フーコーの使いみち

kallikles先生のヌスバウム超訳

私のように、現代のロースクルールでフーコーを教えてみればよい。 すると、すぐに、攪乱てのもがいろんな形をとりかたをすることがわかるだろう。 それらがすべてバトラーやその仲間たちにとって好ましいものというわけではない。 鋭いリバタリアンの学生は私にこう言った。「なぜ僕は、こういうアイディアを 税制や差別禁止法に反対したり、あるいは民兵になったりするのにするのに使っていけないのですか?」と。 彼ほど自由解放が好きではない人びとは、攪乱的なパフォーマンスを クラスでのフェミニスト的意見を茶化すのに使うかもしれない。あるいは、 レズビアン・ゲイ法学学生団体のポスターを剥ぎとるかもしれない。 これらのことは実際に起っている。こういうパフォーマンスは、パロディー的で 攪乱的だ。

http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20080229/p1
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 ヤク中でオカマで、ラリッたあげく誤って妻を射殺したバロウズは、ギャレットが報告している、現代のアメリカで公衆衛生当局を「セックス警察」と軽蔑し、コンドームなしのセックスにあえて興じる「ベアバッカー」なる一部のゲイたちのある意味先駆者です。しかしこのベアバッカーのイキがり(それはある意味フーコー的な権力への抵抗であるのかもしれませんが)は馬鹿げてはいないでしょうか? そしてバロウズの「自由」もそういうただの愚行ではなかったでしょうか? それは(高価な薬を利用できるがゆえにエイズを恐れなくなったベアバッカーと同じく)所詮は金持ちのお坊ちゃんゆえに可能だった愚行であり、しかもそのイキがりでさえ、実はただのだらしない成り行きまかせを、あとから「理由なき反抗」として劇的に潤色したに過ぎないのではないでしょうか? 

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060910/p1