左翼・右翼・保守主義(承前)

 いっちーへの部分的回答も含んでいるとよいのだが。
 あと実定法学的に問題ありまくりでしょうからつっこんでください。


http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060712/p1
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060723/p1
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060804/p1
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061027/p1

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 ここまで議論を過度に抽象的に進めてきたので、このあたりで馬鹿正直に、文字通りの憲法学の議論を参照してみよう。
 日本国憲法を含めて、現代の先進諸国の大半は硬性憲法違憲立法審査制度を備えた立憲民主主義体制、すなわち、民主主義を憲法によって拘束するという体制をとっている。前者は簡略にいえば、議会による単純多数決では憲法が改正できない、という仕組みである。後者は、裁判所(通常の最高裁判所の場合と、特別の憲法裁判所の違いはあれ)が行政権に対してのみならず、議会による立法に対しても、憲法を根拠として司法的な統制を行うことができる、という制度である。
 このような立憲民主主義体制の正統性は、実のところそれほど自明ではない。なぜ制憲者という過去の死者たちの(たとえそれが民主的なものであれ)決定が、なぜ現在を生きる者たちの民主的な決定を拘束しうるのか? ここではこの問いについて、リベラリズムの立場からの解答を出している長谷部恭男の憲法理論を検討してみよう。


 戦後日本の憲法学における通説は、憲法は(現在を生きる者たちの)民主的決定を制約する原理として、人権(ならびにそれを補充するいくつかの制度)の保障を想定している、というものである。適切な手続きを経た民主的な決定といえども、憲法が前もって保障している、人間の基本的な権利を侵害することはできない、という理屈である。そしてこのような発想は、20世紀後半以降の多くの憲法体制に共通している。それが典型的に現れているのはドイツ(旧西ドイツ)のボン基本法であり、20世紀前半、当時世界で最も先進的といわれたワイマール憲法の制度が、ヒトラーナチスの台頭を防ぐことができなかったという教訓を受けてのものであるといえよう。
 しかし問題は、果たしてこの憲法が保障する「人権」とは何か、である。そもそも日本においても、かつての通説はこの憲法的な意味での「人権」を制約する原理として「公共の福祉」を想定していた(外在的制約説)。ここでこの「公共の福祉」の具体的な内容を、仮に「民主的決定によって選択された目標の実現」とでも解釈すれば、それは直ちに「民主的決定による人権の制約」の原理的な容認となってしまう。初期の憲法判例のいくつかは、このような理解を許すものとなっていたように思われる。
 それを避けるため「公共の福祉」と「民主的決定」とを切り離して別のものとしてみよう。そうすると今度は「公共の福祉」が「人権」とも「民主的決定」とも別個の独立した原理となり、かつ「人権」にも「民主的決定」にも制約を及ぼすことのできる力となる。この考え方については、とりあえずは判断を保留しておくこととしよう。
 これに対してのちには「内在的制約説」が通説となる。この説においてはそもそも「公共の福祉」と「人権」の別個性が否定され、時に対立しあう人権相互の衝突を調整する「実質的公平の原理」として「公共の福祉」を理解する。たくさんの人々の、多種多様な「人権」が、相互にうまく両立しているということそれ自体が「公共の福祉」の実現である、というわけである。


 これに対して近年注目を浴びている二つの理論構想がある。ひとつはリベラル派の法哲学者ロナルド・ドゥウォーキンの「「切り札」としての権利」論に想を得て、長谷部恭男が展開しているものである。(長谷部「国家権力の限界と人権」同『憲法の理性』東京大学出版会、所収、同『憲法新世社、他。)長谷部は憲法が保障する権利を、「公共の福祉」に貢献するがゆえに政策的に保障されている権利と、「公共の福祉」によっても覆しえない個人の人格的自律の権利、「切り札」としての権利(本来の意味での「人権」)とを区別する。これは戦後憲法学の通説の精神、ならびにドゥウォーキン、そしてジョン・ロールズ以来の、政治哲学におけるリベラルな正義論を継承する理論構想といえよう。そこでは「人権」は民主的意思決定によっても、また功利主義・厚生主義・帰結主義的な「公共の福祉」によっても覆されてはならない根底的な価値として位置づけられている。
