論点

「分類思考」の呪縛からは逃れられません

三中先生の新著を読んでつらつら考えた。 存在論的に見れば「種の論理」「分類思考」は錯誤であるとしても、認識論的に見ればそれは人間にとって不可避である、ということ。 それはたとえば、人間にとって「種」という枠組によって認識したいことは、「個と…

「労使関係論」とは何だったのか(17)

(承前) 更にはもちろん、この時期にはいまだ新古典派経済学が未成熟で、ようやく市場経済の一般均衡理論が完成を迎えつつある時代であり、制度や組織、慣行を正面から扱う理論がまだ登場していなかったことも重要である。労働、農業、財政金融といった領域…

「労使関係論」とは何だったのか(16)

しかし注意すべきは、講座派、労農派いずれの立場も、日本資本主義を複合的な構造をもった――複数のサブシステムからなる――単一のシステムとみなしたうえで、それらサブシステムのうちのどれか一つでもって、システム全体を「代表」させようとしているところ…

「労使関係論」とは何だったのか(15)

先のレオンチェフ的モデルにせよ新古典派的モデルにせよ、あまりにも玩具的なモデルであり、先の議論もそれらを労働経済の実証のツールとしてよりはむしろ政策提言のための基準を与えるベンチマークとして用いた。もちろんいやしくも「資本主義」における労…

「労使関係論」とは何だったのか(14)

戦前の大河内社会政策論から戦後の隅谷賃労働論、氏原労働市場論にいたるまで共通していた認識は、資本主義経済下の自由な労働市場を今日風に言えば「市場の失敗」が避けがたいものとして捉える、というものだった。問題はそれが具体的に言えばどのような失…

「労使関係論」は何だったのか?(13)

1990年代には、特に不況に襲われることのなかった日本以外の諸国を含めて、労働経済、労使関係への関心に比して金融、財務への関心が相対的に高まり、企業レベルに焦点を合わせた議論においても、労使関係、人事労務管理よりもむしろインベスター・リレーシ…

Hさんへの手紙

昨晩はどうもありがとう。 いくつか言い忘れたことがあったので思いつく限りで補足します。こういう公開の場所に書いておけば、詳しい人が間違いを正してくれるかもしれないし。 昨晩も話したとおり、法律学者という存在はある意味経済学者以上に、閉じた世…

はだか祭りでしゃべれなかったこと

あれからいろいろ考えて「疎外論それ自体は必ずしも危険というわけではなく、否定する必要もない」という結論に達した。しかしこの結論にたどり着くためには、マルクス主義哲学の枠からは出る必要があるような気がする。 これは基本的には、クワインやデイヴ…

フランス調査旅行からお帰りになったばかりの小田中直樹先生から

御葉書をいただく。(まだお読みいただいていないそうですが。) 「入門書はひとりでかくべきものであり、それを実行したあんたは偉い!!」 ありがとうございます。小田中先生もライブ・経済学の歴史―“経済学の見取り図”をつくろう作者: 小田中直樹出版社/メ…

フーコーと三つのリベラリズム?

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090519/p2を承けて。 『生政治の誕生』でフーコーは、新自由主義を単なるスミス的な古典的自由主義の回帰ではない、と明言している。 アダム・スミス、マルクス、ソルジェニーツィン。自由放任、商業とスペクタクル…

ゾーニングあれこれ

ゾーニングというか規制というか。 法治国家においては「そういうことするやつが少数ながら出てきてしまうことは仕方ないし根絶するわけにも行かないから何とかコントロールしたい」というときに大雑把に言って二つのやり方があって。 ひとつは正面から「そ…

フーコーの二つのリベラリズムと憲法学

労使関係論サーベイをおっぽって読んでいたAghion & Howitt(500ページだけどAcemogluを見たあとでは短くてやさしく見える! ふしぎ!)を更におっぽって無謀にも石川健治=駒村圭吾=亘理格「論点講座 憲法の解釈」(『法学教室』連載)を延々自分でコピー…

某東京大学大学院生の意見

優秀な学生の確保のためというかなんというか、博士課程院生の授業料の実質免除という戦略に東大を含めたいくつかの大学が踏み切っているわけですが、今年度より私どもの職場に着任した某若手のおっしゃるところでは、この政策意外と院生たちのあいだには不…

「労使関係論」とは何だったのか(12)

時論的な文脈に引き付けて言うならば、おおむね80年代一杯までは氏原―小池的な日本労働市場・雇用慣行理解は広く共有され、政治的な意味での左右のスタンスを問わず事実認識として受容されていた。「福祉国家」に引き続く東京大学社会科学研究所(当時は山本…

「労使関係論」とは何だったのか(11)

