論点

政治poliltics・統治government・行政administration(承前)

イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論は経済理論としてみたときにはもはや到底真面目に相手にするに足るものではないが、政治理論ないし法理論の土俵にパラフレーズしてみるならばまだ救いがいがないでもない。ウォーラーステインは世界システ…

政治poliltics・統治government・行政administration

もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。 今日の日本語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的…

「メモ」「人間力」「職業能力」「学校教育」

hamachan先生や金子良事氏や労務屋さんがあれこれ言っているのを脇に見ながら。 本田由紀は公教育の政治的側面、人格陶冶の機能を強調するある種の主流派左翼教育学を批判し、公教育における職業教育の復権を高唱するが、傍目から見れば「さすがに教育学者さ…

「教育」と「学習」の非対称性・非対応性

「教育」と「学習」とは必然的には結びついていない。人間は(そして多くの高等動物も)学習することなしにはおそらく生きてはいけないが、「教育」を受けることなく生きていくことはできる。 「教育」はせいぜい「学習」のための条件を整えること以上のものではな…

今更ながらアダム・スミスに学ぶ

というか『国富論』における学校教育にかかわる議論を整理する。 ・スミスは厳密に言えば人的資本論者ではない。彼によれば無給の徒弟制の人的投資効果は見かけだけのものであり、技能習得は基本的にはlearning by doingがもっとも効果的と考えている。learn…

 「無能な者たち」をめぐって

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e7c7.html 「無能」にまつわる小玉重夫の議論は言うまでもなく田崎英明『無能な者たちの共同体』を踏まえたものであるが、田崎の語り口は小玉のそれに比べるともう一段ガードが堅い。 小玉の語り口…

入試問題をめぐって徒然に

インサイダーなので(入試関連業務の管理レベルのところで本格的な仕事をした経験はないが大学教員である以上末端レベルの仕事なら毎年やっているので)具体的な話をするのには差しさわりがあるのだが、大学入試というのはなかなかに頭の痛い事業であること…

「労使関係論」とは何だったのか(18)

(承前) ここで「知識」と「教養」の区別について一言しておきたい。知識というのはたとえば昨今の認識論では「正当化された真なる信念」などと定義されたりもする。つまりただ単に「真」であるだけではなく、「真」である理由がなければならない。この正当…

「分類思考」の呪縛からは逃れられません

三中先生の新著を読んでつらつら考えた。 存在論的に見れば「種の論理」「分類思考」は錯誤であるとしても、認識論的に見ればそれは人間にとって不可避である、ということ。 それはたとえば、人間にとって「種」という枠組によって認識したいことは、「個と…

「労使関係論」とは何だったのか(17)

(承前) 更にはもちろん、この時期にはいまだ新古典派経済学が未成熟で、ようやく市場経済の一般均衡理論が完成を迎えつつある時代であり、制度や組織、慣行を正面から扱う理論がまだ登場していなかったことも重要である。労働、農業、財政金融といった領域…

「労使関係論」とは何だったのか(16)

しかし注意すべきは、講座派、労農派いずれの立場も、日本資本主義を複合的な構造をもった――複数のサブシステムからなる――単一のシステムとみなしたうえで、それらサブシステムのうちのどれか一つでもって、システム全体を「代表」させようとしているところ…

「労使関係論」とは何だったのか(15)

先のレオンチェフ的モデルにせよ新古典派的モデルにせよ、あまりにも玩具的なモデルであり、先の議論もそれらを労働経済の実証のツールとしてよりはむしろ政策提言のための基準を与えるベンチマークとして用いた。もちろんいやしくも「資本主義」における労…

「労使関係論」とは何だったのか(14)

戦前の大河内社会政策論から戦後の隅谷賃労働論、氏原労働市場論にいたるまで共通していた認識は、資本主義経済下の自由な労働市場を今日風に言えば「市場の失敗」が避けがたいものとして捉える、というものだった。問題はそれが具体的に言えばどのような失…

「労使関係論」は何だったのか?(13)

1990年代には、特に不況に襲われることのなかった日本以外の諸国を含めて、労働経済、労使関係への関心に比して金融、財務への関心が相対的に高まり、企業レベルに焦点を合わせた議論においても、労使関係、人事労務管理よりもむしろインベスター・リレーシ…

Hさんへの手紙

昨晩はどうもありがとう。 いくつか言い忘れたことがあったので思いつく限りで補足します。こういう公開の場所に書いておけば、詳しい人が間違いを正してくれるかもしれないし。 昨晩も話したとおり、法律学者という存在はある意味経済学者以上に、閉じた世…

はだか祭りでしゃべれなかったこと

あれからいろいろ考えて「疎外論それ自体は必ずしも危険というわけではなく、否定する必要もない」という結論に達した。しかしこの結論にたどり着くためには、マルクス主義哲学の枠からは出る必要があるような気がする。 これは基本的には、クワインやデイヴ…

フランス調査旅行からお帰りになったばかりの小田中直樹先生から

御葉書をいただく。(まだお読みいただいていないそうですが。) 「入門書はひとりでかくべきものであり、それを実行したあんたは偉い!!」 ありがとうございます。小田中先生もライブ・経済学の歴史―“経済学の見取り図”をつくろう作者: 小田中直樹出版社/メ…

フーコーと三つのリベラリズム?