 長谷部「切り札」論は「内在的制約説」とは異なり、「人権」と「公共の福祉」を同一の次元においては必ずしも考えず、重なり合うところはあるにせよ、とりあえず別個のものとして考えている。長谷部のテキストにおける「公共の福祉」についての論述を見る限り、リベラルな正義論と同様、合理的選択理論(ゲーム理論)と厚生経済学フレームワークを準用した議論がなされているので、(少なくとも方法論的には)個人主義、かつ広い意味での功利主義、厚生主義的な枠組みで「公共の福祉」は論じられている。端的に「社会全体の利益、つまり公共の福祉」(長谷部『憲法の理性』76頁、同『憲法(第3版)』119頁)なる記述さえある。つまり「公共の福祉」は人権相互の調整原理(にとどまるもの)とは理解されておらず、むしろ経済学的な社会的厚生関数によって測られるもの、つまり社会の厚生水準として理解されている(このような意味での社会的厚生それ自体が、人権相互の調整機能を果たす可能性はもちろんある。たとえば非常に単純に考えてみた場合、社会的な富の量が大きければ大きいほど、それだけ多くの人の権利が実現されるチャンスが増える可能性が高いだろう)。そして長谷部は国家の任務、国家権力の正当性根拠を、「人権」の保障のみならず、このような意味での「公共の福祉」の実現にも求めている。だから長谷部の考えでは、裁判所は「人権」のみならず、このような意味での「公共の福祉」をも根拠として、立法に対する審査を行うことができるのである。
 長谷部によれば、個人に対して憲法が保障する権利のうちのいくつかは、その行使を個人にゆだねることがこのような「公共の福祉」の実現に貢献するがゆえに、個人に対して保障されている「公共財としての権利」である。それゆえこうした権利は「公共の福祉」の観点から政策的な制約に服しうるものである。しかしこれは長谷部によれば本来的な意味での「人権」ではない。「公共の福祉」に貢献しようがしまいが、それどころかそれと敵対したとしても、個人の人格的な自律、アイデンティティの不可欠の構成契機をなすがゆえに、譲り渡すことのできない権利というものも存在し、それもまた憲法は保障しているのだ、と解釈するのである。
 また「「切り札」としての人権」は、公的領域と私的領域との区別に深くかかわる概念である。長谷部によれば近代社会は「比較不能な価値の迷路」(長谷部『比較不能な価値の迷路』東京大学出版会、同『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書)であり、それぞれに多様な価値を奉じる人々を共存させるという課題を負っている。人々が奉じるそれぞれの価値は、ある部分では重なり合っているだろうが、ある部分ではすれ違い、あるいは正面から衝突しあうこともあるだろう。リベラリズムという社会構想は、そうした「比較不能な価値の迷路」に平和な秩序を確保するために、公的領域と私的領域との画然とした区別を要求する。信奉者本人にとってはその生を意味づける究極的価値であろうが、少なからぬ他人には理解不能であったり、共有不可能であるような価値は、公的領域には持ち出されない、すなわち、すべての人々の間で共通の関心の主題として、公的討議の対象とはならない。そうした私的な価値は私的領域にとどめられ、私的にのみ検討され、追求される。(これはもちろん孤独に個人的にということではない。その価値を共有し理解できる人々の間での協働は容認される。)そのように私的な価値は公的領域から疎外されているともいえるが、その反面、公的領域と私的領域との区別によって、私的な価値は公共的決定と公共的権力による干渉から保護されてもいる。
 「切り札」としての人権は、たとえば生存権主張のように、公的領域で万人に共有される価値にかかわっても主張されうる。(もっとも長谷部自身は、社会権の法的権利性を積極的に認めることに対しては慎重である。長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』朝日新書、37-9頁。)公的権力の行使者が、ある個人の「生きる権利」を「公共の福祉」をたてに否定しようとしたとき、生存権主張はまさに「切り札」として働くだろうが、しかしその主張は容易に公的に理解され、共有されるだろう。しかしながら長谷部が念頭においているのはこのようなケースだけではない。たとえば芸術や娯楽、あるいは食生活や性生活における、まったく個人的な趣味嗜好について考えよう。もしも他人、善意の第三者にいわれのない迷惑をかけることがないのであれば、つまりすべてを私的領域の中で完結させることができるのであれば、人はどのような趣味嗜好を持っていてもかまわず、それを心ゆくまで追求してかまわない。人にはそのように生きる権利があり、そうした趣味嗜好に対する公的領域、公共権力からの介入を拒絶する権利がある。「切り札」論において念頭に置かれているのは、このようなケースでもある。