氏原正治郎の「トレードからジョブへ」の対概念についてもう少し考えてみよう。トレード、あるいはクラフトと言い換えられるだろう、資本家的経営にとって外在的な職人的熟練に対して対とされるべきは一個一個のジョブではないだろう。氏原から小池和男にま…

「労使関係論」とは何だったのか(10)

身も蓋もなく言えば日本の労使関係論、ことに「東大学派」(ならびにその周辺の)労働問題研究の失敗とは、市原博も言うとおり、あまり深く考えることなく日本労使(労資)関係研究の究極のテーマを「日本資本主義分析」とし、そして日本資本主義の中軸ない…

「労使関係論」とは何だったのか(9)

おそらく中西洋は最も早い時期に、最もはっきりと宇野段階論を「蓄積様式論」としてではなく「政策論」として解釈することを提唱した一人である。のみならず宇野の三段階論――経済学を原理論、段階論、現状分析の三段階に分ける方法論についても、外野の気安…

「労使関係論」とは何だったのか(8)

氏原正治郎を中心とする「東大学派」とでも呼びうる労働問題研究者集団に実体があったのはおそらくは1960年代半ばまでであり、その最後の世代は1930年代生まれの研究者たちである。その次の世代的な集団はおおむね1950年前後生まれの「団塊の世代」およびそ…

「労使関係論」とは何だったのか(7)

財政学者の加藤栄一は、ニューディールやナチズムを念頭に置きつつ、当初は宇野派の段階論の枠組みを大きく踏み外すことなく、つまりは「段階論」そのものの改変を避ける形で「国家独占資本主義」論を展開しようとしていた。議論の大枠としては大内力の国家…

「労使関係論」とは何だったのか(6)

古い時代のマルクス経済学のフレームにのっとっていたから致し方のないところとは言え、独占段階照応説には技術決定論的な偏向があり、それがその歴史的射程を大きく制約し、早々に時代遅れにする原因の一つとなった。 そこでは産業革命、それによる自由主義…

「労使関係論」とは何だったのか(5)

技術決定論、あるいは技術変化を外生変数としてカッコにくくる立場から脱却し、「問題の切り分け」を行うためには、「技術選択・技術変化の政治経済学」とでも呼ぶべきものが必要となるが、それは60年代の日本においてはまだ望むべくもなかった。 マルクス主…

日本の労使関係論をめぐりコピペ

氏原熟練論の継承としての小池「知的熟練」論 戦後日本の労働調査の中心となったのは,大河内一男,隅谷三喜男,氏原正治郎を代表とするグループであった。内部にさまざまな見解の違いをはらみつつも,このグループは,敗戦直後からじつに精力的に実態調査を…

「労使関係論」とは何だったか(4)

文献全部日本においてきた状況で記憶だけを頼りに書くには無理があることなど百も承知。まあいい加減あきらめて大原社研雑誌のサーベイシリーズを読みますよ。 - 政策論的、あえて言えば政治学的かつ知識社会学的な段階論解釈に理があるとは言っても、あくま…

「労使関係論」とは何だったのか(3)

段階論のベンチマークとしては大別して上部構造的な「政策」「法制」「イデオロギー」と、下部構造的な「生産力」「産業組織」との二通りが考えられる。そして両者の予定調和は必ずしも保障されていない。結論から先に言えば、後者の契機に着目したうえで、…

「労使関係論」とは何だったか(2)

「段階論」 宇野弘蔵の独自のマルクス経済学体系において、労働問題研究に対して、のみならず日本の社会科学全般に対して最も影響力が大きかったのはその「段階論」の部分である。段階論自体は宇野理論の独創ではもちろんなく、20世紀マルクス経済学そのもの…

労使関係論とは何だったか

hamachan先生の 本来労働問題というのはどぶ板の学問である労使関係論が中心であって、それに法律面から補完する労働法学、経済面から補完する労働経済学が、太刀持ちと露払いのごとく控えるというのが本来の姿。 これはちょうど、国際問題というのもどぶ板…

アセモグルー「2008年の危機」抜書き

久松さんの向こうを張って、というわけでもないが重複しないように。 Sure enough institutions have received more attention over the past 15 years or so than before, but the thinking was that we had to study the role of institutions to understa…

Daron Acemoglu, Political Economy of Growth (その2)

http://econ-www.mit.edu/files/1354 のテキスト部翻訳続きです。引き続きグラフと表は原スライドを見てください。今回も二段階最小自乗法です。次回はモデル分析が入ってきて、素人向きじゃなくなってますがご了承ください。

Daron Acemoglu, Political Economy of Growth (その1)

http://econ-www.mit.edu/files/1354 どなたでも計量経済学の素養のある方、突っ込みをお願いします。

Daron Acemoglu, Human Capital and the Nature of Technological Progress (その2・完)

後半です。引き続きこちらと一緒にご覧ください。文献リストがないのがこのスライドの欠点ですが、調査はまた今度。