入門教科書

午後に新宿まで出張っていって、中村屋の地下で昨日「最低」呼ばわりしたばかりの「せいぜい300頁くらいのペーパーバックの教科書を10人位がよってたかって分担して書く」という社会学入門教科書企画の編者さんと担当(社長)さんに会う。で、昨日ここに書いたとおりの持論をひとくさりぶちまけて「こんな企画意味ないすよこれじゃあの岩波講座の圧縮版っすよそんなクソ出すくらいならいっそこの面子(北田とか立岩とか加藤とか馬場とかまああとはご想像にお任せします)でひとり1冊書き下ろしの講座たてりゃいいんすよそれだったら落ちこぼれが出ても問題ないっすよ」と提案したあとでいろいろ相談して一応依頼のものは書けそうなので「企画自体には反対ですがお金もいただけるようですので書けというなら書きます」とお答えした。
汚い大人と呼んでくれ。


わしの担当はずばり「貨幣 なぜ社会学部・社会学科・社会学専攻には金融の授業がないのか」である。企画自体のコンセプトは「構築主義以後」、つまり「構築主義とかゆわれてもうれしくも何ともなくむしろ退屈とかダサいとかうざいとかさぶいという時代になってしまった今、社会学はどうする」というものであるが、ぶっちゃけて言えばあれだ、社会学に何ができないか」という教科書だな。
もともと社会学というのは「何でもやります、何でもできます」というのが売りだった。構築主義というのもそういう肥大化した自意識の産物といえば言える。そろそろそういう夜郎自大を真剣に反省して、謙虚にならないかんということですか。
まあ『反社会学講座』も売れてることだし、社会学者はもともと自虐な人々なので、ええんとちゃいますか。