 このような長谷部のリベラルな立憲民主主義論に対して、やはり大きな注目を浴びている今ひとつの構想が、アメリカ合衆国憲法学者ジョン・ハート・イリィの議論(イリィ『民主主義と司法審査』成文堂)に想を得た、松井茂記の「プロセス的憲法」理論である(松井『日本国憲法有斐閣、他)。ここでは通説の人権観が「実体的人権観」、国家の存在に先立つ「自然権」として基本的人権が実在している、という神秘主義的な議論として退けられている。日本国憲法(その他多くの成文憲法)が保障する実定法上の権利としての「基本的人権」は、あくまでも国家、統治機構の存在と相即的なものであり、それに先行するものではない、とするのである。ここでポイントは「人権」、というより「憲法が保障する権利」は国家に先立つことはなく、国家なしに存在するものではない、ということだ。とは言えそれは大日本帝国憲法における「臣民の権利」のように、そしてその他過去の多くの欽定憲法におけるように、国家によって一方的に与えられるものではなく、あくまでも統治機構と表裏をなすものである。すなわち、それは当該憲法体制の統治のプロセスに参加する権利、つまり日本国憲法(そしてほとんどの先進国の憲法)においては、民主的政治プロセスに参加する権利、つまり具体的にひとが生きていく上で何をなしえ、何を享受しうるかについての実体的な権利(つまり民法その他の実体法が保障するような権利)ではなく、手続的な権利(訴訟法のような法的手続についての法が、法的手続において、その手続を利用するひとに保障する権利)なのである。
 松井の構想は、誤解を恐れずにいえば、反――とはいわないまでも非・立憲主義憲法理論、あるいは民主主義優位の立憲主義の構想である。戦後憲法学の通説、更に長谷部の人権論が、人権を民主主義政治に対する外在的、かつときに超越的な制約として設定するのに対して、松井はそのような意味での人権その他の外在的な実体による、民主的意思決定プロセスに対する制約の存在を認めない。松井が認める日本国憲法の「基本的人権」、つまり憲法が保障する権利はあくまでもこのプロセスに参加する権利とそれに付随する権利である。その他日常的に「人権」と呼ばれる権利の存在を彼は認めるが、それはあくまで私法上、普通の法律(議会制定法)上の権利であって、立法権に対抗して主張する(その侵害を違憲審査の対象とする)ことはできない、とする。
 では松井においては「人権」と「公共の福祉」との関係はどのように理解されているのか? 松井もまたかつての通説たる一元的内在的制約説を退け、「公共の福祉」を「人権」に対して外在的な原理として理解する。松井の記述に即すならば、「公共の福祉」と「公益」「公共の利益」とを区別した上で、「公共の福祉」を「人権と公共の利益との調整原理」(松井『日本国憲法(第2版)』344頁)と位置づけられているが、端的に「公共の福祉」と「公益」を等値しているように読めるところもある。しかしいずれにせよ「人権」に対して外在的に「公共の福祉」なるものが想定されていることは明らかである。
 問題は、この「公共の福祉」なるもの内実は何か、またそれを測る基準は何か、である。共和主義への親近感を隠さない松井においては、ほぼ「公益」=「公正な政治的プロセス(民主的決定過程)の下で採択され実現される政策に体現される政府の利益」と等値して問題ない。ここで「その公正なプロセスの結果採択された政策が本当に公共の利益に貢献するのか?」という疑問は、暫定的には(政策が所期の目的をなかなか達成できない場合等)ともかく、究極的には成り立ち得ない。ここでは定義上「政策目的イコール公共の利益」になってしまっているのだ。そこには決定プロセスの適切さを測る外在的・客観的基準(憲法そのもの)はあっても、その成果を測る外在的・客観的基準はない。
「市民は自ら公益と考える利益を実現するため政治に参加する。しかしそれぞれが主張する公益が本当の公益かどうかを決める客観的な基準は存在しない。」(松井『日本国憲法(第2版)』39頁)


 さて90年代半ば以降、松井の「プロセス」理論の提唱を受けて、プリュラリズム(多元主義)ないし共和主義を標榜する松井と、リベラリズムを標榜する長谷部との間で、「プロセス的憲法」や「切り札」といったそれぞれのキー概念をめぐって活発な論争が展開されたのであるが、そこでの根本的な争点について考えてみたい。
