マイクル・ムアコック『軍犬と世界の痛み』(ハヤカワ文庫)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150116326/interactivedn-22
 山形先生ご推薦の『堕ちた天使』復刊。正直言って小説としてそれほどできのよいものではない(『グローリアーナ』のようなバカバカしい絢爛豪華さを期待すると肩透かしを食らうし、陰陰滅滅としたムードを楽しみたければエレコーゼとかの方がよいと思う(エルリックは未読。すまん)。
 しかし「現代ヒロイックファンタジーにとっての特権的主題としての(疑似)近世』について考えるにはいい材料といいますか、きっとムアコックのキャリアにおいての転換であるのみならず、現代ジャンル・ファンタジー史上の転換なのかもしれない(とファンタジー読みでない俺が言ってもどの程度説得力があるのかね)。


 中村融の指摘にもあるとおり、「神話」から「近代」へのムアコックの関心の移動、というのはあるのだと思う。もともとムアコックのヒーローたちというのは神話的世界に放り込まれて戸惑う近代人という性格が強いのだが、この『軍犬』はただ単に三十年戦争というまさに「近世」確立の節目を時代背景としているのみならず、神と悪魔の退位、人間の自立、理性の時代の到来、というまさに「世界の脱呪術化」がテーマであり、主人公の傭兵隊長フォン・ベックはどこかで傭兵デカルトとくつわを並べたり、はたまた引退後には哲学者デカルトパトロンのひとりとなっていたりしてもおかしくないキャラである。
(ちなみに傭兵についてはウィリアム・マクニール『戦争の世界史』やジェフリー・バーカー『長篠合戦の世界史』などはもちろんだが、
鈴木直志『ヨーロッパの傭兵』
(山川世界史リブレット)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634348004/interactivedn-22
がずばり近世、ことに三十年戦争期を対象としていて手軽で便利。)


 しかしこれは憶測だが、その後少なからぬジャンル・ファンタジーにおいては、ずぶずぶの神話的世界よりも、そこから近代への移行期、いわば「近世」的世界を舞台とするものが増えてきているのではないか。
 ファンタジー読みではない人間がファンタジー界の周辺であろう日本のまんがやライトノベルの動向だけから憶測するのはなんだけど、たとえば『ベルセルク』。現在物語は海へと舞台を移しつつあるが、新キャラである海洋国家の航海王子ロデリックの設定は、まさに「大航海時代」を想起させるものである。現在のところ航海の目的は「アルフハイム」「アヴァロン」を思わせる妖精境だが、既に「征服計画」という不吉な伏線も張られている。そのほかにも、魔女狩りや異端審問、あるいは傭兵の活躍自体、中世というより近世の特徴でもある。
 また近年のライトノベルでは、世評高い経済ファンタジー支倉凍砂狼と香辛料がはっきりと、神話的世界の終焉そのものを主題としている。
 更に何より注目すべきは栗本薫グイン・サーガである。そもそもタイトルロールの豹頭の怪人グイン自身が、知的で内省的なリアリストであり、当初はそれこそ「神話的世界の中の近代人」という感じであったが、中盤のヒーロー、アルド・ナリスこそはこの物語のメインテーマのひとつが「近代の出現」たることを体現していたはずであった。彼は少なくとも登場してからしばらくは、歴史の転換期――というより、「歴史」という観念そのものの成立――を自覚した確信的マキャベリスト、啓蒙的専制君主として振舞っていた(彼が許婚リンダを伴い、学問に燃え、未来を夢見る血気盛んな大学生たちのたまり場にお忍びで現れる一幕はとても美しい。学徒たちの中には、まさにそれまで知られていなかった近代的な意味での「歴史」の概念を手探りで作り出しつつある天才も登場していた)。(その後のことは知らない……何だかわけのわからんどろどろやおい化の進行とともに興味がうせた……。)