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090519/p2を承けて。 『生政治の誕生』でフーコーは、新自由主義を単なるスミス的な古典的自由主義の回帰ではない、と明言している。 アダム・スミス、マルクス、ソルジェニーツィン。自由放任、商業とスペクタクル…

ゾーニングあれこれ

ゾーニングというか規制というか。 法治国家においては「そういうことするやつが少数ながら出てきてしまうことは仕方ないし根絶するわけにも行かないから何とかコントロールしたい」というときに大雑把に言って二つのやり方があって。 ひとつは正面から「そ…

フーコーの二つのリベラリズムと憲法学

労使関係論サーベイをおっぽって読んでいたAghion & Howitt(500ページだけどAcemogluを見たあとでは短くてやさしく見える! ふしぎ!)を更におっぽって無謀にも石川健治=駒村圭吾=亘理格「論点講座 憲法の解釈」(『法学教室』連載)を延々自分でコピー…

某東京大学大学院生の意見

優秀な学生の確保のためというかなんというか、博士課程院生の授業料の実質免除という戦略に東大を含めたいくつかの大学が踏み切っているわけですが、今年度より私どもの職場に着任した某若手のおっしゃるところでは、この政策意外と院生たちのあいだには不…

「労使関係論」とは何だったのか(12)

時論的な文脈に引き付けて言うならば、おおむね80年代一杯までは氏原―小池的な日本労働市場・雇用慣行理解は広く共有され、政治的な意味での左右のスタンスを問わず事実認識として受容されていた。「福祉国家」に引き続く東京大学社会科学研究所(当時は山本…

「労使関係論」とは何だったのか(11)

氏原正治郎の「トレードからジョブへ」の対概念についてもう少し考えてみよう。トレード、あるいはクラフトと言い換えられるだろう、資本家的経営にとって外在的な職人的熟練に対して対とされるべきは一個一個のジョブではないだろう。氏原から小池和男にま…

「労使関係論」とは何だったのか(10)

身も蓋もなく言えば日本の労使関係論、ことに「東大学派」(ならびにその周辺の)労働問題研究の失敗とは、市原博も言うとおり、あまり深く考えることなく日本労使(労資)関係研究の究極のテーマを「日本資本主義分析」とし、そして日本資本主義の中軸ない…

「労使関係論」とは何だったのか(9)

おそらく中西洋は最も早い時期に、最もはっきりと宇野段階論を「蓄積様式論」としてではなく「政策論」として解釈することを提唱した一人である。のみならず宇野の三段階論――経済学を原理論、段階論、現状分析の三段階に分ける方法論についても、外野の気安…

「労使関係論」とは何だったのか(8)

氏原正治郎を中心とする「東大学派」とでも呼びうる労働問題研究者集団に実体があったのはおそらくは1960年代半ばまでであり、その最後の世代は1930年代生まれの研究者たちである。その次の世代的な集団はおおむね1950年前後生まれの「団塊の世代」およびそ…

「労使関係論」とは何だったのか(7)

財政学者の加藤栄一は、ニューディールやナチズムを念頭に置きつつ、当初は宇野派の段階論の枠組みを大きく踏み外すことなく、つまりは「段階論」そのものの改変を避ける形で「国家独占資本主義」論を展開しようとしていた。議論の大枠としては大内力の国家…

「労使関係論」とは何だったのか(6)

古い時代のマルクス経済学のフレームにのっとっていたから致し方のないところとは言え、独占段階照応説には技術決定論的な偏向があり、それがその歴史的射程を大きく制約し、早々に時代遅れにする原因の一つとなった。 そこでは産業革命、それによる自由主義…

「労使関係論」とは何だったのか(5)

技術決定論、あるいは技術変化を外生変数としてカッコにくくる立場から脱却し、「問題の切り分け」を行うためには、「技術選択・技術変化の政治経済学」とでも呼ぶべきものが必要となるが、それは60年代の日本においてはまだ望むべくもなかった。 マルクス主…

日本の労使関係論をめぐりコピペ

氏原熟練論の継承としての小池「知的熟練」論 戦後日本の労働調査の中心となったのは,大河内一男,隅谷三喜男,氏原正治郎を代表とするグループであった。内部にさまざまな見解の違いをはらみつつも,このグループは,敗戦直後からじつに精力的に実態調査を…