 松井理論は憲法学の歴史上それなりに由緒正しい、民主主義中心の(反、ではないにせよ非立憲主義的な)憲法理論の最新バージョンである。(アメリカにおけるその展開についての整理として、阪口正二郎『立憲主義と民主主義』日本評論社、が有用である。)戦後日本の憲法学においては、この潮流を代表したのは杉原泰雄の国民主権理論であろう。その杉原と国民主権概念の理解をめぐって論争したのが長谷部の師であり、戦後日本憲法学における「立憲主義」中興の祖である樋口陽一である。とはいえ松井−長谷部論争は杉原−樋口論争の再演では決してない。
 フランス憲法思想史において、君主主権を放棄した近代国家における主権概念の解釈をめぐり、nation主権とpeuple主権という二つの理解が分岐してきた。前者は主権者を抽象的な集合体としてのnation(有権者以外も含み、更に過去の死者やこれから生まれてくる者たちも含む?)と解釈し、それは国家機関によって代表されることなくしては主権を行使し得ない、と考えた。これに対して後者の解釈によれば、主権者は実在する選挙民の具体的な集合体たるpeupleであり、その委任を受けて国家の機関は行動する。杉原は日本国憲法における国民主権を、このpeuple主権として理解した。これに対して樋口は、nation主権論をそのままではとらず、とりあえずはpeuple主権論をとったが、この主権者としてのpeupleがアクティブであるのは憲法制定権力として、制憲者として振舞うときだけで、いったん憲法体制が確立して以降は、その動きは凍結される、と考えた。
 この論争の構図と、松井−長谷部論争の構図との間には、微妙なねじれがある。ラディカルな民主主義者としては松井は杉原の系譜に連なるものである。しかし松井による立憲主義批判の主要論点である「憲法に先立つ実体としての「人権」の否定」を考えると、松井が杉原のように、国家の機構に先立って存在する人民を、主権者として認めるとは考えがたい。
 それでは長谷部が杉原的な実体主義の、力点を「主権」から「人権」にずらしての継承者であるかといえば、そう単純ではない。長谷部は権利に関する実在論者ではあろうが、「実在論」の意味が問題である。「具体的な実定法、実在の法律に何がどのように書かれていようがいまいが、実体としての「権利」なるものがそれを超越して存在している」という、古典的な(戯画化された?)自然権論を主張しているわけではない。詳細な議論が展開されているわけではないが、長谷部の権利・人権実在論は「AにはBへの権利がある」という命題に、真理値を客観的に割り振れる――本当かうそか、どちらかに決められる、という程度の考え方であろう。(現代の哲学では「実在論realism」という語をおおむねこのような意味で用いる。)
 「法命題のシステムとしての憲法、更にはそれを取り巻く全体としての法がきちんとはたらくためには、憲法上の権利に関する個々の命題に真理値が客観的に割り振られねばならない」という程度の主張ならば、おそらく松井も認めるだろう。ただし松井は、このような憲法上の権利(日本国憲法上の「基本的人権」)命題の範囲を、彼のいう「プロセス的権利」ならびにそれに付随する最小限の諸権利に、厳しく限定しようとする。政治参加の外での私生活上の権利は、たとえそれが日常語では「人権」と呼ばれるようなものであっても、憲法上の権利としてはカウントされない。それらは通常の法律によって保障されあるいは規制されるのであり、立法権に、つまりは政治的プロセスに依存して可変的であるから、真理値を客観的に割り振ることができない。それに対して長谷部の場合は、憲法解釈上有意味な権利命題の範囲が、松井の場合より著しく広いと想定されていると思われる。長谷部が「自然権」に関する形而上学的な意味での実在論者ではないことは、自然権の不自然性、人為性をしばしば強調することから明らかである。しかしながら、「比較不能な価値の迷路」たる近代社会を秩序付ける近代憲法を有効たらしめるには、「自然権というフィクション」が必要不可欠である、と長谷部は考えているのである。その場合「自然権」は私生活上の権利をも含む、というよりもそちらの方が本丸であることになる。
 以上のように見てくると、松井も長谷部も権利という実体についての形而上学的な意味での実在論をとってはいない、という点では共通の足場に立っている。更にいえば、民主的な政治プロセスを「プリュラリズム(多元主義)」とし、ポストモダン状況に適合的なものとさえ理解する松井もまた、長谷部同様、近代社会を「比較不能な価値の迷路」と考えていることにはなるまいか。


