオロギーと、科学的態度の違いがある。


 とはいえこの時代のマルクス主義の見直し(70年代以降欧米では「マルクスルネサンス」が起きたといわれる)は、ポストモダニズム一色ではなかったし、その中には教条主義=科学主義」を超えたまともな科学としてマルクス主義を再編しようと努力もあった。経済学においては今ひとつの潮流として、数理マルクス経済学の本格的な展開を見たのである。73年には日本出身の国際的数理経済学者(非マルクス主義者である)森嶋通夫の『マルクスの経済学』が刊行されて世界的な反響を生んだ他、先述したとおりラディカル・エコノミストや分析的マルクス主義者などによる、現代の主流派経済学の成果を踏まえてのマルクス経済学の刷新の試みが着実に行われるようになる。日本でも森嶋以前から数理マルクス経済学の作業を積み重ねてきた置塩信雄がおり、森嶋『マルクスの経済学』の翻訳者高須賀義博も、従来の日本の正統派マルクス経済学に飽き足らない若手の尊崇を集めていた。
 その高須賀は85年、まさに「没後100年」のブームの中でなされた講演などをまとめた『マルクス経済学の解体と再生』を出しているが、その中で高須賀は森嶋らのインパクトによる欧米のマルクス経済学ルネサンスを展望しつつ、日本のマルクス経済学の全貌に苦言を呈している、すなわち「純粋理論や思想史に過度の精力が注がれ、その分現代資本主義の実証分析が手薄となっている。何よりマルクス以降、大きな変化を遂げた現代資本主義を分析するにふさわしい、新しい理論構築の試みが少ない」と。さてそれより20年、高須賀も、そして森嶋も置塩も鬼籍に入った今日、高須賀の嘆きに対して今日のマルクス主義者はどのように応えられるだろうか? 
 おそらくもし高須賀が存命であれば、その嘆きはより深まったのではないか。実証研究の手薄さという弱点はあまり改善しないままである。では理論においてはどうかといえば、かつて高須賀が嘆いたような、ひたすらマルクスの『資本論』や未発表草稿の訓詁学にいそしむ、というタイプの「経済学」研究は少なくなった(とはいえソ連崩壊後、マルクス草稿研究の最大の資金源のひとつは日本である)が、それにとって代わったのは森嶋や高須賀の衣鉢を継ぐ研究ではない。ネグリ&ハートの大著に範をとる文化研究――「カルチュラル・スタディーズ」「ポストコロニアル・スタディーズ」「サバルタン・スタディーズ」などである。その流行現象はおそらく二重の意味で高須賀を嘆かせるであろう――まず第一に、それは『資本論訓詁学ではないにしても、相変わらずのテキストへの沈潜であり、そして第二に、ポストモダンマルクス主義はまたしても、ことに日本においては自立した思考の所産というよりは、明治以来の日本の宿痾というべき、輸入思想の流行現象に他ならないからである。