 だとすれば両者の重要な分岐点は、ひとつには、公私区分の意義についての理解にある、と思われる。松井における、民主的政治プロセスへの参加の権利ならびにそれを支える権利と、それ以外の権利との区別は、長谷部における「切り札」としての権利と、公共財としての権利との区別には、そのままではもちろん対応しない。松井の場合「プロセス的権利」と「非プロセス的権利」とは日本国憲法の条文に対応する形でわりあいきれいに分かれるが、長谷部の場合にはそのような明快な対応がなく、条文上同じ権利が二つの側面を持つ可能性が多く指摘されている。しかし非常に大まかな傾向としては、長谷部のいう「「切り札」としての人権」にあたるものの多くは、松井の構図の中では「非プロセス権利」の中に落とし込まれるようになっている。「切り札」としての権利は、人格的自律の根幹をなす、私的領域の保持にかかわっているからである。
 より細かく見てみよう。長谷部の教科書での権利の分類は、大体のところオーソドックスで「平等」「包括的基本権(条文に直接かかれてはいないが「人権」と認められたもの、例えばプライバシー権等)」「平等権」「自由権」「社会権」「参政権」「国務請求権」となっている。重要なのは「自由権」「社会権」「参政権」の括りである。この括り方において松井との違いが際立つ。
 松井の場合は「平等権」「政治参加権」「政治参加のプロセスに不可欠な諸権利」「政府のプロセスにかかわる諸権利」「非プロセス的権利」となっている。「平等」「平等権」を真っ先に論じる点で両者は一致している。しかしその後がややこしい。
 「参政権」と「政治参加権」は言うまでもなくほぼ同義だ。長谷部の言う「国務請求権」は松井の「政府のプロセスにかかわる諸権利」にほぼ対応する。
 長谷部の「社会権」と「自由権」のうちの「経済的自由」は、おおむね松井の「非プロセス的権利」に対応する。これに対して「精神的自由」は松井においては「政治参加のプロセスに不可欠な諸権利」として括られる。ただし「経済的自由」のうちの「居住・移転の自由」「職業選択の自由」もまた、このようなプロセス的権利としての側面を持つ、と論じられる。「包括的基本権」もまた「政治参加のプロセスに不可欠な諸権利」と「非プロセス的権利」の双方に割り当てられる。
 さて今度は長谷部のいう「「切り札」としての権利」と「公共財としての権利」という図式にのっとって考えてみよう。こちらの区分の方は松井の「プロセス的―非プロセス的」図式とは違い、憲法典の条文にうまく対応しないが、大体以下のように言える。いわゆる「自由権」「社会権」、また「包括的基本権」はいずれもこの両側面を持つが、「参政権」「国務請求権」は基本的に「切り札」的性格を持たない。人は公共生活、より正確に言えば政治参加をしなくとも有為な人生を送ることができる(もちろん、それを生きがいとするような個人の存在は否定しない)。
 いまひとつ松井と長谷部の間で際立つ違いは、「精神的自由」の扱いである。松井はまずもってそれを参政権インフラストラクチャーとして(つまり長谷部のいう「公共財としての権利」の側面をこそ)扱うのに対して、長谷部は「「切り札」としての権利」の側面を重視するのである。
 もうひとつ指摘するならば、長谷部のいう「公共財としての権利」は松井の「プロセス的権利」より広い外延を持つ。すなわち、長谷部の「公共財」の中には政府機構や学術研究、マスメディアだけではなく、市場メカニズムも数えられている。「経済的自由」もまた、憲法的に保障されるに足る「公共財としての権利」としての側面を持つのである。しかし「経済的自由」は松井の場合には、ただ単に「非プロセス的権利」として立法権・行政権の裁量下に置かれている。
 以上踏まえれば、松井にとって「非プロセス的権利」はいわば日本国憲法憲法典における不純物であり、本来ならば民主的決定に――立法権と行政権の裁量に委ねられるべき領域である。それに対して長谷部の場合には、まさにそここそが憲法秩序にとっての根幹にかかわる。暫定的に粗雑な言い方をすれば、松井の議論の構図においては、"Personal is political."テーゼが生きている。公私の線引きという作業自体は「公」と「私」のどちらに属するかといえば「公」のほうに属する。端的にいえば、それは公共的意思決定の課題なのである。それに対して長谷部にとってはそうではない。もちろん公私の線引きが私人の側から好き勝手に引きうるというわけではない。またその線引きの具体的な内容が、しばしば恣意的でありうることも否定されない。ただ長谷部によれば、どこに線を引くかはしばしば恣意的であっても、どこかに線を引かなければならないということは必然である。公私の線引き自体は、「私」には属さないことはもちろん、それによってその責任範囲を区切られる限りでの「公」にも属さない、と考えることが自然である。かくして長谷部においては、公私の区分、そして私的な領域は「切り札」としての価値を付与されるのである。このようにして私的領域は公共社会からの介入から保護される。しかしこれは裏を返せば公的領域は、そこに私的な価値が入り込み、価値の比較不能性にさらされて、公共的決定がうまくできなくなる危険から保護されているということをも意味する。
 また以下のように言うこともできる。松井における「公」とは政府のプロセスのことであるのに対して、長谷部において「公共の福祉」は政府の独占物ではない。マスメディアや学界は政府(立法権、行政権)によってではなく、憲法司法権)によって「公共の福祉」への貢献を授権されている。私有財産制度、市場経済機構については微妙であるが、そのような解釈の余地は残されている。これをやや乱暴に、今はやりの言い方でパラフレーズすると、長谷部の構図においては政府のみならず「市民社会」「市民的公共圏」もまた「公共の福祉」へと貢献すべく期待され、憲法によってその地位を保障されているのである。
 この観点からすれば公私の区分についても、新たな捉え方が可能となる。たとえ公私の線引きという作業自体が私的なものではなく、公的な営為であるとしても、それが国家によって、統治機構によって独占される必要はなく、市民社会においてなされてもよい、ということだ。


 ここで想定されている世界像についていま少し詳しく説明する。公共的な価値の定立と、その実現がどのようになされるか、について考えてみよう。松井のプロセス的憲法の共和主義構想においては、公共的価値の定立はまさに立法権、議会制、民主的決定の任務であり、その実現は立法権の委嘱を受け、行政権が主役となって行うことになる。議会外の「市民的公共圏」における世論は、あくまでもそれが議会内討論に反映される限りにおいて、公共的価値の定立に貢献する。これに対して長谷部の構想では、公共的価値の定立は立法権、議会の専権事項ではないのはもちろん、議会はその主役でさえない。むしろ学界、マスメディア、あるいは市場といった「市民社会」こそがその主役である。このような世界における公共的価値の定立と承認は、議会のような、ある種の正統性を独占した機構において、討議の結果、多数決その他の民主的な採決によって承認されるだけではない。私的な価値は比較不能であるから、個人や同好の士のコミュニティなどのローカルなレベルでのみ追求されているのは当然だが、公共的な価値の追求でさえ、その大半はローカルに、もっぱら一部の専門家たちのコミュニティによって支えられている。そしてその営為に対する、コミュニティ外のより広い公共社会からの承認は、通常は丸投げの「黙認」という形でなされる。(学界のことを念頭に置けば分かりやすいだろう。)このようなローカルなコミュニティの自律性については、従来日本の憲法学では「部分社会論」(佐藤幸治)という枠組みで議論されてきたが、その自律性の意義は「部分社会」内部への効果においてのみならず、外部への効果においても評価されるべきである。
 もちろんこのような「部分社会」にはセクショナリズムの危険がつきものである。というより、その主たる存在理由はまさにセクショナルな、団体に特殊な私的利害の追求にこそある、といってもよい。しかしそうした固有の私的価値の追求が、その存在理由と機能のすべてというわけではない。そうした「部分社会」が政府のプロセスにおいて「利益集団」として振舞う際には、公的価値の追求を標榜しつつ、実はセクショナルな私的利害を追求している危険に我々は敏感であるべきなのだろうが、逆に市民社会で日常的に私的利害を追求することを通じて、意図せずして公的な貢献をなしている場合もありうる。(そもそも市場経済という仕組みが、個人であれ集団であれ私的な主体の自己利益の追求を公益への貢献へと変換せしめる仕掛けではなかったか。)
 無論このような多元的な社会の中でも、「憲法の番人」たる司法権は言うに及ばず、狭い意味での公共部門、政府の統治機構たる立法権と行政権もまた、特別な地位を占める。すなわち、その決定を市民社会全体に、同意なしに強制できる。市民社会の側の明示的な承認はおろか、黙認さえも必要とせず、一方的に拘束力を及ぼすことができるのだ。しかしながら立法権と行政権の特権はそこまでである。その決定ならびにそこに体化された価値(例えば、松井が重視する民主的決定における手続的公正、更に広くは法と秩序の確保ならば、「最小国家」を含めたほぼすべての統治機構が目指す価値であろう)は確かに公共的価値ではあろうが、たかだがそのひとつでしかないし、最も優位にある価値とも限らない。(せいぜいその最低限の確保が高い緊急性を帯び、それゆえ日常的には優先度が高い、という程度のことであろう。)
 先述のとおり、市民社会の中でローカルに追求されている公共的価値は、その多くは積極的・自覚的にというより、黙示的・無自覚的に承認を受けているというべきである。立法権の座たる代表制議会は、例外的に積極的・自覚的な承認を必要とすると思われる公共的価値をめぐる討議(そしてまた、普段はそのように扱われてはいない公共的価値が、例外的に明示的・自覚的な検討に付され、事前的な承認を得ることが必要である、と思われる場合に、そのための討議)を行う場として機能する。
 そうであればこそ立法権と行政権は、市民社会からの掣肘を受ける。まず何より、立法権と行政権の強制的拘束力は有無を言わせぬもので(国家の主権の及ぶ領土の外に出ない限り)回避不能であるため、逆にその拘束を受けるすべての人に、仮にその費用を負担できないとしても(不法な脱税でない限り、納税していなくとも)、政治プロセスへの参加権が発生する。しかしながら当面の構想においては、「プロセス的憲法」理論の説くところとは異なり、市民社会立法権・行政権との間をつなぐチャンネルは、それだけではない。適切な手続のもとになされた討議の結果、にもかかわらず公共の利益に反する決定が議会によってなされ、その結果が公共の利益に反する立法とその執行に帰結しようとしている場合、当該問題についての専門家たちは、この民主的プロセス以外のチャンネルをも、異議申し立てに利用することができる。それが司法権の主宰する裁判というチャンネルである。


 以上は長谷部の議論そのままではないが、その基本的な骨格は維持したままパラフレーズを試みたものである。ただしこの構想を、司法積極主義の正当化論として理解するべきではない。まず何よりこれを日本国憲法の解釈運用論としてみたときには、判例や学説の現状に照らして受け入れがたい議論もいくつか含まれているであろう。
 たとえば、正当なプロセスを踏んでなされた民主的決定による立法・行政裁量を司法権が統制する際に、憲法に明文化された権利であればまだしも、抽象的な「公益」「公共の福祉」という論拠がどこまで有効でありうるのかについては、議論の余地が大きい。長谷部自身は日本の最高裁の、経済的自由の制約立法に対する違憲判断を評して「これらの事件で、財産権職業選択の自由などの憲法の各条項は、実際には、公共の福祉を維持するための根拠として用いられていることになる。(中略)裁判所は、これらの「人権条項」を国家権力の境界線として用いており、その境界を守ることが公共の福祉の実現につながるとの判断を有していると見ることができる」(長谷部『憲法の理性』76頁、同『憲法(第3版)』119頁)、と論じているが、仮に手段的に引き合いに出されたに過ぎないのだとしても、これら「人権条項」なしにこのような判断を裁判所が下しえたかどうか、疑問なしとはしえない。
 何より重要なことには、司法権の機能は直接的には法的紛争の解決にあり、憲法に体現された公共的価値(その中心に「人権」「公共の福祉」があるにせよ、「公共の福祉」の方が「人権」に比べてその具体的内容においてはるかに不分明である)の実現も、あくまでも紛争解決を通じてのみなされなければならない(とりわけ、日本のように憲法裁判所制度を採用していない憲法体制においては)。となれば、紛争解決としての裁判の公正を期すためには、司法権者としての裁判所自身が積極的に自己の「公共の福祉」解釈を打ち出すのではなく、まずもって紛争当事者たちが主張する「公共の福祉」理解を比較考量し、擦り合わせることによって、憲法判断はなされねばならない。
 そもそも長谷部のリベラリズムは、公私の区分を明確にすることによって、個人の自律を守ると同時に、民主政治の公共的決定機能に対する、過重な負担を軽減することを目指すものである。となればその負担がそっくりそのまま司法プロセスに転嫁されてしまっては、問題の解決にはならない。松井の共和主義が民主政治万能論に傾きかねない危険があったとして、それに単純に司法積極主義を対置するならば、今度は司法万能論になってしまう。
 しかしもちろん、長谷部の構想はそのようなものではない。まずは私的な価値の領域を広く取り、公共的決定という作業の負担を減らすだけではない。公共的決定の負担それ自体もまた、政府のみならず市民社会・市民的公共圏内に広汎に分散させること、また公共的価値の公共的な承認も、その多くを政府のプロセスにおける明示的・自覚的なものにではなく、市民社会・市民的公共圏の諸主体の間に広く分散され、黙示的・無自覚的・事後的になされるようなものにしておくことこそが、そのアイディアの核心である。司法は立法、行政と同様、その一端を担うに過ぎない。長谷部の考える立憲民主主義は、リベラル・デモクラシーとイコールではなく、その一部分をなすに過ぎないのだ。


 さてこのようなリベラル・デモクラシー体制の下で、左翼に出番はあるだろうか? またあるとすれば、どのような? 
 かつての古典的な左翼は、それこそ杉原泰雄がそうであったわけだが、どちらかというと反ないし非・立憲主義的な立場をとっていたわけであり、それは今日のいわゆるラディカル民主主義論者たちにも、またハーバーマスの影響を受けた熟議民主主義deliberative democracy論者たちにも受け継がれている。ただし今日の左翼の多くは、ポストモダン状況下における人民の同質性、合意の可能性についてかつてに比べてそれほど楽観的ではない。それゆえ松井の共和主義とも相通じる、和解不能な敵対性をはらみつつ、なおその敵対性を暴力へと転化させない仕掛けとしての民主主義を肯定する、闘技的agonal民主主義論を提唱する者(シャンタル・ムフ他。ハート&ネグリマルチチュード論もここに入れてよいかもしれない)もいる。彼らはいずれも、自己の内在的制約以外には服さない民主主義が、社会全体を覆いつくすことは原理的には可能であり、またそれはどちらかというと望ましい、と考えている。
 このような広い意味でのラディカル・デモクラシー構想は、残念ながらここで論じたようなタイプのリベラリズムとは根本的なところで相容れない。ここに述べたような意味でのラディカル・デモクラシーは、突き詰めるならば(我々の理解する)長谷部的なリベラルな社会の憲法秩序を否定せざるを得ない。何となれば、ラディカル・デモクラットたちは、たとえ非暴力路線をとろうと、語の正しい意味で「革命的左翼」なのである。とはいえ、「相容れない」とは言っても、物理的に排除されるわけではもちろんない。ここでのリベラリズムの立場からすれば、ラディカル・デモクラットたちに対して言えるのは「私的な趣味、純然たる学術上の関心から、大いに論じてくれ、仲間内だけのことなら、実行してもかまわん――ただし公的に――無関係な他人を否応なく巻き込む形で――実行しようとするな」であろう。ラディカル・デモクラシーは私的領域と後はせいぜい学界、言論界に封じ込められるのだ。


 なおここで付言しておくならば、共和主義論やラディカル・デモクラシー論の先駆者と位置づけられることが多く、その観点から長谷部により辛い点をつけられているハンナ・アレントが、公私の区分に対して真剣にコミットしていることは、きわめて興味深い。アレントが革命を社会経済体制の変革としてではなく(この問題は彼女によって明確に論じられてはいないが、「社会問題」についての彼女の見解等から忖度するに、おそらく意図的な営為としてのそれは不可能である、と考えていたのではあるまいか)、法秩序、なかんずく憲法体制の変革として理解する立場を明確に打ち出した論者であることは言うまでもない(アレント『革命について』ちくま学芸文庫、他)。
 マルクス主義の革命論を典型とする前者の理解と、後者の理解の違いの内実を具体的に検討していく作業はそれ自体なかなかの難業だが、おそらくアレントは概ね以下のように考えている。すなわち、法秩序の変革は公共性の作り変えを意味しはするが、公共性自体の改廃、たとえば公私区分の廃絶自体までを意味しない。社会経済体制の変革は、少なくともマルクス主義の歴史理論においては、当然に公私の区別自体の廃絶(たとえば、共産主義の究極の未来)をも含みこんだものとして理解されうる。本来あるべき革命はあくまでも憲法体制の変革、つまり公共性の再編にとどまるべきであり、社会経済体制の変革、とりわけ、公共性そのものの廃棄にほかならぬ、公私の区分の廃絶にまでは踏み込むべきではない。


 あえて言えば近時の民主主義論の諸潮流の中で、ここで想定するような長谷部的リベラリズムと親和的であるのは結社民主主義associative democracy論(ポール・ハースト他)であろうが、これは当の論者たちも自認するとおり、オーソドックスなリベラル・デモクラシー、そして代議制民主主義の補完を目指すものであって、そのオルタナティブ構想ではない。そもそもこの立場自体「利益集団政治の節度ある善用」以上のものではない。
 このように考えるならば、リベラルな立憲主義体制の下で左翼は市民社会内のサブコミュニティ、「部分社会」としてとりあえずは生き延びていくことを許されるだろう。すなわち、公私の区分を根幹とする秩序の中で、左翼的な問題提起は私的な趣味の領域、そして特殊な公共圏としての「論壇」や「学界」を主たる場とするように促される。これを超えて、実践的に政府のプロセスにコミットしようとするならば、本当は私的所有を廃絶したいラディカル・デモクラットといえども、とりあえずはリベラルな立憲民主主義のルールにのっとらざるを得ない――つまりはたかだか結社民主主義者にしかなりえない、ということだ。
 だからリベラルな立憲的秩序は、左翼を排除する秩序ではないが、左翼を飼いならす――監禁する秩序である、といってもよい。先に私は「左翼リバタリアニズム」について述べた。そこで想定されていたのは、左翼による異議申し立てに対して、弾圧ではなく、追放という名の救済を与えて折り合いをつける秩序である。それに対してこのリベラリズムは、左翼に国内亡命を強いる「抑圧的寛容」の秩序である。


 更にここで考えておくべきことは、現代の先進国、豊かな社会における左翼は、ただ単にこうした「抑圧的寛容」によって国内亡命を強いられているだけではなく、既成事実としてこのような適応戦略を採用してしまってもいるのではないか、ということである。